私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜

日室千種・ちぐ

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婚姻謝絶

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「申し訳ございません。許されるのであれば、お断りさせてください」

 ジョゼットは、できる限り低く腰を落とし、頭を下げた。淡い紫のドレスに絹糸のような金褐色の髪がこぼれ落ちた。
 ジョゼットは使用人ではない。だが本来なら逆らうことなど許されない、身分と立場の差がある。

 人払いされた執務室に重たい吐息が響いたが、部屋の主のゼンゲン侯爵はすぐに自らその空気を打ち消した。

「もとより、他家から預かった令嬢に我が家の嫡男との婚姻を勧めるのは、マナー違反。はじめに無理を言ったのはこちらだ。断ってくれて構わない。ただ、理由は聞いてもいいかね?」

 ジョゼットの父親だったなら、きっと即座に娘の頬を張っていただろう。だが、騎士総長という、軍において国王に次いで高い地位にある侯爵は、娘ほどの年齢の分家の娘に、丁寧に問いかけた。
 いかなる時も威風堂々とした侯爵が、今は年相応の疲れを滲ませている。

 その憔悴ぶりを見て、ジョゼットはもう一度頭を下げた。断ることへの罪悪感に胸が痛む、けれど引っ込めるわけにはいかず、かといってずけずけと返答できるはずもない。

「頭を上げて。思うところを正直に言って欲しい。君から聞いたことで怒ったりはしないと約束しよう。私は、ただ知りたいのだ。あいつの悪い噂もわかっているが、きっと君が断るのは、噂が理由ではあるまい。……ああそうだ、それを私に語るのを、断る条件としよう」

 躊躇っているうちに、ジョゼットの逃げ道が塞がれた。断る条件にされてしまっては、失礼なことを言いたくないからと、ごまかしてやり過ごすこともできなくなった。
 それでもなお、上辺だけの回答をすることもできただろう。
 だが、ジョゼットは自分に求められていることを敏感に悟る性質だったので。
 覚悟を決めた紫の目で、侯爵を真っ直ぐに見つめた。

「……包み隠さず申し上げます。お断りするのは、決して、ランドリック様に関するお噂を信じたからではありません。何人もの女性と親密だという噂は今ははっきりと嘘ですし、従姉妹君に横恋慕のうえご夫婦仲を邪魔しているという噂も言いがかりです。そのことは、この四年、ランドリック様の近くで過ごす時間をいただいたおかげで、よく存じております。
 ――ただ。ランドリック様は、私のことを女性としては見ておられないことも、よくわかっているのです。私ではランドリック様のお相手として力不足です。大変心苦しいのですが、お許しくださいませ」

 侯爵が瞠目したのは、理由そのものより、ジョゼットの明確な物言いのためかもしれない。
 人の言いたいことを察し過ぎるのも、それに応えることのできる明晰さも、両親をはじめ年長者から、令嬢らしくないとたびたび窘められてきた。だからジョゼットは、滅多にこんな喋り方はしない。

「なるほど、だが、まさかそんなことはないだろう。ランドリックは君にとても心を開いている。君なくして、今のあいつはいないことを、よくわかっていると思うが」

 侯爵がそこまで言ってくれるとは想像もしておらず、今度はジョゼットが驚いた。
 慰めようとしてくれたのだろうか。
 それは確かに事実を含んでいるとジョゼットも思う。ランドリックは確かにジョゼットに心を開いてくれている。

 けれどやはり、肝心のところは変わらない。

『ご子息は、きっと家族でも女性でもない、犬か猫のように私を認識していると思います。動物と触れ合ったり、話の聞き手になってもらうことで、心の安定が得られることが実際にあるそうですよ。ご存知ですか?』

 喉元までせり上がった言葉を呑み込んだのは、少年であれば将来が楽しみだと目を細められる小賢しい物言いが、少女であれば疎まれるだけだと知っているからだ。
 ジョゼットは今度こそ沈黙のまま、震える膝を励まして静かに礼をとり続け、やがて侯爵に許可され退室した。

 初めて招き入れられた侯爵家当主の執務室。ジョゼットが入る機会は、もうないだろう。
 とても重厚でいて、雅な趣の部屋だった。ランドリックの執務室もよい誂えだが、やはり部屋の格式が違う。

「もう少しゆっくり見てみたかったわ」

 そんなことを呟いてみて、心を落ち着けようとするが、胸の切ない震えはおさまらない。
 仕方ない。

 今、ジョゼットが婚姻を打診されてお断りした相手、ランドリック・ゼンゲンは、ジョゼットの好きな人だったから。
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