夜明けの夢想者

四方山八方

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10.追憶

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 翌朝、夢境の母の病室。私達は花月を助ける為の準備をしていた。段取りを確認し、注意事項を母から伝えられた。あとは花月を助ける為の道具を手に入れなければならない。無数の鎖で封じられた花月の病室へ入る為の手形。そして、幻象から花月を救い出す為の手形。

「母さん、花月の病室に入る為の手形はどうすればいい?」

 問い掛ける私を一瞥した後、母はさり気なく「今から作るわ」と言った。私が問い直す前に母は小脇に抱えていた枕を粘土のように捏ね始め、最終的に手のひらほどの大きさの鍵を作った。呆然とする私を見て、母は得意気に笑った。

「経験を積めば、何だって手形にできるし、ある程度は自由に形を変えられるようになるわ。でも、今はこれが私の精一杯」

 母は少し大きな鍵を私に手渡した。質感は鉄のようだったが、決して重くはない。枕から作ったからだろうか。

「もう一つは……あなたの手形を見せて」

 私は母に言われて、ロケットペンダントを手のひらに置いた。ロケットを見て、母は少し目を丸くした後、「懐かしいわね」と微かに呟いた。母が指先でロケットに触れると、束の間火花のような光が瞬いた。

「今のは?」
「手形が花月さんを助けられる形に変わる手助けをしたの。あとは陽波次第よ」
「ありがとう、母さん」
「どういたしまして」

 不意に母はあくびをした。溌剌とした表情は失われ、ぼんやりとした視線を私に向けてくる。

「そろそろ限界みたいね」
「母さん……」

 弱々しく母を案じる声を上げると、母は私の肩を軽く叩いた。

「そんな情けない声を出さないの。花月さんに会う時は元気な姿でいなさい。それと、家族と話す機会をくれてありがとうと伝えて」
「分かった!」

 私は母に鼓舞され、芯のある声で答えた。それでも、心に巣食う切なさが消える事は無いが、決意は更に強固になる。

「いい返事ね」

 母はもう一度私の肩に手を置いた。私は母の手を両手で握ると、胸の前に動かし、祈るような形を作った。

「私、花月を助け出せたら、今度は母さんの事も助けるよ。夢境の事はまだ分からない事だらけだけど、沢山調べて、研究して、また父さんに会わせてあげるから」
「ありがとう、私の太陽。また夜明けを知らせに来てね」
「約束する。だから、おやすみなさい、母さん。また明日」
「おやすみ、陽波。また明日」

 私は母に誓いを立て、意志と活力を得た。この儀式は私と母の関係の糸をより強く靭やかな物に変えた。

 夢境は未知の領域と言えるが、未知とは可能性の群れだ。私の大切な人を直ぐ様助ける奇跡は無いかもしれないが、その足掛かりとなる道標の一つくらいは必ず転がっているだろう。世界を探究し、可能性の糸を手繰り寄せ、いつか必ず母を救ってみせる。そして今は、母の慈悲から得られた力によって、花月を救おう。

 心中で更なる誓いを立てた私は、静かに母の病室を後にした。扉の隙間から眠りに就く母の姿を垣間見る。穏やかな寝顔には微笑みが浮かび、私の前途を祝福しているように見えた。

 花月の病室の扉は、相変わらず鎖で雁字搦めにされており、あらゆる異物を拒絶する様相を保っていた。母が作り上げた鍵を扉の前に掲げた途端に、鍵は水色の液体に変化し、扉全体に染み込んでいった。次の瞬間、重厚な鎖と扉は水色の液体と共に溶け去り、廊下の方へ流れてしまった。扉があった場所には長方形の外枠だけが残されている。

「……母さんって何者?」

 魔法のような光景を見て、私は思わず呟いた。しかし、今は呆気にとられている場合では無い。解錠というよりは、溶解された扉の向こうへ足を踏み入れる。何処までも続いているような長い長い廊下が真っ直ぐに伸びていた。私は永遠を感じさせるその廊下を只管に歩き続けた。しばらく無心で歩みを進めていると、唐突に小さな人影が現れた。

「花月?」

 友人の名を声に出しながら、私はその人影に駆け寄った。しかし、その正体は私の知る人では無く、私よりも一回り年下くらいの少女だった。私の存在に気付いた少女の青みを帯びた瞳が、こちらを突き刺すように見据えてくる。肩口に切り揃えられた黒髪が微かに揺れている。小さな子供にしか見えない彼女は、しかし花月によく似ていた。

「あなたはだあれ?」

 少女が鈴のような声で誰何してくる。

「私は陽波、あなたは?」
「私は……あなただよ」

 少女の返答を耳にした途端、目眩に襲われた。私が覚束なくなった足元を何とか保っているさなかに、少女は祈りの所作を始め、あどけないながらも、慈悲深く厳格さを帯びた声を虚空に放った。

「天使の御手が我らの前途を導き賜いますように」

 少女が聖句を諳んじた後、視界が暗闇に呑まれ始める。そして、己の呼吸や鼓動の音すら聞こえなくなった。あらゆる知覚が徐々に失われていき、終いに私の意識は闇の彼方に消えた。


 ✦


 再び意識が芽生えた時、私は見知らぬ、しかし懐かしさを感じる部屋にいた。目の前には扉付きの大きなクローゼットが佇んでいて、私はそれを慣れた手つきで開けた。見ず知らずの場所のはずだったが、直感的に行動する事ができた。扉の内側に取り付けられた姿見が目に入る。そこに私の顔は映っていなかった。

 絹糸のように滑らかな黒髪が長く真っ直ぐに垂れている。幼気さの残る丸みを帯びた眼の中心には、微かに青みがかった黒い瞳が浮かんでいた。私の友人、三森花月。

 不可思議な夢境の力によって、三森花月の一部に白瀬陽波が重なってしまったらしい。今の私は白瀬陽波でありながら、三森花月だ。そう意識すると、知り得ないはずの記憶が脳裏に染み込み始め、私――ではなく花月が今居る場所が、花月が家族と共に住んでいた家なのだと認識できた。そして、花月は今、クローゼットの中に何かが落ちているのを見つけたらしい。

「なんだろう、この箱」

 花月が言いながら、小さな箱を拾い上げる。白と黒を基調にした化粧箱の中には、銀色のロザリオが入っていた。私はそれを知っている。しかし、ロザリオの正体を表す具体的な言葉が出てこなかった。花月の意識と感覚が重なった事で、私の記憶に何か影響が出ているのかもしれない。

 花月は拾ったロザリオをしばらく見つめていた。誰のものだろう。我が家にはロザリオを扱う人はいない筈だ。何故かは分からないが、鋭い光沢を持つ銀色の十字架を見続けている内に、胸の奥から懐かしさがこみ上げてきた。

「花月」

 不意に下階から名前を呼ぶ声が聞こえてきた。花月は手に持っていたロザリオを部屋着のポケットに入れると、慌てて階段を降り、ダイニングルームに向かった。部屋の中央に置かれた食卓には色とりどりの小奇麗な皿が並び、それぞれに種々の料理が載せられている。そして、父母と兄が既に食卓を囲んでいた。花月は悪事を隠すようにそそくさと席に着いた。

 着席した直後、私の自己が何か大きな流れに取り込まれるような感覚に陥った。私は白瀬陽波か、それとも三森花月か。自問すると、意識がより深く混ざり合う。二つが一つになっていく。多層化していた精神が整理され、統一されていく感覚は『私』に両義的な感情――安堵と恐怖をもたらした。

「どうしたんだ、花月? いつもなら一番に座っているのに」

 年の離れた兄――三森葉一が口元を緩ませ、揶揄うように言ってきた。私は「別に」と素っ気なく答えた。

 葉一への態度が冷たいのは、彼の事を嫌っているからではない。むしろ私は葉一の事を尊敬している。葉一は常に朗らかな表情で場を和ませ、溌剌とした言動で周囲を導く。誰に対しても親切で、どんな物事にも真摯に取り組む。そして、救助隊の一員として多くの人命を助けている。そんな人間と接すれば、誰だって一目置くだろう。私の中で葉一は、人間としての一種の理想像だった。また同時に羨望と嫉妬の対象でもあった。それ故に、葉一に対しては小さな反抗心を持って接してしまう事がしばしばあった。

「熱でもあるんじゃないか?」
「なんでもないって」

 執拗い追及に苛立ち、隣に座るひょうきんな男を睨みつけた。

「本当に大丈夫? どこか具合でも悪かったりしない?」

 病人を気遣うような口調で私の母――三森咲子さきこが話し掛けてくる。葉一は申し訳無さそうに「すまん」と小声で呟いた。母の心配性は家族全員が認めるほど強力で、私はこれから自身の体調に関する十数個の質問を立て続けに尋ねられるだろうと覚悟した。葉一も面倒な状況を引き起こしてしまった事を良く理解していて、私に小声で謝ってきたのだ。専業主婦をしている母は難なく家事をこなすし、かつては料理人をやっていたので、料理に関しては家族の誰もが文句の一つも言える事は無い。しかし、今に見る余計な心配性だけは私の中で気に入らない部分であった。

「大丈夫だよ、母さん。明日どんな服を着ていくか迷っていただけだから」
「それならいいんだけど……」

 母は何処か納得がいかない様子だった。きっと更なる質問が飛んでくるぞと身構えていると、仕切り直すように父が――三森樹が軽く咳払いをした。

「なあ、そろそろ食べ始めないか? 折角、咲子さんが作ってくれた美味しい料理が冷めてしまうよ」
「それもそうね。うん、そうしましょう」

 料理を褒められて気を良くしたのか、母は手のひらを返すように私に向ける意識を失った。少し寂しい気持ちもあるが、母の質問攻めを素直に受け入れていたら、夕食にありつくのはきっと真夜中になってしまうだろう。

 会社役員として務めている為か、父は場をまとめるのが上手い。細かい所まで人をよく見ていて、私も父に言われて自身の素質に気付いたりした事もある。だが、人の感情の機微を読む能力が欠けているのか、余計な事を口にしがちである。父の配慮の無い指摘が癇に障った経験は、家族なら誰もが味わっている事だろう。

 私の家族。本当に大切な家族。けれど、私はこの家族というものに対して何故か違和感を覚えていた。その理由を確かめるように、私はさり気なくポケットの中にあるロザリオに触れた。豪勢な食事を前にして、家族一同が手を合わせるさなか、頭の中を切り裂くような痛みが駆け巡る。激痛が過ぎ去ったのち、私の脳裏にとある言葉が浮かんだ。

「天使の御手が我らの前途を導き賜いますように」

 誰かが食器が落としたのか、フローリングの床が甲高い悲鳴を上げた。そして、私の意識は再び闇の中に途絶えた。
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