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おまけ: 犬の子は犬
しおりを挟む「ようございました」
ランドリック付きの執事が報告の後、そう言って柔らかな笑みを浮かべた。
侯爵夫妻は頷き、夫人はそっとハンカチで目元を押さえた。
息子がおかしい。
姪とその夫の仲を拗れさせた息子の行動を聞いて頭を痛め、ふと思い出してしまった、かつて息子に感じた苛立ち。あれは、当時疲れていた自分の過剰な要求だったと侯爵は思っていたが。
息子は、人の気持ちが理解できないのだ。
夫妻はそう悟らざるを得なかった。
大切に育てた一人息子だ。人と同じ感覚を持っていないかもしれないと悟った時は、足元が崩れそうだった。
息子は騎士であると同時に、侯爵家の跡取りだ。社交界には、魔物とは違う難解で面倒な怪物がいる。
もっとも厄介なのは、小さな悪意の集合体だ。侯爵家という権力に面と向かって逆らう顔は見せずに、笑みの裏に、親切の影に、敬意の裏に、そこここに潜んで、人を貶め嘲笑い、突き落とそうと狙っている。
そんな世界に今後足を踏み入れねばならない息子を心配して、夫妻は歯噛みした。
なんとかして、治療できるのではないか。少しの掛け違いを正せば、普通になれるのではないか。
夫妻はそれまで安心して乳母や教師たちに任せていた息子と長い時間会話を交わし、心の医師や催眠師に頼ることを勧めたりもした。
息子も自身のことをわかっていた。親からのすべての提案を受け入れ、医師の診察も受け、催眠師の治療も受けた。
その先にある明るい未来を、夫妻は信じて見据えていた。
息子が、いつも苦しげな目をしていること。いつもどこか緊張した様子で家族の団らんに加わっていること。気を許した笑顔を浮かべることが、滅多になくなったこと……。
肝心なことには、何も気づかず。
治療が功を奏したかのように見えた半年後、使用人たちからの陳情が届き始めた。
「坊っちゃんはついこの間まで、夢中になられたことをこのじいにも楽しげに話してくださっていたのに、このごろはいつも自己統制されているようで。ご成長の一貫でしたら、寂しくも喜ばしいことですが、まるでいつでも戦場にあられるようなご様子には、胸が痛みます」
「実は以前から、親しい方とお出かけされて帰られても、いつもお疲れで。ため息が途切れないご様子でした。家はくつろぐ、とのびのびされていたのに、この頃は自室でも終始気を張っておられるように見受けられます」
「昔から賢いお子で、忙しくない時間をよくご存知なんですよ。好きなデザートが食事で出たときだけは、厨房に突撃して来られて、次の日の分も確保したり、微笑ましかったんですが。最近はそれもなく、食欲が落ちてらっしゃるような気がします」
皆、ランドリックを心配していた。
夫妻は、突きつけられた。
彼らが心配していたのは、ランドリック本人だったのだろうか。
あるべき姿と思い定める理想の息子でいて欲しかっただけではないのか。
幼い頃の愛くるしい息子を想起させる全開の笑みを、もうどれだけ見ていないのだろう。
藁にもすがる思いで、隣国から帰国したばかりの高名な医師に診察を依頼し、その助言に従って、親族の娘ジョゼットにすがったのだ。
ジョゼットは、聡明だ。
聡明さ故に、田舎の価値観の中では抑圧されていたようだった。ジョゼットの父は父権を振りかざし、娘を大人しく平凡な人生に押し込めようとしていたらしい。仲介の親族の話でそれを知り、他人事ではないと、預かることを即決した。
互いに、よい影響があるかもしれない。
そう思って持ちかけた話だったが、ジョゼットは救いの神だったと、夫妻は掛け値なく思っている。
「ランドリック様は、実はずっとお一人でご自分の性質に向き合って来られたそうです。でも、最近はもっともっとと、際限なく頑張りすぎて、今はお疲れです。どうしてでしょう」
「……どうして、とは?」
「どうして、ランドリック様はご自分らしくいてはいけないのでしょう」
それはまだ成人前の娘だったジョゼットが、自分に重ねた素朴な問いだったかもしれない。
だがその問いで、侯爵夫妻の心は決まった。
普通の息子が欲しいわけではない。
夫妻は、幼い無垢な頃のランドリックの、周囲に影響されない天真爛漫さや、好きなことへの没入ぶりも心から愛していた。その個性を矯正したいと思ったわけではない。
ランドリックの本来の在り方こそが、家族を、周囲を魅了していたのに。
夫妻がそうなれば苦労が少ないと見込んだ普通の貴族子息のあり方が、より良い結果をもたらすと、誰が決められるだろう。
普通に押し込めようとするのは、やめよう。夫妻はそう、決めたのだ。
「負担になるようなら、家督は他に譲っても致し方ないと思ったんだが」
「本当に、ジョゼットは我が家の救世主ですわね。あの子が来てくれて、ランドリックは昔のランドリックを取り戻してくれたみたいで。きっと、これからランドリックをあるがままに受け入れてくれます。私は生涯この恩を忘れません」
「それで、私はジョゼットの家に話をつければいいんだな?」
「ジョゼットのお部屋はどうするの? ランドリックの隣は、移動できる状態かしら」
ソワソワと尻の落ち着かなそうな侯爵と、今にも立ち上がって差配を始めそうな夫人に、執事はごほん、と咳払いをした。
「お部屋の移動は、ランドリック様にジョゼット様がお断りになりまして。その、ランドリック様は、たいそうはしゃいでおられますので」
お二方からは、少し落ち着くように宥めていただいて……。
執事の言葉は、二人には届かない。
「まあ。でもジョゼットの実家のことです、先日の手紙を真に受けて、ろくでもない縁談を持ってくるでしょう。その前に、侯爵家がジョゼットをしっかり囲わなければ。ね、あなた」
「う、うむ、だが嫌がっているのなら、無理強いは……」
「もう! 殿方はすぐにそう! そうではなく、最優先で公式な婚約の手続きを進めてくださいな。今ならまだ、ジョゼットの身柄はうちの預かりです。侯爵家の承認があれば、婚約も結婚もさせることができます。外聞が悪かろうが、実を取りましょう。全速力で、婚約を整えてくださいな、あなた。……既成事実なんて、無視しようと思えば無視できてしまう頼りない囲い込みですわよ」
ふん、と鼻を鳴らす夫人に押されて、お茶も飲みかけのまま侯爵は大人しく立ち上がった。
「わかった、王城に届けよう。ほかには……」
「貴方はまず手続きを済ませてくださいな。その後のことはその後お願いしますから」
「うむ、そうか」
「私は、敷地内の別館を新婚夫婦用に整えましょう。その手配を通じて、私がジョゼットにいろいろ教え込みます。聡い子ですもの、助言くらいで事足りるでしょう。嫁と姑の適度な距離こそ、長続きの肝ですわ。ああ、楽しみ!」
ランドリックは明らかにこの夫妻の息子だと、執事は静かに微笑んだ。
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