私が育てたのは駄犬か、それとも忠犬か 〜結婚を断ったのに麗しの騎士様に捕まっています〜

日室千種・ちぐ

文字の大きさ
2 / 22

ランドリックという騎士

しおりを挟む

 ランドリック・ゼンゲンは、王国騎士団、空翔馬部隊の若手として活躍したのち、未来の騎士総長と見込まれて上級騎士となり経験を積み、先年、騎士団本部付き参謀官となった。今は子爵を名乗るが、いずれは侯爵家を継ぐことも決まっている。
 今年28歳、見目麗しい外見は年とともに色気を纏い、洗練された物腰は余裕ありげなものとなり、鍛えられた身体は若いころと変わらず引き締まっている。
 いまだに、年若い令嬢から年上の貴婦人まで幅広い層に大人気で、縁談も秋波も途切れることはない。男性陣からは早く身を固めてほしいと突かれるそうで、放っておいてくれればいいのにと本人はよくぼやいている。

 そのランドリックとの婚姻を持ちかけられたジョゼット・オスワランは、行儀見習いとして侯爵家に滞在している、侯爵家の分家に当たる子爵家の娘だ。
 ゼンゲン侯爵も言及した通り、身元を引き受けている娘を自家の子息と結びつけるのは、不行状を連想させて、かなり体裁が悪い話だ。
 本来はジョゼットも、ランドリックと接点などないまま、ふさわしい相手を紹介してもらって侯爵家から嫁いでいたはずなのだが。




「私たちの手に負えなかったことを押し付けて、貴方は期待以上のことをしてくれたのに、さらに勝手に夢を見てしまったようね。申し訳なかったわ」

 侯爵夫人は真摯に謝罪をくれたが、いかにも残念という息をついた。

「貴方には感謝しているの。夫と同じで貴方の意志を尊重します。だから、これは老人の戯言だと思って欲しいのだけど。……貴族の結婚に、愛は必ずしも必要ではなくってよ。好意で十分、誠実であれば理想的。長く一緒にいれば、愛情は生まれるわ」

「……はい、わかっております」

 ジョゼットはしおらしく返事をしたが、意志は変わらないのはお見通しだったらしい。夫人はもう一つため息をつく代わりに、ぐっと背筋を伸ばして扇を片手に打ちつけた。

「私の繰り言はこれでおしまいにしましょう。私のわがままに付き合わせるのだもの。その結果を見て、それで私も諦めるわ」

 そう言いながら、夫人の目は希望を失っていないように見える。
 侯爵家を切り盛りする夫人は、常に侯爵を立てて、表にはあまり出ないが、決断力と根気がある。つまり、一度決めたことは容易には曲げない。

 侯爵の執務室を辞したジョゼットを追いかけるように現れた夫人は、本当に断る前に一度だけ試して欲しいことがあると、ジョゼットの協力を求めてきた。
 侯爵家預かりの身としては、夫人は母も同然だ。
 ジョゼットから見た夫人は、女性ながら様々な侯爵家の事業に関わる眩しい存在でもある。しかもドレスを譲られたり、たびたび内輪のお茶会に招いてもらったりと、とても良くしてもらってきた。

「ランドリックに、会いに行きましょう。本当に貴方のことを女性として見ていないのか、確かめましょう」

「……はい」

 断る選択肢は、ない。
 どう確かめるのかはわからないが、ジョゼット自身のためにも、はっきりしていいかもしれない。
 ジョゼットは促されるままに馬車に乗った。






「あら、あれランドリックじゃない? あの子、本当に実働が好きなのね。城まで行かなくて済んでよかったわ」

 侯爵夫人の呟きに馬車の外を見ると、ちょうど都で一番大きな公園の前に、数人の騎士が額を寄せ合っていた。
 うちの一人の騎士服と肩章の色が違う。細身の体格は騎士たちの中にあっては目立つわけではないが、ジョゼットの目にも、その後ろ姿は他とは違って見えた。

 夫人の意図を受けて、同乗していた侍女が馬車を止めさせた。
 侯爵家で一番大きな馬車には、夫人と、夫人の友人と言ってもよい侍女がひとり、本当のご友人が二人、そしてジョゼットの、合わせて五人が乗っている。
 ランドリックに会いに行くだけではつまらないからと、順に友人の家を周り、今ようやく城に向かって走っているところだったのだ。
 ゆるゆると止まった馬車にランドリックはすぐに気がつき、他の騎士に断って近づいてきた。

 纏めた淡い金の髪が風に流れる。明るい緑の目。騎士服が引き立てる、鍛えられた牡鹿のような体躯。見慣れている者でも、目を奪われてしまう存在感。
 小さな窓からも眩く感じる青年に、ジョゼットもまた皆と一緒に魅入られているうちに。
 馬車の扉を侍従が開ける時には、ランドリックはすでにそこに立っていた。
 最初に夫人、続いてわらわらと降りる貴婦人たちを、手袋を嵌めた手で優雅にエスコートする。
 その所作も、微笑みも、それを照らす陽の光も、完璧に計算された絵画のようだ。
 歴戦の貴婦人方も、頬が緩んでいる。
 見目麗しい騎士の効果は凄まじい。

 ところが。唇の端に僅かに乗っているだけだった笑みが、最後にジョゼットが顔を覗かせると、弾けるように顔中に広がった。

「ジョゼ! 母上に付き合ってくれてるのか?」
「……はい、お誘いいただいて」
「そう」

 ランドリックの弾んだ声に、遠くの騎士たちが振り返った。さざめいていた貴婦人たちも、ひたりと静まり返る。
 公園前の広い馬車寄せには他にもそれなりの人がいて、ざわめいていたはずなのに。
 急に誰もが、時間が止まったようになった。
 皆がランドリックに注目する中で、侯爵夫人の視線だけが、ジョゼットの肌を焼く気がした。

 これは、違う。そう言ってまわりたくなったが。
 慌ててはいけない、とジョゼットはランドリックに微笑み返した。
 そしてその唇の間から、二人にしか聞こえない声をそっと出す。

「ランドリック様、公の場ですので今は」
「わかってる、今はマナー通りが正解だ」

 そう言ったそばから。
 一瞬、緑の目を悪戯げに輝かせて、ランドリックは無遠慮に手を伸ばし、ジョゼットの細い腰を掴むと、ふわりと弧を描くように移動させて地面に下ろした。

「ランドリック様!」
「エスコートのひとつだよ?」
「嘘ですっ。笑ってるもの」

 周囲の視線は、いまやジョゼットにも、痛いほど注がれていた。
 まさか、女性のエスコートにかけては完璧なランドリックが、こんな戯れをするとは。
 噂が怖いことを知っているはずなのに。あるいは、ジョゼットとなら噂など立たないと思っているのだろうか。
 二人の間に男女らしいことの気配すらなければ、周囲から見てもそう・・だと、単純に考えているかもしれない。

 こうして侯爵家の外でランドリックと会うのは初めてだ。けれど、そういった想定はしておくべきだった。
 今、ランドリックがジョゼットと適切な距離を保ってないのは、自分が至らないからだ。
 ジョゼットは目の前が暗くなる心地だった。

 ランドリックはその様子に、少し考えるように首を傾げた。
 憂うように伏せられた睫毛の影が、頬に落ちた。

「ジョゼ、疲れてる? 顔色が少しよくない」

 たしかに、すでに一時間ほど馬車に揺られて、ジョゼットは少し酔っていた。
 けれど、今ジョゼットが青ざめているのは、ランドリックが一番の原因だ。

「ランドリック、ジョゼットを困らせてはいないでしょうね? 貴方がそんな風に女性を扱うのを見て、皆さんも驚いてるわ」

 夫人が、至極真っ当な注意を装って、ランドリックを誘導しようとした。
 ランドリックがジョゼットを特別な女性としてこの場で紹介すれば、さきほどのジョゼットの拒絶など、無かったことになるだろう。
 ひやり、とした。
 やはり侯爵夫人は諦めていなかったのだ。

 しかし、ランドリックはこれをさっぱりと否定した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】転生したら悪役継母でした

入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。 その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。 しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。 絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。 記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。 夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。 ◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆ *旧題:転生したら悪妻でした

婚約破棄された悪役令嬢、手切れ金でもらった不毛の領地を【神の恵み(現代農業知識)】で満たしたら、塩対応だった氷の騎士様が離してくれません

夏見ナイ
恋愛
公爵令嬢アリシアは、王太子から婚約破棄された瞬間、歓喜に打ち震えた。これで退屈な悪役令嬢の役目から解放される! 前世が日本の農学徒だった彼女は、慰謝料として誰もが嫌がる不毛の辺境領地を要求し、念願の農業スローライフをスタートさせる。 土壌改良、品種改良、魔法と知識を融合させた革新的な農法で、荒れ地は次々と黄金の穀倉地帯へ。 当初アリシアを厄介者扱いしていた「氷の騎士」カイ辺境伯も、彼女の作る絶品料理に胃袋を掴まれ、不器用ながらも彼女に惹かれていく。 一方、彼女を追放した王都は深刻な食糧危機に陥り……。 これは、捨てられた令嬢が農業チートで幸せを掴む、甘くて美味しい逆転ざまぁ&領地経営ラブストーリー!

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

処理中です...