10 / 22
これはなんだと騎士が問う
しおりを挟む黙り込んだといっても、時折口を開いてはまた閉じるを繰り返している。
慎重に言葉を吟味しているようだ。
つい先程まで従姉妹と軽快にやり合っていた様子とは、天と地の差。
やはり、心のままに向き合えるのは、ジョゼットではないのだ。
ジョゼットの心の隅で、迷子なのに強がっていた小さな子供が一粒涙をこぼした。父親に否定されても、女らしくないと言われても、じっと泣かないままでいられたのに。
ランドリックが自分の心を鍛錬し続けたのに比べて、ジョゼットの本当の心は、頑なで小さく、そして脆い。
「……ジョゼ」
ようやく、ランドリックが声を発した。
「ジョゼ」
俯いたままのジョゼットを促す、二度目の呼びかけ。
仕方なく顔を上げて、ジョゼットは驚いた。
想定していたのは。
ジョゼが言うならわかったよ、という言葉。
そしてきっと、いつも見せてくれる、まるで自分の手柄のように誇らしげな笑み。
それでお別れが決まる。きっとそうなる。
けれどもしかすると、もう一歩進んでしまって、ジョゼットを令嬢扱いするかもしれない。
実家から迎えが寄越されれば、ジョゼットはもう、侯爵家預かりではない。他家の令嬢で、間違いはない。
ランドリックは顔を上げたジョゼットに向かって丁寧に膝を折り、初めて会った時のように完璧な笑顔で、手の甲にキスをして。
「良い縁談に巡り合うよう、心から祈ってるよ」
そう、言うかもしれない。
二人の間の四年間などなかったかのように。
ジョゼットはあまりの喪失感に耐えられず、叫んでしまいそう、だったのに。
ランドリックは、笑みどころか、途方に暮れた顔をして顔色悪く息も浅く。まるで悪夢に飛び起きた子供、いや、子犬のような哀れな有様だった。
ジョゼットが、思わず手を伸ばしてしまうほど。
けれど二人の間に保たれていた適正な距離のせいで、指先はどこにも触れずにきゅっと握り込まれた。
ランドリックはそれを、クン、という鳴き声が聞こえてきそうな悲しげな目で見ていた。
「ジョゼ、教えて。さっきから俺の胸の奥、鳩尾の上あたりが、焼いた剣で刺したように熱くて痛いし、そのせいか思考が不快でねばついている。これはなんだろう」
ランドリックが、大きな手で自分の胸の真ん中を握った。そこが、潰れそうなのだと。
「俺の立場では、君が幸せになれるかどうかを考えなければならないのに、自分のこの苦しさだけに意識が向く。今、君が近くにいる幸運を、絶対に、何をしてでも手放したくないと思う。これはなんだろうか」
教えてくれと、ランドリックは胸に当てていた手で、ジョゼットの手を捕まえた。
子犬に見えていたのに、ジョゼットが諦めた距離をあっさりと飛び越した。
いつものようにジョゼットの手首を上から掴んで、初めて、その細さに驚いたように手を緩めた。それから、手を滑らせて移動させ、掌同士を重ねて下から捧げ持つようにした。
すると、騎士らしい固い手にジョゼットの手は甲まですっぽりと覆われる。少し手を引いても、びくともしない。
決して逃さないように捕まえながら、まるで懇願するように、太い親指が華奢な手首の骨をゆっくりと撫でる。
今までされたことのない甘い拘束に、ジョゼットは首まで真っ赤になった。
もうすでに、熱烈な告白を受けた気分になって、酔ったように頭が空回りしている。
ランドリックは、ジョゼットの答えを待っていた。親指とは別人格だと言わんばかりの、恐ろしく真面目な顔で。
答えなければ、納得してもらえなそうだと気がついて、ジョゼットは一層頭が働かなくなった。
ただ、一つ決めていることがある。
ジョゼットは、ランドリックに嘘をつかない。
嘘をつくと、それがランドリックの中では偽の前例として刻まれる。そしてずっと後の人生でもその前例に惑わされるかもしれない。
学びと積み重ねで人との共感を探っているランドリックにとって、それは酷すぎる。
かといって、ではなんと言えばいいのだろう。
それは、恋です?
それは、好きということです。
それは……。
どれもこれも、面映くてとても言えない言葉ばかり。
ジョゼットだって、少々洞察に優れていても、実体験はランドリックへの淡い気持ちしか知らない、初心者だ。
「大切にしたい気持ちとか、幸せになって欲しいとか、一緒にいて楽しい心地いいとかは、きっと友情とか親愛とか呼ぶのだろう? そんな気持ちなら、ずっと前からジョゼに対して持っていた。だがこれは違う」
いよいよ、逃げ道を塞がれてきた。
このままでは、追い詰められる。
苦し紛れに、ジョゼットはほんのわずかに芯を外してすり抜けようとした。
「――それは、執着です、ランドリック様。ランドリック様は、私を、その、気に入っていて、独占して側に置きたいと、思っていらっしゃる……のかもしれません」
「執着? 人でも物でも執着したのは初めてだ。こんなに、ドロドロとした気持ちなのか。そうか、執着は避けるべきと古典にもある教えは、このためか」
「ドロドロ? あの、あまり生々しいことは、口に出されないほうがよいかもしれません」
そういう内面の話は、どんな話であれ、大きな弱みにもなり得るから。
なにより、ジョゼットが恥ずかしくて死にそうな予感がする。
なのに。
「そうかわかった、気を付ける。で、そのドロドロというのはだな」
「わかってない! わかってないですね! 他人に聞かせるものではありませんよ」
しれっと説明しようとするランドリックを遮って、ジョゼットが叫んだ。
少し考えたランドリックは、閃いたという顔をした後、ジョゼットの手を引いて応接室を出た。
息を潜めて固まっていた従姉妹はジョゼットたちを食い入るように見ていたが、それを振り返りもしなかった。
ざかざかと歩いて執務室に辿り着き、ジョゼットを奥に導くと、扉に戻ってひたりと閉め、鍵までかけた。
いつもと同じ執務室に、二人きり。
けれどいつもと違って、飼い主に呼ばれた犬のように戻ってきたランドリックは、いつもの二人の距離を飛び越え、ジョゼットの両手を優しく拘束した。
「これでいいだろう? もうジョゼしか聞いてる人はいない」
またも、察しのいいジョゼットにはわかってしまった。
ランドリックにとって、ジョゼットは紛れもなく一番近くにいる女性なのだ。
どんな自分を見せても大丈夫だと信じているのだ。けれどそれでも、相手にどう聞こえるか真剣に考えて言葉を選ぶ。
従姉妹よりも内側にいて、従姉妹より失えない存在。
よくわかった。
癒しの動物扱いだとか、男女の情が生じ得ないとか、随分と勝手に失礼なことを考えていたものだ。
いや、あるいはランドリックは、ジョゼットよりも遅れて、今、ゆっくりと自分の気持ちを知ろうとしているのかもしれない。
「まだ、今も酷くドロドロとしている。この執着のせいで、君の意志を無視してでも、思い通りにしたくなる。滅多にない暴力的な気持ちだ」
恐ろしいことを言いながら、その手は優しい。決して力を入れすぎないように、ジョゼットを繋ぎ止めている。
ランドリックがその手を胸に当てたので、引っ張られてジョゼットの両手もたくましい胸に当たる。その中で力強く打つ、鼓動に触れる。
近い。
ジョゼットは、吐息まで絡め取られる気がして身を引いたが、その分ランドリックが詰め寄った。
「俺は、君が隣にいるのが当然だと思っていたから、その形は何だってよかったし、君が婚姻を望まないなら、他のどんな関係だってよかったんだ。――だけど、別の誰かの元に行ってしまうと思ったら、急に、体の底から粘ついたものが吹き出てきたよ。
執着って怖いね。手に入らないなら壊してしまいたいなんて、何に対しても思ったことなんかなかったのに。
そうしてもいいくらい、手元にいて欲しい。でも、今の君を失いたくはない。いつでも、いつまでも見ていたいし、笑ってて欲しい、なのに、壊して泣かせてもみたい。ぐるぐる、ドロドロする。――これが、本当に執着?」
ジョゼットの様子にお構いなしに喋ってから、ランドリックは口づけを乞うように、覗き込んできた。
端正な顔立ちの中、いつもより鋭い輝きを宿した緑の目と目が合う。
日頃は明るい森のような色をしたランドリックの目が、今は深い淵の色に見えた。
瞳孔が、大きく開いているからだ。
その丸く暗い穴に、呆然としたジョゼットが、閉じ込められている。
ごくりと唾を飲み込んで、ジョゼットは覚悟を決めた。
逃げられない。
ごまかせない。
嘘をつくつもりはない。
ならば、正直に対話するのみだ。四年間そうだったように。
18
あなたにおすすめの小説
傷跡の聖女~武術皆無な公爵様が、私を世界で一番美しいと言ってくれます~
紅葉山参
恋愛
長きにわたる戦乱で、私は全てを捧げてきた。帝国最強と謳われた女傑、ルイジアナ。
しかし、私の身体には、その栄光の裏側にある凄惨な傷跡が残った。特に顔に残った大きな傷は、戦線の離脱を余儀なくさせ、私の心を深く閉ざした。もう誰も、私のような傷だらけの女を愛してなどくれないだろうと。
そんな私に与えられた新たな任務は、内政と魔術に優れる一方で、武術の才能だけがまるでダメなロキサーニ公爵の護衛だった。
優雅で気品のある彼は、私を見るたび、私の傷跡を恐れるどころか、まるで星屑のように尊いものだと語る。
「あなたの傷は、あなたが世界を救った証。私にとって、これほど美しいものは他にありません」
初めは信じられなかった。偽りの愛ではないかと疑い続けた。でも、公爵様の真摯な眼差し、不器用なほどの愛情、そして彼自身の秘められた孤独に触れるにつれて、私の凍てついた心は溶け始めていく。
これは、傷だらけの彼女と、武術とは無縁のあなたが織りなす、壮大な愛の物語。
真の強さと、真実の愛を見つける、異世界ロマンス。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
王子様と乳しぼり!!婚約破棄された転生姫君は隣国の王太子と酪農業を興して国の再建に努めます
黄札
恋愛
とある王国の王女として転生したソフィアは赤毛で生まれてしまったために、第一王女でありながら差別を受ける毎日。転生前は仕事仕事の干物女だったが、そちらのほうがマシだった。あげくの果てに従兄弟の公爵令息との婚約も破棄され、どん底に落とされる。婚約者は妹、第二王女と結婚し、ソフィアは敵国へ人質のような形で嫁がされることに……
だが、意外にも結婚相手である敵国の王弟はハイスペックイケメン。夫に溺愛されるソフィアは、前世の畜産の知識を生かし酪農業を興す。ケツ顎騎士団長、不良農民、社交の達人レディステラなど新しい仲間も増え、奮闘する毎日が始まった。悪役宰相からの妨害にも負けず、荒れ地を緑豊かな牧場へと変える!
この作品は小説家になろう、ツギクルにも掲載しています。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~
狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない!
隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。
わたし、もう王妃やめる!
政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。
離婚できないなら人間をやめるわ!
王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。
これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ!
フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。
よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される
風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。
しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。
そんな時、隣国から王太子がやって来た。
王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。
すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。
アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。
そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。
アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。
そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる