46 / 66
海岸編
長老の助言
しおりを挟む
エルフの長老は朝眠りから目を覚ましたら、先ず顔を洗う。特に珍しい習慣とは言えないだろう。
長老がそのありふれた習慣を実行しようと井戸に向かい、汲み上げた水で顔を洗い、持参した布で顔を拭いていると
「あひゃん!」
と、悲鳴とも呻きとも取れる声が聞こえてきた。
布から顔を上げてそちらを見ると、右足を少し浮かせて、体をひねった状態、恐らく下段蹴りを放ち終わった体勢のリックと、その前に倒れている同行者の育ちの良さそうな男が目に入ってきた。
「長老さま、おはようございます!」
「おはようございます」
確かカスガとか言ったか、ボサボサの髪をした娘とミルアージャと名乗った帝国の皇女が長老に挨拶してくる。
「おはよう、何をやっとるんじゃ?」
「団の特訓です! 朝練ですね」
「今は武術の特訓です。とはいえリックと我々では実力の開きが大きいので、どちらかと言えばリックによる指導ですね」
「ほう……」
長老が視線を二人の男に戻すと、リックがカルミックに話しかけていた。
「前より全然良くなってるよ」
「ほんとぉ?」
恐らく先ほどの謎の悲鳴は、リックの攻撃を受けたカルミックが上げたのだろう。
カルミックはリックの褒め言葉を受け取りながらも、素直にそれを信じこむほど自信家ではなかった。
帝国の魔術の大家、イーロン家嫡男として育った彼は、ある程度武術の訓練も受けていたが、あくまで武術を使用する相手に対して魔術でどう戦い、制するかを主眼とした訓練のため、武術そのものを必死に練習したとは言いがたい。
団に所属してからは、全体的な総合力を上げる為に魔術はリック、武術はリックとミルアージャ、神学術もカスガやミルアージャに習っているが、彼らと比較してしまうと測るものさしが大きすぎてあまり上達の実感を得られない。
ただ大きなものさしを使う側から見て貰えれば、それはまた別の話なのかもしれない。自分への過度な不信も、あまり良い結果を生まないことはカルミック自身経験上わかっているので、まずは素直に受け入れる努力をする。
「前より魔力の流れがスムーズだし、何より基礎体力が上がってる、走り込みの成果が出てるよ。今も息が切れてないでしょ? 蹴りも本来なら骨折してもおかしくないけど、ちゃんと防御障壁で軽減されてるし」
「そう言われれば……」
確かに前なら一分もすれば、ぜーぜーと切らしてた息が、今は何ともない。ローキックを打たれた足はじんじんと少し痛むが打ち身程度で骨折はしていない。
「そもそもカルはかなり魔力が高いからね、魔力の武術的な運用に慣れさえすれば、すぐに強くなるさ」
リックの講義が続くなか、ミルアージャが無言でカルミックに近寄り祈る。祈りの奇跡が発動し、足から痛みが引いたあたりで
「はい、もう一回、次は私とね」
と容赦なく指示をする。多少の怪我はすぐに治療出来るので、思いきって特訓を行えるのも上達を早めるのに一役買っている。
「ひぃぃ」
と言うが、立ち上がる。息が切れていないという一つだけでも上達の実感を感じられたなら、モチベーションになる。
その後もしばらく奇声を上げるカルミックが観察できた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次に4人が魔術の訓練中、手持ち無沙汰だったのか長老が話しかけてきた。
「順番に、ワシに認知と解析を見せてみい、できるところまで深度を下げてな」
そう声をかけられ、四人は長老に認知と解析を見せる。一通り確認したあと、長老が各自にアドバイスを送る。
「リック、お主のは我流だが誰かを参考にしとるな、恐らくは言っておった母親じゃろ。そっちの嬢ちゃんはそのリックを少し参考にしとるな」
寸分たがわず指摘してくる長老の発言に驚きながら、リックが尋ねる。
「はい、そうです、そんなことわかるんですか?」
「うむ、認知や解析にはそれぞれの癖が出る。リックお主のは例えるなら生まれつき足が速い、それが才能に任せてがむしゃらに全力で走るからそりゃまあ速いという感じじゃな。正しいフォームを身に付ければさらに速くなるじゃろう」
そう言って長老がリックに見せた認知、解析からリックが感じたのは、緻密さだった。
何度も刃物で切りつけて、ノコギリの様に切断するのではなく、的確な角度、速度で無駄な動きや力みを極力排除しながら刃物を振って、一刀両断にするような、緻密で合理的な解析だ。
リックが普段、解析を複数回行って下げる深度を、一度にガツンと下げる感じだ。トータルの速度自体はそれほど変わらないと思うが、施行回数の少なさは魔力使用の効率が劇的に変わってくる。
「そう言った意味では、そっちの姫さんは中々のスムーズさじゃ。恐らく師匠はネイトじゃな、少し似ておる」
「は、はいその通りです」
「そしてそっちのぼっちゃん、かなり訓練された良い認知の絞り方、解析の仕方じゃがリックとは逆でお主の師匠のやり方、つまり型にはまりすぎてそれを維持しようとし過ぎじゃな。それを自分に最適化できればまだまだ早く出来る」
「ほ、ほんとですか!」
「うむ、これも何かの縁じゃ。認知や解析は独自の訓練も勿論必要じゃが、誰かの認知、解析を見て得るインスピレーションも同じくらい大事になる、しばらく滞在するとええ、ワシが色々見せてやろう」
四人がそれぞれ長老に礼をいい喜ぶ。この世界が待ち受ける運命を、つい昨日話したばかりだというのに、彼等から感じるひたむきさに長老は──
(ネイトが外に出たことによって、結果彼らがここに来た、それもまた運命かも知れんな)
──と感慨深い思いがした。
娘が飛び出して百五十年、それがきっかけとなって紡がれた歴史の糸が、しっかりと太く寄り合って自分に繋がってきているのを感じ、あの時の娘の決断を、誇らしく思えるようになっていた。
彼らならもしかしたら絶望に立ち向かえる。絶望だろうが何だろうが逃げ道がなければ立ち向かうしか無いのだから、手段は多い方が良いだろう。
出来るだけの事はしよう、彼らのひた向きさに応えられるように。そこに、仮に一方的に非難した娘への贖罪の気持ちが混ざっていたとしても。
(とは言え、それをネイトにそのまま伝えるほど、ワシも素直にはなれそうもないがの)
そこはハッキリと自覚しながら。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(遅いな……)
王城シンメリダースの宮廷魔術師にあてがわれた一室で、ミーロードは面会予定の人物の来訪を待っていた。
既に約束の時間を告げる教会の鐘の音は先程鳴っている。待ち合わせ相手は普段時間厳守の為、少し苛立ちが募る。
「コンコン」と少し小さなノック音が聞こえ、ミーロードが「開いてるぞ」と返事をした瞬間。
ミーロードは肩を、「ポン」と叩かれた。
ミーロードが驚いて振り向くと、エルフのアールトがいつものように笑みを浮かべ立っていた。いつもと違うのは、肩を叩いていない方の左手に、人間の首──訪問の約束があった男だ──を持っていることぐらいだろうか。
「突然失礼して申し訳ない、宮廷魔術師殿と内密の話をしたくて参上しました」
「な、何を……」
アールトは持っている首を少し持ち上げつつ
「この男、『切札』と呼ばれる魔術師専門の暗殺者らしいのですが、私の事を狙って来ましてね、まぁ何とか返り討ちにしたのですが」
そう言って首を放り投げる。首がごろんと転がり、ミーロードの方を向いた──気がした。そのままアールトが続ける。
「国境の件といい最近は物騒なので、同じ魔術師のミーロード殿も気を付けて頂きたいと思いまして」
「そ、そうか……」
「そうそう、国境で騒ぎを起こした者共ですが、その後の調査でエルフの里の方面に向かったようです。私は里の出身ゆえ、もしエルフの里に居るとしたら、捕まえるにしても里を出てからになります」
「う、うむ、故郷で騒ぎは起こしたくなかろう、私情を挟むのはどうかとも思うが……」
「そうですね、今回の件は『お互い』あまり私情を挟まないようにしたいものですな、報告は以上です、あ、あとその首ですが」
アールトが長い指を「スッ」と差したのに誘われ、ミーロードは首の方を向く。
「よろしければ処分、お願いできますか」
返事をしようとミーロードが振り向くと、既にアールトは居なかった。
依頼した任務は失敗し、警告までされた。だがミーロードは恐怖を感じつつも己の予感が当たった事を確信した。
(あの男は危険だ、何としても──排除しなければ)
ミーロードは次善の策を考え始めた。
長老がそのありふれた習慣を実行しようと井戸に向かい、汲み上げた水で顔を洗い、持参した布で顔を拭いていると
「あひゃん!」
と、悲鳴とも呻きとも取れる声が聞こえてきた。
布から顔を上げてそちらを見ると、右足を少し浮かせて、体をひねった状態、恐らく下段蹴りを放ち終わった体勢のリックと、その前に倒れている同行者の育ちの良さそうな男が目に入ってきた。
「長老さま、おはようございます!」
「おはようございます」
確かカスガとか言ったか、ボサボサの髪をした娘とミルアージャと名乗った帝国の皇女が長老に挨拶してくる。
「おはよう、何をやっとるんじゃ?」
「団の特訓です! 朝練ですね」
「今は武術の特訓です。とはいえリックと我々では実力の開きが大きいので、どちらかと言えばリックによる指導ですね」
「ほう……」
長老が視線を二人の男に戻すと、リックがカルミックに話しかけていた。
「前より全然良くなってるよ」
「ほんとぉ?」
恐らく先ほどの謎の悲鳴は、リックの攻撃を受けたカルミックが上げたのだろう。
カルミックはリックの褒め言葉を受け取りながらも、素直にそれを信じこむほど自信家ではなかった。
帝国の魔術の大家、イーロン家嫡男として育った彼は、ある程度武術の訓練も受けていたが、あくまで武術を使用する相手に対して魔術でどう戦い、制するかを主眼とした訓練のため、武術そのものを必死に練習したとは言いがたい。
団に所属してからは、全体的な総合力を上げる為に魔術はリック、武術はリックとミルアージャ、神学術もカスガやミルアージャに習っているが、彼らと比較してしまうと測るものさしが大きすぎてあまり上達の実感を得られない。
ただ大きなものさしを使う側から見て貰えれば、それはまた別の話なのかもしれない。自分への過度な不信も、あまり良い結果を生まないことはカルミック自身経験上わかっているので、まずは素直に受け入れる努力をする。
「前より魔力の流れがスムーズだし、何より基礎体力が上がってる、走り込みの成果が出てるよ。今も息が切れてないでしょ? 蹴りも本来なら骨折してもおかしくないけど、ちゃんと防御障壁で軽減されてるし」
「そう言われれば……」
確かに前なら一分もすれば、ぜーぜーと切らしてた息が、今は何ともない。ローキックを打たれた足はじんじんと少し痛むが打ち身程度で骨折はしていない。
「そもそもカルはかなり魔力が高いからね、魔力の武術的な運用に慣れさえすれば、すぐに強くなるさ」
リックの講義が続くなか、ミルアージャが無言でカルミックに近寄り祈る。祈りの奇跡が発動し、足から痛みが引いたあたりで
「はい、もう一回、次は私とね」
と容赦なく指示をする。多少の怪我はすぐに治療出来るので、思いきって特訓を行えるのも上達を早めるのに一役買っている。
「ひぃぃ」
と言うが、立ち上がる。息が切れていないという一つだけでも上達の実感を感じられたなら、モチベーションになる。
その後もしばらく奇声を上げるカルミックが観察できた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
次に4人が魔術の訓練中、手持ち無沙汰だったのか長老が話しかけてきた。
「順番に、ワシに認知と解析を見せてみい、できるところまで深度を下げてな」
そう声をかけられ、四人は長老に認知と解析を見せる。一通り確認したあと、長老が各自にアドバイスを送る。
「リック、お主のは我流だが誰かを参考にしとるな、恐らくは言っておった母親じゃろ。そっちの嬢ちゃんはそのリックを少し参考にしとるな」
寸分たがわず指摘してくる長老の発言に驚きながら、リックが尋ねる。
「はい、そうです、そんなことわかるんですか?」
「うむ、認知や解析にはそれぞれの癖が出る。リックお主のは例えるなら生まれつき足が速い、それが才能に任せてがむしゃらに全力で走るからそりゃまあ速いという感じじゃな。正しいフォームを身に付ければさらに速くなるじゃろう」
そう言って長老がリックに見せた認知、解析からリックが感じたのは、緻密さだった。
何度も刃物で切りつけて、ノコギリの様に切断するのではなく、的確な角度、速度で無駄な動きや力みを極力排除しながら刃物を振って、一刀両断にするような、緻密で合理的な解析だ。
リックが普段、解析を複数回行って下げる深度を、一度にガツンと下げる感じだ。トータルの速度自体はそれほど変わらないと思うが、施行回数の少なさは魔力使用の効率が劇的に変わってくる。
「そう言った意味では、そっちの姫さんは中々のスムーズさじゃ。恐らく師匠はネイトじゃな、少し似ておる」
「は、はいその通りです」
「そしてそっちのぼっちゃん、かなり訓練された良い認知の絞り方、解析の仕方じゃがリックとは逆でお主の師匠のやり方、つまり型にはまりすぎてそれを維持しようとし過ぎじゃな。それを自分に最適化できればまだまだ早く出来る」
「ほ、ほんとですか!」
「うむ、これも何かの縁じゃ。認知や解析は独自の訓練も勿論必要じゃが、誰かの認知、解析を見て得るインスピレーションも同じくらい大事になる、しばらく滞在するとええ、ワシが色々見せてやろう」
四人がそれぞれ長老に礼をいい喜ぶ。この世界が待ち受ける運命を、つい昨日話したばかりだというのに、彼等から感じるひたむきさに長老は──
(ネイトが外に出たことによって、結果彼らがここに来た、それもまた運命かも知れんな)
──と感慨深い思いがした。
娘が飛び出して百五十年、それがきっかけとなって紡がれた歴史の糸が、しっかりと太く寄り合って自分に繋がってきているのを感じ、あの時の娘の決断を、誇らしく思えるようになっていた。
彼らならもしかしたら絶望に立ち向かえる。絶望だろうが何だろうが逃げ道がなければ立ち向かうしか無いのだから、手段は多い方が良いだろう。
出来るだけの事はしよう、彼らのひた向きさに応えられるように。そこに、仮に一方的に非難した娘への贖罪の気持ちが混ざっていたとしても。
(とは言え、それをネイトにそのまま伝えるほど、ワシも素直にはなれそうもないがの)
そこはハッキリと自覚しながら。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(遅いな……)
王城シンメリダースの宮廷魔術師にあてがわれた一室で、ミーロードは面会予定の人物の来訪を待っていた。
既に約束の時間を告げる教会の鐘の音は先程鳴っている。待ち合わせ相手は普段時間厳守の為、少し苛立ちが募る。
「コンコン」と少し小さなノック音が聞こえ、ミーロードが「開いてるぞ」と返事をした瞬間。
ミーロードは肩を、「ポン」と叩かれた。
ミーロードが驚いて振り向くと、エルフのアールトがいつものように笑みを浮かべ立っていた。いつもと違うのは、肩を叩いていない方の左手に、人間の首──訪問の約束があった男だ──を持っていることぐらいだろうか。
「突然失礼して申し訳ない、宮廷魔術師殿と内密の話をしたくて参上しました」
「な、何を……」
アールトは持っている首を少し持ち上げつつ
「この男、『切札』と呼ばれる魔術師専門の暗殺者らしいのですが、私の事を狙って来ましてね、まぁ何とか返り討ちにしたのですが」
そう言って首を放り投げる。首がごろんと転がり、ミーロードの方を向いた──気がした。そのままアールトが続ける。
「国境の件といい最近は物騒なので、同じ魔術師のミーロード殿も気を付けて頂きたいと思いまして」
「そ、そうか……」
「そうそう、国境で騒ぎを起こした者共ですが、その後の調査でエルフの里の方面に向かったようです。私は里の出身ゆえ、もしエルフの里に居るとしたら、捕まえるにしても里を出てからになります」
「う、うむ、故郷で騒ぎは起こしたくなかろう、私情を挟むのはどうかとも思うが……」
「そうですね、今回の件は『お互い』あまり私情を挟まないようにしたいものですな、報告は以上です、あ、あとその首ですが」
アールトが長い指を「スッ」と差したのに誘われ、ミーロードは首の方を向く。
「よろしければ処分、お願いできますか」
返事をしようとミーロードが振り向くと、既にアールトは居なかった。
依頼した任務は失敗し、警告までされた。だがミーロードは恐怖を感じつつも己の予感が当たった事を確信した。
(あの男は危険だ、何としても──排除しなければ)
ミーロードは次善の策を考え始めた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
385
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる