夜明けの夢想者

四方山八方

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9.親子

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 私は今までひた隠しにしてきた事実を、洗い浚い話した。夢境の事も、夢境が私を孤独にした事も話した。そして、花月が母を助けた方法についての憶測も。私は堰を切ったように、時折嗚咽しながら話し続け、全てを口に出し終えた時には微かに喉が枯れていた。

「やっぱり、あなたは私の娘ね」

 それが、話を聞き終えた母の第一声だった。

「あなたの言う夢境という世界、実は私も入る事ができるの」

 私の枯れた喉は驚声の代わりに、掠れた呻きを漏らした。

「私はあなたのお友達――花月さんと同じように夢境で人助けをしていたの。だけど、自分の力量を判断できずに無理をし過ぎた。そして私は、長い眠りに就く羽目になった」

 私は母が明かす真実に追い付けないでいた。何度か問い掛けようとしたが、喉元で声は途絶えてしまう。

「私には夢境の事を教えてくれる先生がいたけれど、あなたは自分にしか認識できないあの世界を独りで受け止めていたのね。……本当なら私があなたに夢境の事を教えてあげるべきだった。自分と同じ血が流れている娘の事を軽んじて、あなたに私と同じ力があるとは思わなかった。……ごめんなさい」

 母の謝罪を聞いて、胸が締め付けられる。

「謝らないでよ、母さん。……母さんは人の為になる事をしていたんでしょう? 謝る必要なんて無い」
「必要かどうかは関係無い。ただ謝りたいの。私は無我夢中で自分のできる事をやろうとしていたばかりに、家族を蔑ろにしている事に気付けなかった。本当にごめんなさい」

 母の二度目の謝罪を聞いて、私の心中には夢境に対する憎悪が芽生えていた。夢境が存在しなければ、私は家族と幸せに暮らせていた筈だ。母が昏睡することも無く、私の卑屈も孤独もきっとあり得なかった。
 
「夢境なんて無ければよかったのに」
「あなたに起こった全ての悲劇が夢境に依るものではないわ。私が航さんに出会えたのも夢境があったからよ。あなたが花月さんに会えたのも同じ事でしょう?」
「でも今は、夢境が花月を奪おうとしてる」
「それは違うわ。彼女に害をなしているのは夢境そのものじゃない」
「それなら、花月は何で!」

 思いがけず、私は声を荒げていた。母は眉を落としながら、憤る私を見つめている。

「私が目覚める前、夢境の中で花月さんの姿を見たわ。私の側に立って、自分の名前を伝えていた。だから、彼女の名前に聞き覚えがあったみたいね。それから、彼女は赦しを請うような、祈りのような言葉を延々と口にしていた。内容は朧気だけど、彼女は多分、自分の存在を消したがっていたと思う」

 話を聞いている内に、怒りの炎はすぐに燃え尽きた。母の考えを否定したかったが、花月が希死念慮を抱いていたという推測は、悲しくなるほど腑に落ちた。花月が時折放っていた暗い気配、病室で啜り泣く姿、彼女の両親や義兄に起こった不幸。今までに見聞きしてきた花月に関する情報が、彼女が死を望んでいた事を疑いようの無い物に変えていく。

 私が花月の手を借りずに立ちたいと思いを告げた時、花月は私の願いは遠くないうちに叶うと答えた。当時は彼女の言葉の意味が分からなかったが、今なら何となく分かる気がする。私に力を貸してくれていた花月の存在が消えれば、私は独りで立つしかなくなる。きっとそういう事が言いたかったのだろう。

 けれど、それは私の本当の望みでは無い。私は、私の足で花月の隣に並んで立ちたかった。私が独りで立てたとしても、花月が隣に居なければ意味は無い。

「陽波」

 思案に耽る私の名が不意に呼ばれた。

「花月さんは最期に『陽波を幸せにしてあげて下さい』と言っていたわ」

 母が、花月の遺志を代弁する。気付けば、両の瞼から涙が流れ落ちていた。静かに泣き続ける私を見て、母は優しい声で問い掛ける。

「花月さんを助けたい?」
「助けたいよ。でも……」
「方法はあるわ。私とあなたの力があれば」
「どうすればいいの?」

 母はしばらく私の問いに答えなかった。代わりに、痛切を感じさせる微笑みを浮かべていた。

「花月さんが変えた道を元の形に戻せばいい」
「元の形に?」

 不吉な予感を覚える。母が言いたい事はきっと……。私の頭の中で結論が導き出される前に、母はその方法を声に出していた。

「花月さんの代わりに、私がもう一度眠りに就けばいい」

 しばらく私は声を失った。その間、母は花月を目覚めさせる為の方法について、淡々と説明を続けていた。けれど、唐突に始まった頭痛と耳鳴りのせいで、殆どは聞き取る事ができなかった。説明をする母の声を遮るように、私は「嫌だ」と呟いた。

「母さんと花月を天秤に掛けたくない」
「天秤に掛ける訳じゃない。あるべき道に正すの」
「誰かを犠牲にして、別の誰かを救う事があるべき道なの?」
「私が眠りに就いたのは、私の過信が原因であって自己犠牲とは違うわ」

 母の思惑を覆す言葉が見つからない。返って、私の拒絶の意思が徐々に萎縮を始めている。

「……花月は本当に自分の事を消したいのかな?」
「彼女の本心が私を助ける事だったとしても、今の状況が正しいとは思えないわ」
「他に花月を助ける方法は無いの?」
「今は無いとしか言えないわ。夢境には多くの可能性があるけれど、花月さんが完全に意識を手放す前に彼女を助ける方法を見つけ出すのは不可能よ。残された時間が少な過ぎる」

 花月の為に、ようやく目覚めた母の事を再び眠りの淵に落としていいのか。十年も待ったのだ。しかし、母は眠りに就くだけで、命を失う訳ではないが、花月はこのままでは取り返しの付かない事になるかもしれない。

 それとも、花月が意図していたであろうこの現状を受け入れるべきか。花月の事を全て忘れて、家族の生活を取り戻す事ができれば、彼女が私に与えようとした幸福を潔く享受する形になるだろう。

 与えられた二つの選択肢に対して、言い訳がましい理由付けをしている自分に気付く。選択による悔悟を少しでも軽くしようとする利己的な思考を私は呪った。けれど、そうでもしなければ、どちらを選ぶ事もできない。

 私はどうすればいい。どうすれば……。何度も自問するが、答えを導けない。心の混迷に苦しむ私の姿を見据えながら、母は静かに息を吐いた。

「ねえ、陽波。あなたの思いを聞かせて欲しいわ。誰が傷付くとか、何を犠牲にするとか、損得に関わらないあなたの本心が聞きたいの」

 一拍置いてから、母はもう一度尋ねる。

「花月さんを助けたい?」

 全く同じ質問でも、先程とは比較にならないほど重い意味を持っていた。これは花月と母の運命を決める選択になるだろう。両方は選べない。私は嗚咽を堪えながら、掠れた喉を震わせて、やっとの思いで答えを口にした。

「……助けたい」

 私の答えを聞いて、母は優しく笑った。私は母を犠牲にする選択をしたのに。

「それなら助けましょう」

 自身に降り掛かるであろう暗い未来を払拭するような、力強い声で母は言った。私は母の決意の声を聞いて、後戻りができない事に気付いた。不意に溢れ始めた罪悪感が私の心を深く蝕んでいく。何もかもが苦しい。壊れてしまいそうだ。

「陽波、こっちに来て」

 唐突に母が私を呼んだ。従うまま、母が座るベッドの側に私は歩み寄った。途端に母の腕が私の体を捕まえる。その弾みで私は、母に抱き寄せられる形でベッドの上に倒れ込んだ。母は私の体をはひしと抱き締め、頭を撫でた。温かい抱擁の中でいつの間にか私は泣いていた。

「母さんを選べなくて、ごめんなさい」
「あなたが謝る事じゃないわ」
「それでも謝りたいの。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「やっぱり、あなたは私の娘ね」

 結局私は、母の懐の中で気が済むまで謝り続けた。涙が枯れる頃には、私の罪悪感は母の慈愛と混ざり合い、使命感に変わっていた。それから、私達は花月を救う為の計画について話し合った。

 父が病室に訪れたのは、丁度計画の話が終わった時だった。父の姿を目にした母が「少し航さんとお話させて」と言ったので、私は病室を出て飲み物を買いに行った。しばらくして病室に戻ったが、中から話し声が聞こえてきた。私は二人の話が途絶えるまで、廊下に置かれた長椅子に座って待っていた。数十分後、父が病室の扉を開けた。私と顔を合わせるや否や、父は神妙な面持ちで尋ねてくる。

「待たせたな、陽波。……何か母さんと話しておきたい事はないか?」
「大丈夫。今日で十分に話せたから」
「そうか」

 父はしばし沈黙した後、何かに気付いたように「そろそろ帰ろう」と言った。私達は母に別れの挨拶をしてから、父の車で家に帰った。私は行きと同じように後部座席に座った。助手席は母の席だと思っていたから、いつも座らないようにしている。帰り道、父との会話は殆ど無かった。私は父が母と何の話をしていたのか静かに考えた。

 母は恐らく、父にもう一度眠りに就く事を話したのだろう。父がどれくらい夢境の事を知っているかは分からない。ただ母が父と出会えたのは夢境のおかげだと話していたので、薄っすらと母が何をしていたのか理解しているような気もする。

 車が家に着いた直後、父は運転席から振り返らずに「陽波」と私の名を呼んだ。私は父がこれから話そうとしている事を既に察していた。

「もしかしたら、母さんから話を聞いているかもしれないが……」

 父は苦しそうな声色で母の将来について説明し始めた。私は何度も言葉を詰まらせる父の姿を見て、今まで直視しようとしなかった父の愛情を切に感じた。私は両親との深い繋がりを改めて認識した事で、自分の存在の仕方をより深く理解できた気がした。

 父は苦渋に満ちた現実を、時折途切れながらも語り続ける。父の口から言葉が漏れる度に、彼は悲痛な表情を強めていく。私はこれ以上、父に辛い思いをして欲しくはなかった。父の言葉が途切れる瞬間を狙って、私はある一言を放った。

「父さん、ごめんなさい」

 そして、もう一言。

「いつもありがとう」

 父は振り返って私を見た。驚愕、悲哀、困惑、その表情は複雑だった。たったの二言だったが、私の意思が父に伝わったという確信があった。

「……気にするな」

 微かに呟いた後、父は再び前を向いた。ハンドルの方へ傾けた上体が微かに震えている。

「私、先に行くね」
「ああ」

 父の返事を聞いた後、私は車を降りて家に入った。途中で振り返る事はしなかった。
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