溺愛三公爵と氷の騎士、と私。

あこや(亜胡夜カイ)

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あのひとが見えた、そのあとのこと。(下)

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 ──今、オルギールは何と言った?

 聞いたのは私だけではないだろう。全身に加えられていた刺激までも停止した。
 オルギールのひんやりした手が私の顎にかかる。

 「オルギール……」
 「あなたの元恋人。元の世界。……一瞬、繋がったのでしょうね。‘界’が」
 
 誰も説明のできない超常現象。「万能のひと」の柔軟な思考は、科学的な根拠を不要と断じたようだ。
 
 ゆっくりと私の顎を指でなぞっている。
 息が触れ合うほどの距離。くちづけをするでもなくただ近づけられただけの唇が、さっき耳にした奇妙な声音で言葉を紡ぐ。

 「で、リア。XXX、とはいったい何?」
 
 ───私の名だ。出身国の、本当の名。両親のつけてくれた名。
 私だけが覚えていればいい。この世界の私は「グラディウス公爵夫人」。
 夫たちを愛している。私は幸せだ。両親に、姉に、会いたい。懐かしい。でも帰りたいわけじゃない。 
 その名を呼ばないでほしい。
 記憶の渦に飲み込まれたくない。私がひとり、思い出に浸るのはいい。でも思い出さされるのはイヤだ。

 「……イヤ、言わないで」
 
 眼前に迫る紫の瞳を渾身の力で見返して、私は言った。
  
 「言わないで、オルギール。あなたに呼ばれたくない」
 「でもあの男は言っていた」

 顎にかけられた指にわずかに力が籠る。
 そして押し殺そうとして漏れ伝わる熱を感じる。指にも、その声にも。

 「XXX、と言っていた。私が知らない、聞いたことのない言葉を」
 「やめてオルギール」
 「前の男が特別なのですか?なぜその男はよくて私がだめなのです?XXX、とは」
 「いや、オルギール。言わないで」
 「XXX、とはあなたのもう一つの。……本当の名なのでは!?」
 「黙れ、オルギール!」

 私の拒絶よりも早く、力強く、レオン様の一喝が飛んだ。
 
 オルギールは不遜だけれど、むやみに理由なく歯向かうひとではない。
 そしてレオン様の言葉は、あのオルギールをもってしても抗いようのない迫力と雄弁さを備えていたようだ。 
 顎先にかけられたオルギールの指が離れ、同時に顔が遠ざかる。
 レオン様は口元を拭いながら身を起こして、私とオルギールの間に移動した。

 「呼ぶな、オルギール。二度とそれを口にするな」
 「……レオン様はなんとも思われないのですか」

 オルギールは静かに反駁した。

 「あれはリアの‘本当の名’でしょう。リアを初めて抱いた男が知っていてなぜ我らが」

 私が教えたわけじゃない。
 あのひとは用心深いひとだったから。私と付き合うことになって、いや、部下となった頃にでも調べ上げたのだろう。
 でも、それを今言っても無意味なのだとわかっている。
 オルギールは「あのひとだけが知っていた」ものが、「名前」という、恐らくいつの時代、どこの「界」へ行っても価値あるものであるが故に、自分が知らなかった、知らされていなかったことが許せないのだ。

 「なぜ私が。なぜ我らが知らない、呼んではならないのです?……どうして、リア?」

 最後は、悲しげにすら聞こえた。
 胸が痛い。
 隠していたわけじゃないけれど、でも。
 ……進んで言いたくはない。
 国を離れてからずっと誰にも教えなかった。教えたくなかった。私は冷徹で有能な「鋼のリヴェア」。傭兵の世界に身を投じてからというもの、数えきれないほど人を殺めた。生きるため、作戦遂行のためだから言い訳をしようとは思わない。でも国を出るまでの私はまっさらだった。両親や、姉の記憶にある私もそうなのだろう。語学と武芸ばかりに励んだ私、「XXX]と「リヴェア」は違うのだ。
  
 「オルギール。リーヴァを追い詰めるな」

 レオン様は嘆息しつつ、宥めるように言う。
 シグルド様とユリアスが私を抱え起こした。
 二人並んで座って、ユリアスが私を膝に乗せ、揃えて伸ばした両足をシグルド様が自分の膝の上に載せてくれる。 

 「……さっき、俺も初めて聞いた。ルードもユリアスもそうだろう?」

 まあな、と二人が小さく呟いている。

 「面白くはないが、しかし呼ぶ気にはならんな」
 「なぜ」

 間髪を入れず、オルギールが反応する。

 「本当の名ですよ?リアが生まれた時に授けられた名。それを呼びたいと望むのが何が悪いのですか?」
 「だからだ、オルギール。‘本当の’名だから。リーヴァを生み、育んだ国で付けられた‘名’。そんなものを口にしてみろ、‘界’が繋がったらどうする」
 「‘界’が繋がる?」

 聞き役に徹していたシグルド様が反芻した。

 「そうだ、ルード」

 ちょっとだけ背後を振り向いて頷いてから、またレオン様はオルギールに対峙した。

 「オルギールの言ったとおり、さっきのあれは一瞬‘界’が繋がったのだろう。理由などどうでもいい。人智の及ばない力が働いたのだろうとしか言いようがない。だからこそ、だ。オルギール」

 レオン様は言葉を切った。
 オルギールは黙って聞いているらしい。

 「リーヴァが、リヴェア・エミールがこの世界に現れた奇跡。再び起こる確率など無きに等しいだろうにさっきは繋がった。繋がりかけたんだ。リーヴァの‘本当の名’を男が絶叫していた。それがきっかけになったのだとしたら?まさか、本当の名を口にするだけで何度でも起こるとは思わない。が、‘界’と‘界’を結ぶよすがには十分なるだろう」
 「……言霊、ですか」
 「そうだ。万が一にも、同じことが起こってはならない。俺たちはもう、リヴェア無しでは生きられないのだから。お前もそうだろう?」
 「ええ」

 きっぱりと、短くオルギールは言った。
 レオン様に遮られているけれど、こちらを向いているのだろう。見えなくとも感じる、熱い眼差し。

 「リアは私のすべて。私の心臓の半分。リアがいなくなったら私は死ぬか、私も‘界’を渡ります。……生まれ変わっても側にいると誓ったのですから」
 「だそうだ」

 レオン様はもう一度振り向いて、今度は私に金色の瞳を向けた。
 リーヴァ、と一言、口の中で小さく呼ぶのが聞こえる。引き締まった唇が綻んで、私を呼ぶ様を聞くだけ、見るだけで。たったそれだけのことで、嬉しくて幸せで脳が痺れる。

 「二度と、絶対にあれを口にするな。俺たちは知らなくていい。知るべきじゃない。リーヴァにとって大切なものだろうが、過去のことだ。リーヴァは俺の、俺たちの妻だ。重要なのはそれだけだ」

 そうだろう、リーヴァ?そう結んで、甘く光る金の瞳が細められる。
 いつだって、この瞳が傍らにあった。
 何も持たず、身一つで現れた私を庇護してくれた。不安を感じる余地など毛筋ほどもないように囲い込み、愛してくれた。
 今、私に触れるシグルド様もユリアスも。
 ‘本当の名’を呼びたいと。狂気のように私を愛してくれるオルギールも。 

 胸が苦しくなるほど嬉しい。
 幸せ過ぎて怖いくらい。
 ‘あのひと’さえ。……強姦の記憶すらも、泣いて泣いて気を失うように眠った結果‘今’があるのなら、それも許せるような気がする。
 不器用な私を、たぶん同じように不器用だった彼なりには愛してくれていたのだろう。あんな形での発露だったとはいえ。
 縛られていた理由など想像もできない。でも、思い出してみれば、命の危険が差し迫っているわけではなかったような気がする。助けが欲しくて私を呼んだようには見えなかった。思わず、こみあげる想いが溢れて私の名を口にしたような。
 甘ちゃんの、それこそ夫たちに言わせれば「初心でズレてる」私の妄想かもしれないが。
  
 
 ───私は違和感だらけの四肢を動かして、ユリアスとシグルド様の膝から自力で這い出した。
 そして、まず手近な二人の頬にみずから顔を寄せて、そっとくちづける。

 「リヴェア?」
 「姫?」
 
 緋色と黒褐色。二色の長い睫毛をそれぞれが瞬かせて首を傾げて私を見た。
 それに微笑みだけを返して、よろよろと四つん這いでさらに移動し、レオン様の頬にも同じく唇を押し当てる。
 最後にオルギールにも。
  
 「リア」

 おずおず、とまでは言わないが、私の顔色をうかがうようにしながら、オルギールはゆっくりと私を抱き寄せた。
 白大理石を彫り上げたような滑らかな頬にそっとくちづけてから、私は首を捩じって皆を振り返る。
 
 「……大好き。愛してる」
 
 想いはたくさんあるのだけれど、口にできたのはこれが精いっぱいだった。

 くちづけのしかたも手だけで濡れるのも胸だけでイくのも複数も道具を使うのも。
 数え上げれば変態行為も多い気がするが、愛することや愛されること、快楽を教えてくれたのは夫たちだ。
 ‘あのひと’とのことは過去のこと。こちらへ来るために必要だった通過点。たとえまた、万一同じように彼が目の前に現れても、もう心が騒いだりしないだろう。

 ……そして。‘本当の名’はやっぱり心の中だけにしまっておくのが一番だ。
 リヴェア・エミールの人生とは違う、もう一人の私だから。
 それに私はここで生きている。生きてゆく。今更‘元の世界’へ、戻れるとしても戻るつもりはないから。

 「リーヴァ」

 レオン様が近づいてきて、オルギールに寄せているのとは反対側の私の頬をぺろりと舐めた。
 
 「俺のリーヴァ。愛してる。ずっと君のそばに」
 「……俺も生まれ変わってもそばにいる。姫の隣に」
 
 レオン様に対抗するようにシグルド様も接近し、私の手を握りしめて言った。

 「俺も同じく。……だが、リヴェア。あいつより俺のほうがずっといい男じゃないか」

 ニヤリとしてユリアスは言った。
 膝行してやはり私の側へ来ると、なんと私の足の甲にくちづけを落とす。

 「あの、ユリアス?」
 「確かに俺のほうが‘いけめん’だ。安心した」
 「あら、それって」

 ユリアスと仲良くする前に、そんなことを言った気がする。
 よく覚えてらしたのね、と口を開く一足先に、ユリアスはすっと表情を引き締めた。
 皮肉っぽい笑みを消して急に真面目な顔をされると、そのギャップに胸がきゅんとする。

 「愛してる、リヴェア。……あんな男より俺のほうがずっと」

 ユリアスは最後には糖蜜みたいに甘く、優しく言って、私の足を宝物みたい大切そうに抱きしめた。
 いけめん、ってなんだとレオン様とシグルド様が言い合っている。
 なぜユリアス様だけがご存じなのですかとオルギールは少し不満そうだ。

 「リア。‘いけめん’とはどういう意味ですか?」
 「かっこいい、素敵、ってこと。主に男性に対して使うの」
 「私は?リア」
 「いけめん、に決まってるじゃない」
 「よかった」

 オルギールがふわりと破顔した。
 当代一、神がかり的美貌の彼には軽すぎてふさわしくない気がするけれど、そう言わないと収まりそうにない。

 「リア。リヴェア様。……愛しています」
 「ありがとう。……って、あれ?、あ、あの?」
 「もう一度、‘繋いで’いいですか?」

 私のお尻の下に硬いものがあたる。
 大きな白い手が私の足の間に滑り込んだ。

 「オルギール!」
 「繋いで、繋ぎとめて。……どこにも行かせませんから」
 「あ!」
 
 的確に敏感な芽を探りあてられて、からだが跳ねた。
 お前はまったく、と呟くレオン様の声が聞こえたけれど、結局何本もの手が伸びてきて、私のからだはまたも寝台に横たえられる。

 目を閉じて、瞼の裏の‘あのひと’にあらためて別れを告げる。
 私の‘本当の名’を、記憶の底に大事に大事にしまい込む。
 両手を頭上で、両足は開いて拘束されて。技巧を尽くした執拗な手が、舌が、彼らの滾る分身が代わる代わる私を絶頂に導く。
 声を嗄らして喘いで啼いて、体中に夥しい量の白濁を注がれながら、彼らの与えてくれる快楽にひたすら溺れ続ける。


 ───新月の夜。
 闇は濃く、夜明けはまだ遠い。
 
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