水縹の境

いわみね

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ぬいぐるみ王国

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 澄んだ青空が広がる休日の昼下がり。

 東藤梨奈はスーパーでふと目に入った美味しそうな赤いリンゴを買った。
「ありがとうございましたー!」
 レジで支払いを済ませて店を出て歩き始めた。
 梨奈の家はスーパーから歩いて20分程。
 休日の散歩にちょうど良い距離だ。

 (リンゴ食べるの久しぶりだな。しまった。おじいちゃんの分も買っておけば良かった!スーパーに戻ろうかな)

 ところが梨奈が考え事をしていると、前方から走ってくる自転車に気がつくのが遅れてしまった。
 避けようとして袋にいれていたリンゴを落としてしまう。

「あッ」

 梨奈が拾う間もなくリンゴは坂道をコロコロと弾むように転がって行く。
 彼女は慌てて追いかけ、リンゴに手が届きそうになると、その度リンゴは方向を変える。

「あ、待って」
 思わず声をあげてしまうが、リンゴは待つはずもなくコロコロと転がって行き、梨奈もそれを追いかけた。

 まるで誘われるように追っていくうち、梨奈はいつの間にか見知らぬ路地へ迷いこんでしまったことに気がついた。

「道に迷った………?」
 梨奈は辺りを見回してから、もと来た道へ戻ろうと後ろを振り返った。

 すると、どういうわけか、先程までいたはずの町並みはなく、ぬいぐるみだらけの世界が広がっている。
 リンゴも見失い、気がつくと先程迷いこんだ路地さえも消えてしまっていた。

「ここ、何……!?」
 おとぎ話のような古めかしいデザインの町並みに、ぬいぐるみが大量に飾られている。
 (怖い。早く帰りたいけど、道もわからない)
 それどころか、梨奈にはそこがどこなのかもわからない。
 仕方なく梨奈は人を探して歩き始める。
 キョロキョロと辺りを窺うと、たくさんのぬいぐるみに見張られているような気がしてきた。

 人の形をしたぬいぐるみは特に不気味だ。
 (切手やはんこの形のぬいぐるみはそんなに怖くないけど)
 普段の梨奈なら可愛いと思ったかもしれないクマのぬいぐるみさえ、今の彼女には薄気味悪く見えている。

 梨奈自身が驚くほ小さくか細い声で周囲に声をかけてみる。
「誰かいませんかーー……」
 返事はない。
 家の扉をノックしても人は出てこない。
 時間が経ってきて落ち着いてきた梨奈は、一度休めそうなところを探すことにした。

 (このまま帰れなかったらどうしよう!おじいちゃん)
 不安なまま、歩いていると、ベンチのような木製の椅子がやテーブルのような台が設置された広場のような場所に出た。
 (ここもぬいぐるみだらけ)

 そう思いながら椅子に腰かけると、台の上にリンゴの形をしたぬいぐるみが目に入った。
 梨奈は立ち上がって近づこうとした。

「ここでなにをしているでおじゃる?」
 唐突に声をかけられて驚いた梨奈が叫んだ。
「キャー!」
「あ、こら、大きな声を出してはならんでおじゃる。魔女に見つかってしまうぞ、人間」
「魔女?」
 見ると大昔の公家のような出で立ちの男が扇子を片手に立っていた。どこか優美な雰囲気がある。

「ここは魔女に支配されてしまった王国。さあ見つかる前にこちらへ来るでおじゃる」
 男に手を引かれたどり着いたのは、先程ノックしても誰も出てこなかった家だ。
「扉を叩かれて、後をつけたでおじゃる」
 中に入ると、部屋中にぬいぐるみだらけ。
 しかも、どのぬいぐるみも動き回って梨奈を驚かせた。
「麿の名は『ドウジ』。ここはぬいぐるみ王国。魔女に王様が捕らわれて住人の多くは魔女の手下にされてしまったでおじゃる。逆らうとただのぬいぐるみにされてしまうでおじゃる」
 美しい絵画が印刷された『切手』のぬいぐるみが後を引き継いで言った。
「我々はこの国の『解放軍』。魔女から王国を取り戻すため、密かに戦いの準備を進めているのだ」
 ドウジたちにそう説明されてもすぐに信じられず、梨奈が戸惑っていると、ぬいぐるみたちが梨奈を取り囲んでヒソヒソと互いに話し始めた。
 しばらくして話がまとまったのか、中から『はんこ』のぬいぐるみが出てきてドウジに言った。
「魔女退治に彼女にも力を借りるというのはどうだろう」
 それを聞いて驚いたのは梨奈だ。
「戦うなんてどうやって?!」
 彼女が言うと、奥の扉がギィッと音を立てて開いた。

「簡単なことさ!ぼくらと一緒に作戦に参加してくれれば良い」
 そう言って扉を開けて現れたのは『スタンプ』のぬいぐるみ。
 可愛くデフォルメされた手にリンゴを持っている。

 なんと梨奈が落としたリンゴは人間に食べられるのが嫌でぬいぐるみ王国へ亡命する途中、人間に拐われてスーパーの棚に並んでいたというのだ。
 しかし来てみればこの有り様。
「早く王様を助け出して、ぬいぐるみにしてもらわなくっちゃ!」
 美味しそうなリンゴが切実な声で言った。

 (リンゴが喋ってる。これはきっと夢だよね?)
 けれど翌日になっても梨奈の夢は覚めない。
 (王国を取り戻すまで覚めないのかもしれない)

 そう思うようになった彼女は本物の王様を助けだし、ぬいぐるみ王国を救うことを決意する。

 元の世界へ帰るため、梨奈は奔走し、そこで出会った奇妙な人?たちとの短い共同生活が始まる。
 (待っててね、おじいちゃん。ちゃんと帰るよ!)
 梨奈は早くに両親を失くした彼女を、苦労しながらも育ててくれた祖父の顔を思い浮かべた。

 ​​目指すは魔女が占領するお城。
「魔女が占拠した城はここから一番北の高台にあるでおじゃる」
 ドウジがテーブルに地図を広げて街の説明をする。

 城壁まで近づくのはそれほど難しくはないが、お城の中へ入るには門に立っている手下のぬいぐるみと、魔女の魔法がかけられた門をどうにかしなければならない。
 梨奈のリンゴが口を挟んだ。
「他に出入り口は無いの??」
 すると切手のぬいぐるみが、穏やかに言った。
「お城の庭の中に場内へ続く秘密の通路がある」
「今のところ、城内へ入るには門をどうにかしなければならないでおじゃる」
 ドウジが言うと、はんこのぬいぐるみが言った。
「目下、門を使わずに城壁を乗り越える方法を模索中だ」
「城壁にも魔女の魔法がかけられていて、これまでにも多くの同志たちが犠牲になってしまった」
 悲しげな声で言うのは愛らしく美しいクマのぬいぐるみだ。
 それを励ますようにスタンプのぬいぐるみが言った。
「必ず魔女を倒して国を取り戻そう!」

 ◇


 ──城内では

「イザベラさま!よろしいでしょうか」
「なんだ?」
「街から監視のクマからの報告で、この国に人間が迷い込んだと……」
「ほう……それはまた珍しい」
「早くも解放軍と接触したとの報告です。いかがいたしましょうか」

 それまで比較的穏やかな様子だったイザベラと呼ばれた人物が途端に激昂して叫んだ。

「全軍、解放軍に総攻撃を仕掛けるのだ!」
 イザベラ。
 彼女こそが魔女である。
「おのれドウジめ。また妾の邪魔をするつもりか!もう容赦は無用と知れ」


 ◇


「では、このメンバーで」
 お供は良い香りのリンゴと美しい切手、斬新なデザインのスタンプとユニークな図柄のはんこのぬいぐるみに決めて、梨奈が出発の準備を整えた。

 一番城に近い解放軍の拠点が魔女の軍勢に襲撃を受けてから、丸1日が経っていた。

 残されたぬいぐるみたちと、手下のぬいぐるみたちとで総力戦が始まったのである!
 梨奈が力強く言った。
「この隙に私たちがお城の中に入って王様を助け出す!」
 (待っててねおじいちゃん!王様を助け出してすぐかえるから)

「門は開かれたでおじゃる。魔女は麿たちに任せるでおじゃる」
 そう言うとドウジが表の扉を開けて仲間のぬいぐるみたちと街へ飛び出した。

 梨奈たちは裏の扉から外へ出ると早速見つかってしまった。
「いたぞ!」「人間だ!捕まえろー!!」
「想定内!」

 スタンプのぬいぐるみが梨奈の前方に躍り出た。
 ピカッと光るとスタンプのぬいぐるみが元のスタンプのように硬い物体となって向かってきた魔女の軍勢を蹴散らした。

 続いて切手がピカッと光る。
 魔女の軍勢がまるで魅了されたようにふらふらとし始めて戦意を喪失してしまった。

「この調子ならぼくが傷んでしまう前になんとかなりそうだね!」
 梨奈のリンゴが嬉しそうに言った。良く見ると落ちて転がった時に出来たらしい傷がある。

 ◇


「イザベラ、観念するでおじゃる」
 王の間で対峙するドウジとイザベラ。
 イザベラの周囲にはドウジとたちに倒された手下のぬいぐるみが横たわっている。

「ドウジ、なぜ妾の邪魔をするのだ。この国が憎くはないのか!国王を助けてなんになる!」

「イザベラ……」

「妾にとって国王の行いは不可逆の呪いだ!」
「死に行くものにとって国王の魔法は救いでおじゃる」


 ◇

「もう決してここに来てはいけないでおじゃる」
「どうしても?」
「どうしてもでおじゃる」
「さようならドウジ、みんな」
「さようなら梨奈」

 遠ざかるぬいぐるみ王国と梨奈のリンゴとドウジたち。

 手を振りながら梨奈は思った。

 ああ、夢から目が覚めるんだな、と。

 苦労の末無事に魔女から王国を取り戻した梨奈。
 気がつくとスーパーの裏側にある人気の無い駐車場。
 スマホで時間を確認すると数時間しか経っていなかった。

 けれど、買ったはずのリンゴだけが消えていて、替わりに小さな封筒が1通。
 中にはメッセージカードが入っていて、ひらがなで〈ありがとう〉と書かれていた。


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