溺愛三公爵と氷の騎士 異世界で目覚めたらマッパでした

あこや(亜胡夜カイ)

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 かすかな音。ぼんやりしていたら聞き逃す程度の音だ。

 けれど、久しぶりの「たったひとり」。わずかとはいえ森に入って深呼吸して、それだけでずいぶん感覚が研ぎ澄まされる。

 傭兵のときの「感覚」が。

 音のする方から目を離さないようにして、すぐに手ごろな太さの木に身を寄せる。
 まだ敵か味方かもわからないけれど、用心するに越したことはない。

 「……誰だ」

 すぐに、木々の間からひとりの男が現れた。
 音で気づいたとはいえ、ここまで近づくまで私は気配に気づくことができなかった。
 私の勘が鈍っていたのか、それとも。

 この男がプロなのか。

 目立たない色の上衣、同じ色のズボン。長靴を履いて剣を吊るしている。
 長靴は古びているとは言わないが傷だらけでよく使い込まれている。剣にも剣帯にも装飾は一切なく、実戦向きのようだ。
 
 くすんだ金色の髪、暗い青い瞳。澱んだ肌の色。四十がらみの男。

 はっきり言えば、人気(ひとけ)の無い森の中で一対一で会いたくはない感じだ。
 不健康で──何より、危険な匂いがする。眼光だけが鋭くて。

 私を暗い瞳で一瞥し、足元から顔まで舐めるように視線を移動させて。
 目があった。

 「誰かと思えば、お前は」

 驚きと愉悦に、ギラリと暗い青の瞳が光る。

 まずい。

 「トゥーラ姫!」

 呼ばれると同時に、私は身を翻しざま、刀子を投げつけた。
 先手必勝。万一、敵ではなくても、命をとらなければ護身のためと言い訳もたつ。

 「くそ!」

 舌打ちと、苦痛の呻き。抜剣しようとした、利き手を狙ったのだ。目を狙う暇はなかった。
 次の瞬間、呼子笛の音がした。鋭く、短く。

 とたんに、森の奥、私の推測ではもうそろそろ森を抜けて湖だと思っていたのだけれど、そこからひとの駆け寄る気配がする。複数だ。十名以上、いるかもしれない。

 まずい。背を向けて逃げて弓を放たれたら。または、私のように刀子や短剣を投げる者がいたら。
 あの顔は私を知っていた。歪んだ喜びに目を輝かせて。

 (あなたを狙うために)

 オルギールの冷静な声が脳裏に蘇る。

 (多量の間者、刺客がアルバへ入ったと)

 もと来たところ、森の入り口を目指しながら、迎え撃つしかない。背中から襲われるのはごめんだ。
 
 シュッ!と顔近くで何かが風を切った。カン!と、短剣が近くの木に突き刺さった。
 一瞬早く、本能だけでそれを躱し、幹を背に向き直る。

 「殺すな!」

 さっきの男とは、また違う男の声がした。
 
 いずれも目立たぬ恰好をした男が、ざっと目算で十八、九人。足音からすると二十名以上か。まだいるのかもしれない。

 「必ず生け捕りにしろ!その女、トゥーラ姫に間違いない!」

 血の滴る右手を抑えながら、さきほど対峙した男が言った。

 「いい女。……似顔絵どおり、いや、それ以上か」

 じりじりと距離を詰めながら、男たちの一人が舌なめずりをする。
 
 「生け捕りにしたら愉しませてもらえるさ」

 連れて帰りさえすりゃいいんだからな。楽しみだ、と含み笑いの声がする。

 せいぜい、侮っていればいい。女性が男性とサシで戦うには、侮られることも大切な武器だ。甘く見られること、大歓迎。男は大抵こんな感じだ。

 私は無言で少し体を屈め、続けざまに刀子を放った。

 「うわああ!!」
 「この女!」
 「ぎゃあっ!!!」

 距離を詰めてきた三人の目に、狙い通り命中させ、怯んだ隙に少しでもと森の入り口へ逆走する。

 「逃がすな!」
 「森から出すな!!」

 取り囲もうとする気配。囲まれては困る。あまりに人数が違いすぎる。
 
 ジグザグに走っては振り向き、振り向きざま、近づいた者達を刀子で仕留める。

 あっと言う間に半数程度にはなっただろう。その頃になってようやく、

 「囲め!」
 「多少傷つけても捕えろ!!」

 奴らの動きが変わってきた。横に広がって、私を遠巻きに包囲する構えだ。

 森の入り口まではまだある。
 素早く、空を見て木々を見て、私は距離をふんだ。
 刀子もいいけれど、切り捨てるか。 
 もともと気晴らしに真剣で訓練しにきたのだ。訓練が実戦になっただけだ。

 私は剣を抜いた。ウルブスフェルでも使っていた、私の長剣。
 日没までは幸いまだ時間がある。木漏れ日を受けて、抜き身の刀身がギラリと光る。
 その光が、私の戦闘本能に更なるスイッチを入れる。

 「鋼のリヴェア」と言われた私だ。
 生け捕りになど、されてたまるか!

 剣を抜いたぞ、という警戒の声と同時に。
 みなまで言わせず、私はみずから追手のひとりに近づき、無言で袈裟懸けに切り下した。

 ザンッ!!と、肉の断ち切れる音、頚動脈から噴水のように血が噴き出す音。
 返り血は避けたものの、一瞬視界が赤く染まる。

 「うわあああああ!!」
 
 悲鳴を上げたのは、切られた男の隣にいた奴だ。
 声もなく斃れる男を抱きとめて、噴き出す返り血で目をやられてあわててそれを放り出す。
 
 「美しい友情ね」
 
 言い終えるよりも先にその男も一撃で切り倒した。

 「囲め!!」 
 「油断するな!」
 
 ゆるやかに包囲するつもりで横に広がった奴らがまた私めがけて集結してくる。
 それがまた狙い目だ。バラバラよりも、集まってくれていたほうが斃しやすい。何人いるか、目算もたてやすい。

 男たちが集結し終えるよりもとにかく先に、私は片端から手近な者達を手にかけ、斃した。
 どこの手のものか調べる必要はあるのだろうけれど、それよりも先に私が生還しなくては意味がない。 もっと人数を減らさないと、命をとらずに手加減して切ることは難しい。それに、目をやられた奴らは死んではいないはずだ。

 ……思ったよりも人数が多いな。
 最初に切り捨てた者を含めて五人は斃したはずだけれど、まだ十人弱、いるようだ。

 今まで残っているだけあって、私の戦い方を見て近づいてくる。だから、二、三合で斃すことは、さすがに無理だ。長く切り結んでいると背後か横にも回られるから、左手も使って刀子を投げ、近づく者達の戦闘能力を削ぐことも重要だ。

 ──あと、五人、いや、六人?

 なかなかの使い手だったのだろう、10合以上は切り結んだ挙句、ようやく利き腕を切り落とした男を蹴り飛ばしながら大樹を背に呼吸を整え、私は残りの人数と自分の体力を推し量った。

 ふ、とちいさく息を吐く。
 どのお師匠様だったかな。あたまは冷たく、こころは熱くって、戦う時の心得を単純明快に言ってくれた。冷静に、しかし、戦闘意欲は高く維持せよ、ってことだ。

 私、大丈夫。まだやれる。あと二刻くらい戦い続けることだってできそうだ。
 それに、相手は私を生け捕りにすることが使命らしい。怪我させてもいい、とは思っているようだけれど、とにかく切り捨てることだけ考えていればいい私のほうが、戦い方としては楽なのかもしれない。人数の差があっても、ものは考えようだ。

 「……おい、まずいんじゃないか」
 
 男の一人が言った。

 「強すぎる。生け捕りにする前に俺たちが」
 「……まあ待て」

 弱気な発言をする男を押しのけるようにして、男が一人、一歩前に進み出た。

 「トゥーラ姫を捕えて生かして連れてくることになってるんだが」

 お喋りに付き合う必要はない。切りかかってもいいのだけれど、私にもわずかな休息であっても必要な「間」だ。相手がかかってこないならば少しだけ、話に耳を傾けることにする。

 灰色の髪、瞳。目立たないいでたち、目立たない造作の顔。一目見た程度ではまったく印象に残らない顔。間者とか刺客には最適なのかもしれない。
 
 ただ、しいて特徴を挙げるとすれば。
 なぜか、私を狙うこの男たちは総じて顔色があまりよくない。
 顔色、というか、肌艶、というか。どんよりとしていて。
 眼光とのギャップは相当なものだ。それが特徴と言えば特徴かもしれない。

 「トゥーラ姫の武勇は聞くには聞いてたが、誇張がほとんどだと思ってた。これは誤算だった」

 剣は抜いたままだけれど、どういうつもりなのか。構えようとしない。喋ってるだけ。
 淡々と、と言ってもいい声で語る男から距離を取りたいのだけれど、背中には大樹。いざとなれば守ってくれる盾として、このポジションを外すことはできない。

 「お強い姫君には、我らの命の薬を献上しよう」
 「命の薬?」
 
 思わず、首を傾げるのと同時に、

 「!?」

 剣ではなく、何かがぶつけられた。
 もちろん間一髪直撃は免れたけれど、足元に落ちたそれはビシャ、と水音をたてて弾け、私の革靴を濡らした。

 ──むわ、と立ち込める甘い、独特の臭気。
 反射的に息を止め、腕で鼻と口を覆って飛び退り、男に刀子を投げつける。

 シュルグだ。
 足元を濡らしただけ、直撃してはいないのに、立ち上る強い臭気。屋外でこの香りならば、相当な濃さだ。

 顔を精いっぱい背け、大きく息を吸う。そして、また息を止める。
 
 男の顔が笑み崩れた。恍惚として、涎を垂らさんばかりに。
 大腿部には、深々と私の投げた刀子が刺さっているのに。

 背筋が粟立つ。
 暗く光る瞳、澱んだ肌色。
 薬漬けになっている。……正気を失わない程度に。
 
 (死してなお閣下のお命を狙わんとするかのように)

 アルバへ帰還する前の戦闘。不気味な「狂兵」を思い出す。
 眼前にいる者は間者だか刺客になるほどだ。シュルグ中毒である上に腕が立つ奴ら。

 陶然とするのを堪え、距離を詰めて剣を振り下ろす。

 ガアアアン!と激しい金属音とともに、音に見合った強い衝撃が体を襲う。不覚にも、腕が痺れる。

 薬を使ったからといって、技術が向上するわけではない。ひたすらに、戦闘本能と一時的な持久力の向上、痛覚の鈍麻に作用するばかりだ。

 けれど、もともとそれなりの強さと踏んだ男がシュルグの力を借りて剣を振るったら。
 男女の性差により膂力の差があるのだ。
 私にとってはいい話ではない。剣を握る手が伝える相手の力は、先ほどの男たちの比ではない。

 それに、自分の靴から立ち上る臭気さえ、私を急速に蝕もうとしている。
 眩暈がしそうだ。脳が痺れ、もっとその香りを味わいたい、身を任せたいともうひとりの自分が囁く。

 よろめきかけたところに、容赦なく剣が打ち込まれる。
 
 それを避けることができたのは、ひとえに私の戦士としての本能と経験によるものだ。
 
 俺たちの命の薬、効果絶大だな、と勝ち誇った声がする。

 二合、三合。なんとか、切り結び、振りほどいて、後ずさる。

 周りの男も、総じて中毒なのだろう。鼻をうごめかせ、陶然としながら距離を詰めてくる。

 まずい。このままでは……

 ともすれば混沌とする思考に檄を飛ばしつつ、私が思いついたのは。

 ……敵を狙うつもりで構えた愛剣で、私は思い切って自分の左腕を浅く切り裂いた。

 「っつ、……!」

 こらえてはいても、痛みに顔が歪む。
 でも、効果てきめんだ。

 痛い。温かい血が流れるのがわかる。けれど、視界も、思考も一気にクリアーになる。

 みずからを切りつける私の姿は、薬漬けの男たちと言えども衝撃的ではあったらしい。

 明らかに怯み、しかし、うろたえるな、怯むな、と言いつつもう一度飛びかかって来たけれど、先ほどよりは明らかに闘気が落ちている。

 まず落ち着いて一人を切り捨て、近寄ってきた者にも一撃、二撃くらわせて地に斃し、そろそろ勝利を確信したところで。

 「──姫君!」
 「お下がりを、あとは、我らに」

 私の背後、つまり森の入り口方向から、わらわらと男たちが現れた。
 
 一瞬、新たな敵かと身構えたけれど、すぐに警戒を解いた。
 現れた黒づくめの男たちは素早く、的確に敵の戦闘能力を奪う。
 森の中、湖のほうへと逃げ込もうとする者達も、容赦なく背後から襲い、屠ってゆく。

 たぶん、このひとたちが、「影」。

 とりあえず終息した、という安堵と、衛兵のみならずせっかくの「影」まで放置して単独行動をしてしまった後悔と、これってお仕置きされるネタになるのだろうか、という一抹の不安とともに。

 ……私は木の幹に体を預け、瞬く間に敵を一掃して、足下に跪く「影」たちをぼんやりと眺めた。
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