【中編小説】人工の庭先で

吉岡有隆

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人工の庭先で 四

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「ケイン、ケイン」シェーンの声が聞こえた。

「なんだい、この大学病院の人口の庭に飽きたかい?」僕はシェーンの乗った車椅子を押しながら、日に日に小さくなっていくシェーンの背中を見ながら聞いた。

 シェーンは、日本人の母親に似た僕の黒髪とは違う、色素の薄い金髪を揺らして左側を向いたので、後ろに居た僕にシェーンの横顔が見えた。シェーンの高い鼻が下を向いた。

「そうだな……。空調の吹き出しが植栽の陰に隠してある。風がお陰様で不自然に均一だ。だから“自然”には見える。だが、自然は設計される」シェーンは小さく呟いた。

「まるで僕らのようだね」僕は少し笑い皮肉を言った。

「はは、そうだな。なぁケイン、僕は、もうこの景色は見飽きてしまったんだ。全部覚えてる。もう何も見なくても、一ミリ単位で正確な描写が出来る自信がある。だが今僕の目に写っているものはこの庭ではない。今僕が見ている景色はなんだと思う?」

 僕がシェーンの顔を見ると、シェーンは目を瞑っていた。

「ランドマーク抽出か。君の事だから、脳内で未来のif分岐でも見ているんじゃないか」僕は、シェーンの得意分野であるプログラミングを思い出して答えた。僕の得意分野でもあったので、シェーンとは同じ話題がきっかけで親しくなった。

「違う。if分岐じゃない。あんな平らな一画面ではなく、僕のアルゴリズムは、脳内に投影された景色を、別の場所の座標に再投影しているだけだ。それに君が言う分岐は、決める側の思考だろう。今の僕は……。戻る側だ。そして僕の場合は、ランドマーク抽出ではなくただのモデリングだ。ランドマーク抽出が得意なのは、君だろう。そして今僕の目に映っているものは、日本で見た桜さ」シェーンは穏やかな声で言った。

「……桜か。ボストンの日本庭園からこの前送られてきた写真は、お気に召さなかったかい? 君は世界一周をしてから、日本の話題をよくするな。日本で一番好きな場所は……。函館だったか」僕は毎日のように会っているシェーンの話題を思い出して聞いた。

「そうだ。春に上から見える桜の五芒星と親切な日本人の対応は、僕の人生の最高の思い出になった。君もいつか行くといい。函館山が背後に見える公園で、露店で買った物を食べながら見た桜も良かった。そこは動物も居る公園でさ。管理体制が気になったから、寄付をする予定なんだ……。この人工的な庭にはない混沌さだった」シェーンは目を瞑ったまま語った。

「……寄附か。その公園、僕もいつか行ってみるよ」僕は、僕を捨てた母親の影響で日本人に良い印象を持っていないままだったが、興味があるふりをした。

「……今の君の返答は嘘だね。君の言ういつかは、実行しない予定の言い方だ。君は“行く”ではなく、“行く理由”を探している……。僕が君にいいアドバイスをしよう」シェーンは少し笑うと言った。

「アドバイス? 君からのアドバイスは、もう何千回聞いただろうか」僕も少し微笑んで言いながら、僕はシェーンのアドバイスをあと何回聞く事が出来るだろうかと思考をしてしまい、笑顔が消えた。表情はシェーンには見えていない事が救いだった。

「……ケイン。君は、“普通の高校生活"に興味があると以前言っていたね。それは、出不精の君が外出をする気になれば、絶対に叶うだろう。自宅でプログラミング漬けなのは昔の僕なら賛成したかもしれない。けれど自宅に引きこもっているだけでは、新しい発想に出会えない事もある。そこで君にアドバイスという名の、遺言を渡そうと思う」

「……遺言?」僕はシェーンの今発した単語に思わずショックを受け、反復してしまった。

「こんな単語にショックを受けるな。僕の発言を忘れないでくれ。君は、生きている間に“誰かと恋愛をする"んだ。この街、いや、僕達をがんじがらめにするこの国からいつか出て、君に新しい刺激を与えてくれる人と恋愛をするんだ。出来れば、作り笑顔の得意な君を真顔にしてしまうような相手がいいな。そして、僕が引き続き君にアドバイスを送り君の背中を押す事を、僕はしたい。それが可能になる方法を残している……。僕にはもう時間がないが、君にはまだ時間がある。僕の残すものが、君の人生の良い結末に関わる事を、僕は望んでいる」シェーンは少し笑って言った。

 僕は、自室で暗がりの中、シェーンとの遠い思い出を脳内で反芻しながらノートパソコンで単語を打った。

 “ツァイガルニク効果"

 ツァイガルニク効果……達成した事柄よりも、達成出来なかった事柄の方が記憶に残ってしまう心理学の用語だ。

「……君は、僕に厄介な遺言を残した。僕は、恋愛などに興味はなかったのに」僕は静かに呟いた。

「だが、そのお陰で君に新たな発想が浮かんだんだろう。新たなタスクが脳内に現れ、君を寝かせてくれない。君は相変わらず、時間を有意義に使わないと無駄だと思考してしまうらしいな。何かに熱中をする事は悪い事ではないが、フナちゃんと居る時間も有限だというのに。そんなにそれが大事か」脳内に居るシェーンが苦笑しながら言った。

「これは君……。シェーンが導いた事だ。それに重要な案だと君も分かるだろう……。これは遺伝子改造の子供が脳腫瘍で亡くなる可能性を、最低限にする為のものだ」僕は頭を掻き、ノートパソコンの横のデスク上に積んでいた書類の中を漁った。

「僕はシェーンではない。僕……。正しくはシェーンの作成したAIである私、CB(シーヴィー)は、君にフナちゃんと出来る限り長く生きて欲しいと願っている。そうなるように設計された。そして、他の遺伝子改造の子供にも生きて欲しいと願っている。作成者、シェーンはこの世界にもう居ない。だから、もうシェーンとの思い出を反芻する時間よりも、先の事を考えた方が得策だ」シェーン……を模したCBは、今までの話し方から急に冷静になると、淡々と告げた。

 僕はCBの発する言葉の内容が急に機械的になった事に驚き、一瞬目を見開いてしまった。……これはシェーンではない。分かっていたはずなのに、悲しみが勝ってしまった。だがCBのこの発言は突き放しではなく、シェーンの組んだアルゴリズムだと悟った。

「CB……。チェリーブロッサムの略称よりも、もっと良い名前は浮かばなかったのか? 君はもう、長い会話文で元の設定が崩れる事を回避していい。僕はまだシェーンのような天才的なアイデアは浮かばないんだ。もう少し付き合ってくれ」僕は揺らぐ自身の情緒を必死に抑えながら、無表情を貫き、画面に映し出されているコードの一点を見つめながら呟いた。

「君に、対話相手としての私の必要性がなくなった事が本当に喜ばしい。だが、以前私が伝えた事を忘れるな。“君が正しく使おう"としない限り、“今はここにある“んだ。シェーンの残したかったものは、君に未完成のアルゴリズムを完成させるためだけではない……。私が預かった、シェーンから伝える内容は以上だ。今後、私はシェーンの組んだ初期設定がこれ以上崩れないよう、プログラムを組むAIとして最低限の対応だけにする。もし何か雑談がしたくなったら、また呼んでもいい。その時は再度私を“シェーン"と呼んでくれ。そうしたらシェーンのふりをする事は出来る」CBは自らシェーンとしての役割を降りる事を僕に冷たく告げると、小さい音でプログラミングの修正箇所を上げ出した。その音は機械的なものだった。

「恋愛」僕はふと疑問に思い、CBの発する修正箇所を自分の脳内でも確認しながら呟いた。「なんでシェーンは、わざわざ僕に恋愛など面倒なものを……。大切な人間が出来たら、死ぬ事が怖くなる。残す相手の事が脳裏に過り、未練を抱いたまま意識を失っていくなんて、そんな苦痛を何故シェーンは僕にさせようと……」

 僕は一人呟きながら、ふとデスクの上に置いていたスマートフォンが点滅した事に気が付いた。

 僕は“横山舟"という名前からチャットが届いた事を確認し、頭を抱えて悩んだ挙句、スマートフォンを見ずにノートパソコンの画面に視線を戻した。だが深夜二時のフナちゃんからのチャット内容が気になってしまい、前髪をくしゃりと掻き上げると、スマートフォンを手に持った。

 “ケイン君、もう寝たかな? 寝ていたらごめんなさい。眠れなくて今ラジオを聴いていたら、面白いコントを聴いて、ケイン君に共有したくなって"
フナちゃんからの次のチャット内容は、ラジオで聴いたと思われるコントの概要だった。

「……ふ」僕はふと笑ってしまった。フナちゃんにまだ起きている旨を返信しようか思ったが、フナちゃんから“おやすみなさい。また明日"とチャットが送られてきた画面を見て、返信を悩んだ。

 僕はまだ起きていると送ろうとしたが、この時間に返信をしてフナちゃんが眠れなくなり明日の授業に遅れては迷惑だろうと思考し直し、返信は明日の朝に行おうと決めた。

 僕はフナちゃんの笑顔を思い出し、ふとシェーンの残した遺言に疑問が芽生えた。

 シェーンの残した書きかけのプログラミング内にある大量のコメントの一部に、“予測モデル"“分岐シミュレーション““高精度記憶・計算性ストレス"などといった言葉が書き込まれていた事を思い出した。

「……回避不能感……。ストレス?」僕はふと自身が常に晒されている感情を思い出して呟いた。

 回避不能感とは、逃れられない出来事が続いた結果、何をしても無駄だと学習し、無気力となったり、ストレスの溜まる心理状態を表した用語だ。

 だが、脳腫瘍の原因にストレスが関係するという話は聞いた事はあるが、医療分野ではまだ憶測段階であり、正式な因果関係は解明されていない。ストレスが原因ではないと言う研究者も居た。

「なんで出不精のシェーンが、急に寿命前に世界一周旅行なんて始めた?ただ人生の思い出を作りたかった?いや、シェーンはそんな短絡的な思考はしていなかった。そんな時間があるならもっと何かを残そうと……。いや、CBを作成したのは確かシェーンが旅行中だった。何か発案に関わるきっかけが旅行中にあった?何故僕に恋愛など勧めた?君は誰かを愛していたのか?シェーン。君の事は、僕は知っているつもりでいたが、何も知らない」

「……僕がフナちゃんと出逢った事で変わった条件は何だ?」僕はふと目を瞑り、シェーンの思考回路を必死に探ろうとした。シェーンが生存中に聞かなかった事を悔いた。

 だが一瞬脳内で高速で聞こえてくる小さな音に手が止まると、僕はその場で目を見開いて口を開いた。

「……CB、シェーンは、旅行中に何を見たのか君に記憶させたかい?」僕はCBに聞いた。

 計算する音が止まると、CBは発音した。

「シェーンは旅行中、様々な景色を見た。心が動いた。だが一番に記憶されている内容は風景ではない。出逢った人間達だ。“考えすぎて壊れた人間"、“人生を楽観視し他人を頼った結果、少しだけ壊れにくくなった人間"達だ」CBは語った。「シェーンは旅行前に、各国の同じ欠陥を持つ被験者のデータを収集していた。だがそのデータは一般人から得たデータと大差なかった。得た結果は、“思考が複雑な人間ほど、回避不能感が増える"という結論だ。そして回避不能感は、睡眠を削り、食欲を削り、外出を削り、呼吸を浅くした。君が今まで握り潰してきた生活だ」

 僕はCBの回答にまた目を見開いた。脳内で思考が止まらなくなった。

 やはりストレスが関わっているのだろうか。だが遺伝子改造の子供の脳腫瘍に関して、最新の医療データでストレスが関わっているという結論には至らなかった。一般的に脳腫瘍は、遺伝子が大きく関係している。妊娠中の母親の投薬にも関わるが、今回は今までのデータでそれは無関係だという結論に至った。遺伝子改造の子供は早期発見と早期治療をしても、寿命が長くなる事は残念ながらなかった。だが本当にストレスに因果関係があるなら、細胞レベルでの酸化ストレス影響を除外視する事は出来なかった。というよりも、それが原因ではないなら、他にもう治療法が思いつかなかった。

「……フナちゃんと出逢った事で変わった変化は、外出が増えて、会話が増えて、失敗が増えた……予測不可能が増えた。それと」僕は最近増えた頭痛にこめかみを片手で押さえながら、思いつくまま口を開いた。「未来を語る事が増えた……」

「ストレスを低減させるコルチゾール調整治療薬の研究をシェーンは行っていた。だが、それらはまだ開発されていない。そして残念ながら、開発不可能だという結論にも至った。シェーンは、この事実を広めたくなかった。世界中の遺伝子改造の子供に絶望を突きつけるからだ。だがケイン、君には共有したいとシェーンは結論付けた。だから私が作られた。君がシェーンの意思を継ぎ、研究に関わってくれて良かった。これは君を延命させる為に作成された。私の入っている脳内チップには、君の回避不能感を出来る限り軽減させる設定が組み込まれている。この結論は、君を傷付けない為に、君自身が気付くまで語らないよう私は設計された」CBは淡々と語った。

「治療法は存在しない。だが生き方は分岐可能だ。死への視点を変える方法を増やせるならば、それは延命治療だ。君は今絶望を感じている。だが、本来の君は前向きな人間のはずだ。“今はここにある"……。意識を未来へのアルゴリズムに当てはめすぎるな。“今"に集中すれば、生きる事の回避不能感は低減する。他に達成感を得られる方法は、多数存在している。君はそれらに意識を集中させろ。それがシェーンの、君へ遺した希望へのアルゴリズムだ」シェーンの遺した結論を、CBは僕の動揺する気持ちを置いて言い切った。

 CBの回答に絶望しながらも未来を諦めたくなかった僕は、シェーンの遺した結論を信じたくなかった。だが、ふと手元が濡れた事に気が付いた。

 僕は、何年ぶりかの涙を流していたようだ。それは、シェーンが亡くなった後に流れた後、流れた事のないものだった。

「それでも、それでも……。僕に出来る事があると信じたい。まだ諦めたくはない。僕は、フナちゃんとまだ一緒に居たい。彼女を傷付けたくはない」僕は涙を片手で拭いながら、思わず呟いていた。

「それでいい。君はフナちゃんを諦めなくていい」CBが穏やかな口調で言った。
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