【本編】神獣の花嫁〜あまつ神に背く〜

一茅苑呼

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参 まやかしの花器

イヤじゃないから、困ってた【二】

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 感情が昂ぶると、昔からそうだった。幼い頃、父方の祖母に「お前はすぐ泣く。弱い子だ」と、ののしられたことを思いだす。

 それからは強くあろうと、自分の心を守ってきたつもりだったのに。

「……俺のせい、なのか? 瞳子が、泣いてるのは」

「他に、誰がいるっていうのよ、ばかっ」

 とまどったようにセキにかれ、思わず心にもない八つ当たりをしてしまう。

 涙でにじんだ視界の向こうで、セキがかすかに笑った。

「悪い。……俺も、自分に都合のいい勘違いをしそうだ」

 そのまま、気づけばセキの胸に引き寄せられる。つかまれた手首は開放されたが、替わりに、身体ごとセキに束縛されていた。

 よく通るセキの声音が、かすれて耳もとに、落ちてくる。

「瞳子、嫌なら突き飛ばしてくれ。でないと──」

「イヤじゃないから、ずっと困ってたのに! アンタ、本当になんな」

 抗議の言葉が、途中で奪われた。互いのぬくもりの共有が、心地いい。目じりに触れたセキの指先が優しくて、また、涙があふれる。

 ずっと、伝えられずにいた想いが、唇にあって。せり上がった想いごと、セキにのみこまれていくようだった。

「……っ……」

 離れていく唇に、追いすがるように漏れた吐息。セキと触れた心が、息苦しいほど、甘い。

「瞳子」

 呼びかけられ、また、つつまれる身体が火照ほてる。

 セキの胸に顔を押しつけながら、自らの鼓動と共鳴する音を感じていると、かすかな笑い声が聞こえた。

「俺が、なぜ困るのかは、解ってくれたか?」

「私……」

「これを告げずに、瞳子とこの先へは進めない。だから、話しておく」

 ふいにゆるむ優しい拘束に、仰向けば、愛しさだけでない感情を宿したセキのおもてが目に映る。

「瞳子が俺に真名なまえを伝えたら、たやすく元の世界には戻れなくなる。それは、俺の心情はもちろんだが、そういう制約きまりがあることも承知しておいてくれ」

「簡単に、戻れなくなるの……?」

「ああ。だから、瞳子の気持ちだけ、もらっておく」

 名残り惜しむようにして、するりと瞳子の髪をなで、セキは瞳子の身を自由にした。

 夜気が、やけに冷えて感じ、思わず身体が震える。それに気づいたらしいセキが、ちょっと笑った。

「寒いな。部屋まで送ろう」

 さり気なくかけられたセキのうちぎに、暖かさは感じても、瞳子の心は置いていかれたように、とまどってしまう。

「あの、セキ──」

「やれやれ。ようやく辿たどり着けました」

 思わず告げかけた想いを、聞いたことのないいやな声音がさえぎった。

 瞬時に、セキの腕のなかに囲われ、声のした方角から隠される。

「お前──!」「セキ様っ」

 怒気をはらむセキの言葉とほぼ同時。イチが瞳子たちの前に現れる。

「“魂駆たまがけ”は、命を削るもの。
 よって、用件だけ申し上げることを、ゆるされよ、セキ殿」

 二人の視線の先を追った瞳子の目に入ったのは、庭先に浮かぶ半透明な存在。狩衣かりぎぬをまとった、中年の男らしき姿だった。

「明くる日、いぬ初刻しょこく。本国“大神社おおかむやしろ”の本殿にて、ハク様とお待ち申し上げる。
 無論、私が異界よりび寄せたそこな【白い“花嫁”】にも、ご同行願おう。ゆめゆめ、この申し出を無視できるとはお思いにならぬことだ」

 いまいましそうに瞳子をにらみつけると、男の姿は煙のように消え去った。
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