世界の色が失われる前に

雪原 秋冬

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第二部

4:不透明

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 気が付けば朝……だと思ったのに、小さな窓から差し込む光がやけに明るく感じる。外は静かだけれど、深夜帯のように何もかもが眠りについたような静寂ではなく、木々が目覚めているさざめきが感じられそうな、心地のいいものだった。

 家の中に空楽は見当たらない。一応俺も魔法が使える状態になっているらしいが、まだ感覚を掴めていないし、使い方が分からないから顔を洗ったりして身支度を整えることすらできなかった。

 テーブルの上に空楽の洋書が置きっぱなしになっているところを見ると、遠くへ行っているわけではなさそうだ。

 まあ……もう必要ないからと、あえて置いて行った可能性もあるけれど。

 魔法の参考になるかもしれないと思い、洋書の中身を確認しようとして手を伸ばした瞬間、出入口のドアが開いた。

「――あ、よかった……目が覚めたんだね。おはよう……と言っても、たぶん昼過ぎだと思うけど……体調はどう?」

「べつに問題ないよ。というか昼過ぎって……ずいぶんと寝てたんだな、俺」

 外から戻ってきたらしい空楽は、妙に心配するそぶりを見せながら、テーブルの隅に置かれていた水差しの中身をコップに移して俺に差し出す。

 ……水差しにコップ? 昨日確認した限りではそんなものなかったはずだけれど……村の人から譲ってもらったのだろうか。

 渡された水は程よく冷たいもので、寝起きの身体に染み渡った。どうやらすごく喉が渇いていたらしい。

「鈴真は丸一日寝てたんだよ。……まあ、疲れてたんじゃないかな」

 たしかに死んでから睡眠なんて取っていなかったとはいえ、そんなに影響の出るものなのだろうか。霊体だから……精神的な疲労として蓄積されていたとか? それなら理解はできる。あまり納得はできないけれど。

「……それなら空楽のほうが疲れていたんじゃないか?」

「一昨日話したように、俺は緒澄と合流できてからは休めるタイミングもあったから、案外平気だったよ」

 それでもやっぱり、普段よりも寝すぎてしまったけど、と空楽が少し笑いながら補足する。

「…………」

 たっぷりと睡眠をとって頭が冴えたのか、空楽から話を聞いたときは特に何も思わなかったのに、今になって緒澄という死神の存在が気になりだしていた。

 同じ死神である銀花があんな振る舞いをしていたのに、空楽や俺に対して心から協力的なんてことはありえるのか?

 銀花と同じように、何か別の目的があったんじゃないかと、猜疑心が生まれて止まない。

 統一されたプログラムでもない限り、もちろん死神だって千差万別、個性豊かなことだってありえるのだろうと考えても、やはり俺には信じきれないものだった。

 村人から分けてもらったらしいもので食事を済ませ、シャワー代わりにあえて冷水のまま浄化した井戸水を浴びて身支度を整えたあと、改めてテーブルのそばで椅子に腰かける。

「鈴真が寝ている間に、村の人から滞在許可をもらったんだ。勉強の一環として、しばらく街から離れて生活することになっている、って伝えてあるよ」

「そっか。ありがとう」

「食事も少しずつ自分たちで賄えるようにしないとね。村にある農具は自由に使ってもいいって言っていたから、あとで見に行こう」

 一瞬、空楽の魔法があるんだから農具は不要なんじゃ……と言いかけたけど、俺自身はまだ魔法を扱えないから、そのために道具の使用も視野に入れているのだと気付いてやめた。

「あと、新しく分かったこともあって……。もしかしたら、鈴真の色覚が戻るかもしれないんだ!」

「……え?」

 大きな街なら腕のいい医者でも見つけたのかと思うけれど、ここは寒村だ。まあ、あえて寂れたところに居座る者もいるかもしれない……などと失礼なことを考えてしまうが、早くもこの色のない世界が元通りになる可能性があるなんて、寝耳に水だ。

「本には魔法について書かれているページのほかに、俺が書いていた小説がそのまま載っている部分もあってさ。試しに続きを書いて新しい魔法を登場させてみたら、俺も同じものを使えるようになったんだ」

 そう言いながら空楽は、キャビネットからスープ皿を一つ取り出すと、魔法を発動させて形状をコップへ変化させる。その様子を俺に見せたあと、もう一度魔法をかけ直して元の状態に戻した。

 なるほど、だから最初に食器類を確認したときにはなかったもの――コップや水差しが存在しているのか。

「つまり俺と同じような症状のキャラを登場させて、マツヤに魔法で治療させたんだな」

「そういうこと」

 マツヤは物語の中で、様々な魔法を編み出して使用していく。厳密に言うと能力の一環として、欲しいと思った効果の魔法を自動で習得できるのだが、万能というわけではない。

 もちろん彼が望めば思うがままに振る舞えるのかもしれないけれど、物語の冒頭で出会って蘇生させた生物をお供にして、世界各地のおいしいものを食べながら、気ままにゆるく旅をしているだけだ。

「じゃあ、さっそく試してみようか」

 俺が発した言葉に対して、空楽が不安げな表情を見せる。

「……期待させるようなことを言っちゃって申し訳ないんだけど、鈴真にも効果があるかどうかは確証が……」

 実際に試してみるという段階になってから、成功するか否かという現実を認識して自信がなくなってしまったらしい。

「いいよ、効果がなくても。チャンスはこれきりというわけじゃないんだし」

「――――まあ、そうなんだけども……」

 歯切れの悪い返答をされてしまう。仮に今しか治すチャンスがなかったとしても、俺は失敗したって構わない。ある種の諦めた感情が空楽にも伝わってしまっているからこそ、複雑な思いをさせてしまっているのだろう。

 空楽が魔法陣を展開させたのを見留めてから、目を閉じた。もし元通りになった場合、急に色鮮やかな世界に変化するということを考えると、少しずつ慣らしながら視覚情報を受け取ったほうがいいと思ったからだ。

「――終わったよ。どうかな」

 ほどなくしてかけられた声を合図に、ゆっくりと目を開けようとした――が、少しだけ視界が広がったところで、変わりないことに気付いて通常通り目を開ける。

「変わってなかった。……ところでさ、この世界って魔法が使えない人に向けた道具があるでしょ?」

 嘘の結果を伝えても意味がないので、率直に述べる。あらかじめ「効果がなくても構わない」と伝えているし、ここで改めて励ましの言葉をかけても、かえって空楽が気にするだろうと思い、彼の反応を待たずに話題を切り替えることにした。

「え――あ、まあ……たしかに色々あるけど……どうしたの?」

「魔法を使うイメージの参考にしようと思って――でも紙やペンがないと作れないな」

 紙やペン、という言葉で「ああ、魔法陣が書かれているタイプね」と空楽が理解を示す。

 ランタンのようなスイッチ式で使えるものだけではなく、特定の効果を得られる魔法陣が描かれたタイプも存在しており、魔法が不得意な者でも日常生活に支障が出ないよう配慮がなされた世界だ。

 とはいえ原理的にはどちらも似たようなものだとか、そういった説明を小説で見かけた覚えがあるけれど、どういった違いがあるかまでは知らない。

「似たものか、材料そのものがあれば魔法で作れると思うけど……そういえば紙やペンそのものは作ったことなかったかも」

 マツヤは何か記録する必要がある場合に、魔法で実体のないものに情報を収納していた。書いたり見たりするときにライブラリを出現させて、用のないときはスペースを気にせずしまっておける。そんな感じのものだ。

 ページ数などの容量に関しては使い手の魔力に依存しているから、人によってはほとんど記録できなかったりする。とはいえライブラリとして使おうと思う者は大抵それなりの魔力を持っているので、基本的に気にしなくても問題はないらしい。

 内容は共有しようと思えばできるから、それと同じ要領で魔法陣を書いて渡してもらうという手もあるけれど、これは双方とも魔法が使えないと利用できない方法だ。

「この家にそれっぽいものが見当たらないってことは、ほかの家にもなさそうだから……大きめの葉っぱでも見つけてきて、それに書く?」

「原始的だなあ……」

 幸い森ならこの家の裏手に広がっている。規模が分からないから、入るなら迷わないように気をつけないといけないな。

「あとは布に書くくらいだけど……この家にあるものはみんなボロボロだし、材質的にも難しそうだね」

 家に残されていた布類の中で一番ましなベッドのシーツも、便宜上そう言っているだけで、実際には硬い繊維を荒く織ったようなもの、かつ古びているから物を書くのにまったく適していない。

「うーん……。この村って完全に自給自足で暮らしてんのかな。近くに街でもあれば、そっちで色々揃えられそうなんだけども」

 とはいえこの世界の金銭を所持していないから、近場にあったとしてもまずは金を稼ぐところから始めないといけないのが少々ネックだ。仮に魔物討伐だとか、採集依頼のようなものがあっても、今の俺では完全に足手まといになってしまうし、空楽一人に危険なことはさせたくない。

「ああ、それなら近くで珍しいものが採れるらしくて、それを聖都の人に買い取ってもらってるって聞いたよ。だからこの村だけで賄っているわけではないかな」

 俺が爆睡している間に村の人から情報を集めていたらしく、有益なことを教えてくれた。

「珍しいもの?」

「キラキラ光る花だとか……。採集したものは全部出荷しちゃうみたいで、詳しいことは分からなかったんだけどね」

 空楽が知らないということは、もともと小説内には組み込まれていなかった植物なのだろう。何にせよこの村でも稼げる手段があるのなら、ぜひ参加したいところだ。

「それって毎日出荷してるってこと?」

 たまたま出荷日が重なって見られなかった可能性もあるけれど、植物なら鮮度も大事だ。魔法である程度維持したり、加工して状態を保存することも可能だとは思うけれど、村でそこまでやっているようには思えない。

「……最初は聖都側からの補助もあって、転移魔法を使って送っていたらしいんだけど……。今は定期的に直接受け取りに来るらしいから、それに合わせて当日に決まった分だけ採っているんだって」

 元の世界と同じように物品を直接輸送するのでは、距離の都合でどうしても時間がかかってしまう。そのため速さを求めた結果、遠く離れていても瞬時にやり取りができるように取引専用の転移魔法があるのだが、事故防止のため起動には決まった手順の操作が必要になっている。

 取引専用の転移魔法自体も、いくつか種類があるらしいというのはさておき……。以前は使っていたのに、今は出向いてくるというのはどういうことだろうか。

「鈴真、この村にいるのは年配の人ばかりだっていうことには気づいていたでしょ?」

 うなずいて肯定する。

「若い人たちはどこかへ出稼ぎに行っているわけでもなくて、本当に年配の人しかいないらしいんだ。――全員死んじゃったんだって」

「死んだ……? 全員!?」

 思いもよらぬ事実に驚愕する。どうしてそんなことになってしまったんだ……?

「だから転移魔法を扱える人がいなくなっちゃって、対面取引になったんだってさ」

「それよりも、全員死んだって……一体何があったんだよ」

「……それが、教えてもらえなくて……。禁忌として扱っているとか、俺たちを貶めようとしているとか、そういうのじゃなくて、単純に重要な情報だと認識していないみたいなんだよね」

「なんだよそれ……」

「そのわりに『歓迎してる』なんて言ってくるから、困っちゃったよ」

 空楽が苦笑する。彼の言う通り、歓迎する気持ちがあるのなら、老人だけになってしまった経緯について説明してもらいたいところだ。大事なことだと思っていないのなら、それも難しそうではあるけれど……。

 それにしても、特産品があるのなら、どうしてこの村は発展していないのだろうか。光る花を見つけた時点で村に老人しかおらず、聖都との取引も決まった日しかできていないのなら納得はできる。

 けれども空楽の話を聞く限りでは、少なくとも転移魔法が使えていたときなら頻繁に取引していたように思えるのに、なんだか奇妙だ。

 まあ単に買いたたかれているか、そもそも採集できる量がごく少数に限られており、発展に回せるほど余裕がないのかもしれないから、深く考える必要はなさそうだけれども。

「それで、鈴真は光る花を採りに行くの?」

「採ってもいいならもちろんそのつもりだけど、なに?」

 俺がやろうとしていることに対して、全面的な同意を示すような言い方ではなく、何か言いたげな切り口だ。

「だったら最低限、魔法を扱えるようになってから行くべきだよ。さっき話したこともあるけど、この世界は俺でも知らないことが色々あるみたいだし、森の中がどうなっているのか分からないんだから」

「……いや、まあ――、それもそうだけど……」

 俺には魔法がなくても、霊体のときの力が残っている。だから多少のことならなんとかなる……と思うんだけど、空楽には説明していないので、この言い分も仕方がない。

「というか、その本がなくても空楽は魔法が使えるんだろ? 魔法に関することも載っているみたいだし、ちょっと貸してくれないか」

 わざわざ書いてもらわなくても、大元である本を借りればいいことに今更ながら気が付いたので、すぐに提案する。紙やペンはすぐに準備できなさそうだし、待っている間がもどかしい。

「え――……と、これは……」

 快諾してくれると思っていたのに、その予想に反して鈍い反応をされる。少し目を泳がせたあとに「ごめん」と断られてしまった。

「この本を使って小説の続きを書かないといけないし……、何よりも、これが何なのかまだ分かっていない部分が色々あるから」

 そういえば本を使って小説の続きを書くことで、新しい魔法が作れると言っていたな。先ほど試した色彩を取り戻す魔法とは別のものを作って、どうにか俺の色覚を戻したいということなのだろう。

 それなら小説を書くときだけ返す……、というよりも、俺が魔法の確認をしたいときだけ借りれば済む話だと思うけれど……。まあ、無理強いをしたくないので追及はしなかった。
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