世界の色が失われる前に

雪原 秋冬

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第一部

15:世界の色を取り戻すために[第一部終]

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「――――」

 頬を撫でる風に心地よさを覚えて、ふと目が覚める。なんだか長いあいだ眠っていたような気分だった。

「っ……」

 上半身を起こして周囲を見渡してみる。灰色の空に、灰色の草木……生気を感じさせない景色に、不安よりももの悲しさを覚えた。ふと記憶をたどって、己の身体を視界に入れてみる――が、あれほど強く感じていた色彩は知覚できず、濃淡さまざまな灰色がそこにあるだけだった。

「一体、何が……」

 最期の光景は、嘲笑う銀花の表情だ。それ以降、何があったのかまったく分からない。タイムリミットを迎えて、俺の魂は消滅したのかと思っていたけれど……場所が分からないとはいえ、こうして風を感じられるということは、まだ消えていない……のか……?

 次々と浮かぶ疑問に答えてくれるものはいない。立ち上がってもう一度周りを見てみると、草むらに紛れて倒れている人間らしきものが視界に入った。灰色ばかりで見分けがつきづらいからか、先ほどは気付けなかったようだ。

 誰だか分からないけれど、話せそうなら話してみよう。

 大地を踏みしめる感触に安堵する。状況があまり飲み込めないけれど、俺の動きに合わせて周囲に変化が生じるということは、霊体ではないはずだ。

 そうして距離を縮めていくにつれて、鼓動が速まっていく。――当初は見間違いかと思ったけれど、あれは……。

 いてもたってもいられず、気が付けば駆け出していた。

「空楽!」

 俺の呼びかけに反応したのか、うめきながら身じろぎをする。――生きているようだ。外傷も特に見当たらず、目視できる範囲では健康そのものに見える。……本当に、空楽がここにいるんだ……。

 もしかしたら俺が見ている夢なのではないかと疑いながら、真実を確かめたくて伸ばした手も、通過することなく対象に触れられる。

 やはり今の俺は霊体ではない、と確信に近いものを得ながら、眠っているらしい空楽を起こしにかかった。すぐそばに転がっている洋書にちらりと視線を投げかけるが、今は気にしている場合ではない。

 ほどなくして空楽が目を覚ます。俺と同じように深い眠りについていたような気だるさを抱えながら、身体を起こした。

「……鈴真――」

 起きてすぐに俺へ目を向けて、言葉を漏らす。感極まって泣きそうになるのを堪えるかのように言葉を詰まらせながら、彼は続きを連ねた。

「――よかった……成功して……」

「空楽……なんだよな……? 本当に……」

 経緯はどうであれ、これが現実なら嬉しいはずなのに、いつか壊れてしまう泡沫の夢ではないかと、心の隅で引っかかっていてうまく飲み込めない。

「うん、間違いないよ。俺は鈴真が救おうとしてくれた、異世界へ転移してしまったほうだから。ちゃんと覚えてる」

「――っ、――」

 じゃあ、本当に……あの空楽が目の前にいるんだ。そう思ったのがきっかけだったのか、堰を切ったかのように、涙があふれてくる。振り返ってみれば最近はずっと、泣いてばかりいたような気がしてきて、我ながらかっこ悪いなと自嘲した。

「……成功、って言ってたけど、一体何があったんだ……? 俺、失敗したのかと思って……」

「鈴真が言うように、たしかに失敗して……でも、なんというか、その……」

 涙をぬぐってから疑問をぶつけると、空楽が答える。しかしどう説明すればいいのか迷っているのか、あるいは言葉を選んでいるのか……徐々に煮え切らない言葉選びになり、一度黙ってしまった。

 話したくないのなら無理強いする必要はないし、俺自身もべつに真実を必ず知りたいわけじゃない。それにこうして空楽が戻ってきたのだから、それだけで十分じゃないかと思っていた。

「……やっぱり、鈴真にはちゃんと話す必要があるよね」

 風が駆け抜ける。空楽はその様子をなぜか感慨深そうに少しのあいだ眺めたあと、俺へ向き直った。

 転移先の異世界で出会った死神のこと、そして「ほころび」を抜けて元の世界に降り立ち、手遅れになっていた俺の魂を救うとともに、元凶である銀花の対処を緒澄が行ったことなど……。簡単ではあるが、これまでのことを教えてくれた。

「……消えたはずの魂を、どうやって元に戻したんだ?」

 自ら説明しないのなら、俺が聞くのは分かり切っていただろうに、その言葉を受けて空楽はふと目を逸らす。

「……俺の書いていた小説に『魂を再生して、蘇生させる』って魔法があったのは覚えてるだろ?」

「もちろん覚えてる……けど……」

 それはあくまで空想上の話で、実際にはありえないものだ。

「……それを使ったんだ。あの場所で鈴真に使えるかどうかは賭けだったけど……」

「……そうだったのか……。ありがとう、助けてくれて」

 どうして空楽がそれを使える状態になったのか気にかかりはしたけれど、根掘り葉掘り聞くのははばかられる。

 空楽は傍らに横たわっていた洋書を手に取ると、それを抱えて立ち上がった。

「鈴真は俺たちが生きていたあの世界で、もう一度やり直したかった?」

「……別に、そこまでこだわりはないけど……」

 空楽の聞き方に引っかかって、斜に構えるような答え方をしてしまう。厳密にいえば考える余裕がなかったというか、空楽をあの異世界から救い出せるのなら、なんでもよかったというほうが正しい。

「そっか。……この世界はたぶん、俺が小説で描いていた異世界だよ。そして俺たちはきっと、元の世界へは帰れない」

 空楽が言いづらそうに告げる姿に反して、衝撃は受けなかった。溜飲が下がったとでも表せばいいのだろうか、なぜだかすっきりとした気分だ。

「よく分かんないけどさ、こうして俺たち二人そろって異世界に来られたんだし、何も怖がる必要はないんじゃないか?」

 あのときのようにどちらか一人だけ異世界に飛ばされてしまったのなら、空楽の不安も理解できる。けれどもここは、彼の認識が正しければ彼自身が作り出した世界なのだから、むしろ安心できる場ではないのか。

「いいよ。一人じゃないんだ、これから俺たち二人でこの世界を生きていこう」

 不安げな表情が消えない空楽に向けて、手を差し出す。もし懸念があるとしても、俺たち二人で――いや、俺一人でそれを打ち消してしまえばいい。

「ありがとう」

 差し出した俺の手を取らずに、空楽は本を抱えたままそう答えた。困っているようにも見えるし、笑っているようにも見える複雑な表情だ。

 どうやら言葉だけでは、空楽の不安を払拭できないらしい。

「それにしても、灰色ばかりで何の色もないのは、ここが空想上の世界だからなのか?」

「え……? ……、鈴真、それって……」

 空楽の反応で、灰色の世界が俺にだけ見えているものだと悟る。

「――もしかして、霊体のときに失われた色彩だけ戻ってない?」

 生身ならいわゆる全色盲……という状態だろうか。とはいえ俺の場合、原因があまりにもファンタジーなので、失われ方も医学的観点とはまた違う気がするけれど。

 特に深く考えず、ただ思ったことを口にした俺に対して、空楽が動揺を見せた。

「……えっと、ごめん……ここが俺の世界なら、魔法も使えるはずだから……」

 そう独り言のように控えめな声量で話しながら、空楽は洋書を開いてページをめくる――が、数回繰り返したあたりでその手を止めてしまった。

「……ごめん、この本、俺が小説の中で登場させた魔法が記載されてるんだ。だから、別に見なくても内容は分かる……」

 つまり、俺の色覚異常を治したり、緩和させる魔法はないということだろう。

 完全に色のない世界というのは、物を見分けるための情報がコントラストしかない。俺の場合、先天性ではないからある程度の色合いは想像で補えるけれど、それでも限界はあるし、俊敏さを求められると弱いだろう。

 ここが異世界というならなおさら、初めて見るものばかりだろうから視覚情報というものが重要になってくる。……まあ、戻せないのなら、現状に慣れていくしかないだろう。

「気にするなよ。これは俺のせいなんだから」

「鈴真のせいじゃない、もとを正せば俺が悪いんだ。でもきっと、治せる方法がどこかにあるよ」

 魔法の存在する異世界なら、代わりになるものはさることながら、根本的な治療法があるかもしれない。空楽はそのことを指しているのだろう。

「……そろそろ寝床を探さないと。日が傾いてきた」

 彼は空模様を確認しながら、そう俺に伝える。つられて俺も空を見てみるが、そこには灰色が広がっているばかりで、何も分からなかったけれど、オレンジや橙が混じり始めているのかもしれない。

 そういえばこの世界には、魔物が存在しているんだっけか。それなら確かに、日が沈む前に安全な場所を確保しておきたいところだ。

 空楽が洋書を広げるとページがひとりでにめくれていき、自動で止まる。開かれたページの上には、ほのかにぼんやりと輝く小さな魔法陣とともに、矢印が現れていた。

 これは確か、空楽の小説に登場する主人公が序盤で使っていた魔法だ。もっとも彼は本を使わずに、素手で魔法を扱っていたけれど。

 街や村、小屋など、近くの安全な場所へ案内してくれるもので、旅人なら習得必須といっても過言ではない。……と、小説内で説明があった。

 それを使えるということは、やはりここは空楽の言っていた通り、あの小説と同一の異世界なのだろう。

 あれだけ奇妙な体験が続いていたというのに、不思議だ、という感情が湧き出ていた。目に映る範囲では、元の世界と変わりないからかもしれない。

 これから俺たちは、この世界でどうなっていくのだろう。完全なる未知ではないせいなのか、恐怖よりも冒険心や興味のほうが勝りつつあった。
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