9 / 22
忘れる時間をください
しおりを挟む当主直々の、しかも嫡男との縁談を断ったのだ。いくら許すと言われても、厚顔に今まで通り居座るわけにはいかない。
かといって侯爵に別の縁談をお願いするのも憚られ。
だからジョゼットは、あの翌日には実家に手紙を出して、訳あってゼンゲン侯爵家とは独自に縁談を用意して欲しいと願い出たのだ。
もちろん、手紙を出してすぐに、侯爵夫妻には意志を伝えた。気にしなくて良い、それならばこちらでよい縁を探そうと引き留められ、夫人には泣かれてしまって、ジョゼットは居た堪れなかったが、押し通した。
頼ってしまっては、侯爵夫妻は必ずよい相手を紹介してくれるだろう。それでは、ジョゼットの目論見も上手く行かないかもしれない。
そういえば夫人は、この従姉妹とは親子というより歳の離れた姉妹のように仲がいい。十中八九、夫人から話が伝わったのだろう。
それを、従姉妹はわざわざジョゼットのいない時にランドリックに話したらしい。
余計なことをするとよくランドリックに怒っている従姉妹も、実は大概おせっかいなのだな、とジョゼットはぼんやり思った。侯爵家の人々は、皆、心根が温かい。
「ジョゼ! ジョゼ、嘘だろう、いなくなるなんて。実家に縁談をお願いしただって?」
応接室の開け放たれた入り口からジョゼットが入ると、気がついたランドリックが、一足飛びに迫ってきた。
目の前でふわりと淡金の髪が揺れて、ランドリックの香りがジョゼットを包む。
先日、もっと間近で吸い込んだ時には、肌に馴染んだ温かな香りだったことを思い出した。
「私も十八になるので、どなたかには嫁がないといけません」
ランドリックに引き止められて、予想よりも喜んでいる自分に、ジョゼットは驚いた。
ジョゼットに依存しているかのように頼っていても、ランドリックは必要な時はいくらでも冷静に線引きができる。貴族令嬢にとって嫁ぐことが重要な務めだというのは、教本にも載っていること。ランドリックも、知っていることだ。
だからきっと、最後には見送られてしまうけれど。
それでも、一度でも引き止めてもらえたことに、じわじわと、胸に温もりが広がった。
嬉しかった。
男女ではなく。おそらく女性としても従姉妹よりは遠く、癒やしをもたらす犬を愛でるような関係に過ぎなくても、手放すのは惜しく思ってもらえたのだと。
けれど、ジョゼットは、いずれ自分が夫に女として見られないことに不満を募らせ、寂しさに苛まれるようになるのが、とても恐ろしい。
大貴族である侯爵家の夫人として何一つふさわしいものを持たないジョゼットだ。夫にすら真の意味で求められていないとなれば、心の疲弊は大変なものになるだろう。
きっとランドリックに八つ当たりをして、当惑させて、全て嫌になって、時間を積み重ねて作ってきた関係をすべて壊してしまうかもしれない。
そうして、結局ランドリックは人を理解できないのだと思い込ませて、悲しませてしまうだろう。
そんなことは、許せない。
許せないのに。
そんな激しさが自分にあると、ジョゼットはしっかり理解していた。
自分で自分を制御するには、ジョゼットは自分に自信がなく、そして恋をしすぎている。
引き止めてもらえて温まった心で、ジョゼットはいっときのお別れです、と言った。穏やかに、言うことができた。
「あの、一度結婚はしますが、その後は、侍女として侯爵家で雇っていただければなと思っています。私、家で大人しくしているより、外向きに働いて生きていく方が合っていると思うので」
「一度、結婚? 侍女?」
「はい、どなたかと結婚して数年経つか、嫡子を産んだら。その後なら、好きなことをしていいと言ってもらえるかもしれません」
父親の悪友の男やもめや、もっと年上で妻を自分の靴に例えるような老人が、そんな事を言うとは思えなかったが、ジョゼットだって黙って押し込められるつもりはない。最悪、どうにかして婚家から逃げ出そうと思っている。そのために、侯爵家ではなく実家を頼ったのだ。
自由のために足掻くのだ。侯爵家の嫡男の執務室での耳学問が、役に立つかもしれない。いや、やってやろうと思うし、できる気がしている。
少なくとも一度嫁げば社会的に大人と目される。自分の意志を強く示すことができるはずだ。
ジョゼットが諦めなければ。きっと、いつか。
だから。
もしも、恋心が色褪せて、今の健全で適切な距離を保つ穏やかな関係を、ジョゼットが心から受け入れられるようになったなら。
今度はもっと長く、一緒にいられる関係を見つけられるかもしれない。
「待って。好きなことをしたいってこと? 好きなことって、うちで雇われることなの? それなら今すぐでいい」
「未婚の貴族女性を、貴族家では雇いません。ゼンゲン侯爵家にも既婚であることが雇用の条件にあったはずです」
「なら俺が個人的に雇う。それなら、そんな条件はない」
ジョゼットは困り顔になった。
「貴族男性が個人で女の使用人を雇うと、愛人だとみなされます。男性が独身のうちは、そういったことは外聞が大変悪く、男性側も社交界で爪弾きにされてしまいます。まして、仮にも貴族女性を雇うなんて、その後一生、まともな貴族として見てもらえないかもしれません。だから、ダメですよ」
マナーの教本には不道徳すぎて載っていないのだろうが、わりとよくある話。とはいえ、これをランドリックに説明するのは、気が進まなかった。おそらく、彼基準の合理性に照らし合わせれば、すべてが納得や理解の外だろうからだ。
どう話すか、実際の判例や事件はあるか。せめて少しは準備してから説明したかった。
けれど、こうなっては仕方ない。言い募るしかない。
「それに、私は使用人の経験はありませんので、家の切り盛りを経験するか、別のお家で経験を積んでからでないとお役に立てません。なので、雇っていただけるのでしたら、十年以上先の……」
言いながら、ジョゼットの言葉は尻窄みになった。
ランドリックの顔が、恐ろしく渋い。世界で一番嫌いな食べ物を食べている子供のようだ。鼻の頭に、シワまで寄っている。
四年で一度も、見たことのない表情。
「必要な配慮なことはわかった。わかったが、……君の結婚は」
ランドリックは絞り出すようにそう言った。
渋い顔が時間と共にどんどん渋くなっている気がするが、すぐに「ジョゼが言うなら」と受け入れてくれるだろうと、ジョゼットは予想した。
これまで、ずっとそうだったように。
だが、ランドリックが呟いたのは。
「やっぱり、嫌だな」
それきり、むすりと黙り込んでしまった。
25
あなたにおすすめの小説
ストーカーに狙われたので歳上騎士様に護衛をお願いしました。
ねーさん
恋愛
「氷の彫刻」と呼ばれる美貌の兄を持つ公爵令嬢のクラリッサは不審な視線に悩まされていた。
卒業を二日後に控えた朝、教室のクラリッサの机に置かれた一通の偏執狂者からの手紙。
親友イブを通じてイブの婚約者、近衛騎士団第四分団員のジョーンズに相談すると、第四分団長ネイトがクラリッサのパートナーとして卒業パーティーに出席してくれる事になって───
〈注〉
このお話は「婚約者が記憶喪失になりました。」と「元騎士の歳上公爵様がまさかの××でした!?」の続編になります。
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
ホストと女医は診察室で
星野しずく
恋愛
町田慶子は開業したばかりのクリニックで忙しい毎日を送っていた。ある日クリニックに招かれざる客、歌舞伎町のホスト、聖夜が後輩の真也に連れられてやってきた。聖夜の強引な誘いを断れず、慶子は初めてホストクラブを訪れる。しかし、その日の夜、慶子が目覚めたのは…、なぜか聖夜と二人きりのホテルの一室だった…。
恋詠花
舘野寧依
恋愛
アイシャは大国トゥルティエールの王妹で可憐な姫君。だが兄王にただならぬ憎しみを向けられて、王宮で非常に肩身の狭い思いをしていた。
そんな折、兄王から小国ハーメイの王に嫁げと命じられたアイシャはおとなしくそれに従う。しかし、そんな彼女を待っていたのは、手つかずのお飾りの王妃という屈辱的な仕打ちだった。それは彼女の出自にも関係していて……?
──これは後の世で吟遊詩人に詠われる二人の王と一人の姫君の恋物語。
公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる
夏菜しの
恋愛
十七歳の時、生涯初めての恋をした。
燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。
しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。
あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。
気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。
コンコン。
今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。
さてと、どうしようかしら?
※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。
このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。
若松だんご
恋愛
「リリー。アナタ、結婚なさい」
それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。
まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。
お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。
わたしのあこがれの騎士さま。
だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!
「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」
そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。
「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」
なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。
あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!
わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる