溺愛三公爵と氷の騎士、と私。

あこや(亜胡夜カイ)

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ある男の繰り言~後悔先に立たず~2.

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 ……違う、リヴェアじゃない。

 手を掴んだとたん、彼にはわかった。
 いや、掴む前からわかっていたのかもしれないが、あまりに深く物思いに耽っていたので咄嗟に眼前の手を掴んでしまったに過ぎない。女の手だったし、何より、彼女と同じ髪の色が目に入ったから、払いのけることよりも彼の本能は掴んで引き寄せることを選んだのだ。

 手を掴まれた女はほんの一瞬、怯えた色をその黒瞳に浮かべたが、すぐに立ち直ったらしく、

 「頼む、今だけ」

 言うなり、彼の肩口に顔を埋め、しがみつき、彼が纏っていたくたびれた外套を引きずり上げて、ぴったりと体を重ねたまま石壁に身を添わせた。

 近づいて、走り去る複数の足音。彼らのいる路地を覗きこむ気配はあったが、舌打ちとともに「こんなところでイチャつくな」と吐き捨てる声が聞こえ、それもまた遠ざかって辺りはまた静まり返る。

 外套の中の女を突き放すことはたやすい。が、彼はなぜかそうしなかった。身の危険が迫れば本能的に回避するが、女からは何も害意を感じなかったから。

 とはいえ、いつまでも恋人でもない女と身を寄せ合っているのは彼の趣味ではない。もともと、整った容姿ではあっても堅物、強面と名高い彼は、擦り寄ってくる女たちを歯牙にもかけなかったのだ。

 誰かに追われていたらしい女を、ひどく素っ気なく、けれども追手の気配が消えるのを待ってやってから押しのけた彼は、見るともなしにまだ彼の手に縋ろうとする女を黙って見下ろした。 

 「……おかげで助かったよ」

 女にしては低めの、けれど色っぽい声だった。
 鼻から下を布で覆った女は、無造作にそれを顎下まで押し下げる。

 現れた顔は、まだ若かった。

 二十になるならず、といったところだろう。先ほど掴んだ手の感触、肌の張りでそれはわかる。
 が、落ち着いた声と話し方、彼を見上げてくる黒瞳は狡猾とさえ言える光を湛えていて、彼女から受ける印象は若々しさからは程遠い。

 その証拠に、彼の強面を一瞥するや、女は音を立てずに口笛を吹く真似をした。年増の娼婦のように。

 「いい男。……おっかない顔だけど」

 彼は女の手を振り払った。
 が、彼女はまるで気にした風もなく、振り払われた手を彼の腕に載せ、ようとして、また振り払われた。

 「つれないじゃん。……あたしとこれからどう?助けてくれたお礼にタダでいいよ」
 「他をあたれ」
 「そういわずに。天国見せてあげるからさ」
 「うるさい」

 同じ黒髪でも清々しいリヴェアとは全く違う。
 ろくでもない女とこれ以上関わるつもりはないと黙って身を翻そうとしたが、

 「待ちなって、兄さん。……女、探してるんだろ?」
 「……」

 いつもの彼なら無表情に受け流したのだろうが、その日は違った。いいかげん、彼も参っていたのだろう。さすがにすぐに食いつきはしないが、唇を引き結んだまま足を止める。

 女はニタリと笑んだ。

 「失せ物、失せ人。お探しならあたし以上に頼れるヤツはいないよ、兄さん」
 「……なぜそんなことを言う」
 「顔にかいてあるからさ。恋しい女を探してますよって」
 「……」

 ずかずかと彼の事情に踏み込む女の言動は、屈託がないせいか、不思議なほど腹は立たない。
 それどころか、さっきのような色めいた誘いよりもずっとマシだと感じる自分がいる。
 
 「あたしは顔相も視るんだ。でもね、一番得意なのはコレ」
 
 彼の視線に促されるように、女は勝手にしゃべり続け、幾重にも纏った民族衣装のような布の合わせ目から、鶏の卵ほどの大きさの水晶を取り出した。

 「……占いに頼るほど阿呆じゃない」
 
 水晶玉を見ながら勝手なことをほざくエセ占い師かと、彼は落胆しつつ冷淡に言い放つ。
 けれど立ち去ろうとしなかったのは、やはり、藁にも縋りたいとさえ思っていたのかもしれない。

 くくく、と女がやはり年齢に似合わぬ訳知りな含み笑いを漏らした。

 「まあ、そう言いなさんな。占いじゃない。視るんだよ、あたしは。現実(いま)と、そして少しだけ未来を」
 「……」
 「だから追われてたのさ。最近、妙にあたしの評判が上がっちまって……」
 「評判?」

 思わず、釣り込まれたように彼は聞き返す。
 
 「なんの評判だ」
 「先視さきみのシレーヌ、ってね」
 「!?……」
 「兄さん、ここらのひとじゃないだろ?知らないか」

 知っている。いや、このところずっと、嫌でもその名を繰り返し耳にする。

 情報屋たちの尻をいくら叩いても、彼女の行方はもちろん、消しゴムで消したようにその痕跡ひとつ得られないため苛立ちを露わにする彼に、恐る恐るといった体で勧めてきた者は一人や二人ではない。

 先視のシレーヌを頼ってはどうか、と。

 気まぐれで人の選り好みが激しく、会いに行っても機嫌を損ねれば門前払い。だが、相当額の金を積んででも彼女の力を借りたいと願うものは多いと聞く。特に、後ろ暗い職業の者どもや相場師などだ。彼女の先視の力を借りれば、容易く巨万の富を得る。当然だ。絶対に足のつかないインサイダー取引のようなものだから。
 確かに最近は、その居所を知るのも困難と聞かされていた。身辺の安全のため、また、彼女に流れる流浪の民の性というべきか、シレーヌはしょっちゅう居所を変えるのでなかなか会うことすら叶わなくなってきたのだと。

 「兄さん、どこに泊まってんの?とりあえず連れてってよ」

 あいつらに追い掛け回されて寝るところがないんだよねと女、シレーヌは言って、臆する風もなくきつい、暗緑色の瞳を見上げた。


 ******


 小一時間ほど後のこと。

 耳の遠い老夫婦の営む民泊が彼の宿だったが、そこで彼は両手両足を縛られて柱に括り付けられていた。 再度誘われても彼はすげなく断ったので、そこに性的な意味合いはない。
 
 「声を出してもいいけど結界を出られたら困るし、最中のあたしに触られたら死んじゃうかもしれないし。たいていのひとは気が動転して暴れるんだよね」

 食事と風呂を要求し、ああさっぱりした、と多量の民族衣装を脱ぎ捨て、貫頭衣のようなもの一枚になったシレーヌは、手際よく彼を縛り上げながら言った。
 
 超がつくほど一流の軍人たる彼である。本来なら他人に、それも初対面の女に四肢の自由を奪われることを許すなどあり得ない。いつでも、どんなときも、危険に直面した場合のリスクを考えて行動するのは彼のDNAに刻み込まれている。

 それなのに彼女の言いなりにさせているのはどうしてなのかと、おとなしく縛られながら彼は内心首を傾げた。

 本能が、彼女は信頼できると感じ取ったとしか思われない。そして万一、シレーヌが豹変したら。そしてもしも暴漢が、無数にいる彼の敵がここへ踏み込んできたら。その時は俺の悪運も尽きるときだろうと、自嘲気味に彼は思う。

 「いいかい、兄さん」

 慣れているのだろう、あっという間に彼を縛り終え、数メートル離れて立った彼女は神妙な顔で言った。

 「縛っといたから大丈夫だと思うけどさ。いきなり柱をへし折って立ったりしないでよね」
 「……俺はサムソンじゃない」
 「念のためだよ。とにかくそこに置いたタオルから外に出られちゃ困るんだ。今からあんたとあんたの恋人をさ。でも実際に繋がってるんじゃない。あんたに恋人の現実(いま)を見せるだけだ。あと、少しだけ未来もね。あんたからは恋人のすぐそばに立ってるように見えるけれど、向こうからこっちが見えるわけじゃない。あんたの声も届かない。叫んでもいいけど叫んでも無駄だ。おわかり?」
 「ああ」
 「素直でよろしい」

 やはりどうみてもようやく二十歳になっているかどうかと思われるシレーヌであったが、大真面目に言って、最後に破顔した。

 こんな顔もするのか、と思わず彼がわずかに目を見張るほど含みのない笑顔だったが、それも一瞬のこと。「結界」と彼女が呼ぶ白いタオルの外側に胡坐をかいて腰を下ろしたシレーヌは、足元に例の水晶玉をそっと置き、柔らかく撫でながら彼に顔を向けた。肉感的な厚めの唇は引き締まり、眇めた黒い瞳は彼ではなくその向こうを見つめていて、深淵を映すかのように妖しく闇色に光っている。

 「……恋人の名は?誕生日は?」
 
 声すらも、先ほどまでのあっけらかんとしたシレーヌとは別人のようだ。重々しく、掠れた声。
 彼が答えると、数秒の沈黙ののち、彼女は首を横に振った。

 「通り名ではなく彼女の真の名を」

 通り名では時間がかかりすぎると、シレーヌは続けた。
 なぜ、彼女の名リヴェア・エミールが通り名だと知っているのか。その時点で、「先視さきみのシレーヌ」の能力が窺い知れる。

 彼は恋人の「真の名」を口にした。彼女が教えてくれたのではない。彼女を愛し、初めて抱いてから、いつかは彼女自身の口から教えてもらいたいものだと思いながら調べ上げた、その名を。
   
 シレーヌは軽く頷いた。
 黙って水晶を撫で続ける。黒髪を揺らして、ゆっくりと頭を前後に動かしている。

 一分、二分。そしてもっと。

 ──ふうっと、部屋の空気が揺らいだ。
 
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