世界の色が失われる前に

雪原 秋冬

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第二部

3:星の伝説

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「……トラントロップって……空楽は誰なのか知ってる?」

「……全く知らないわけじゃないけど……でも、彼女は……」

 気になるので詳細を促すと、空楽は話を続けた。

「元の世界だとさ、空って宇宙の一部が見えてるだろ? 輝く星々は太陽のような恒星の光が地球まで届いたり、その光が月のような天体に反射したりして、俺たちに届いてる……。それなら異世界だとどうなるんだろうなって考えたことがあって……」

 そう言われてみれば、異世界での空の事情ってあまり深く考えたことがなかった気がする。自分が住んでいたところと同じように、昼夜が巡って空には雲や星々が広がり、四季があるものだと思い込んでいた。

 現にこの世界も日が沈み夜が訪れているから、そういうものなのだとばかり思っていたけれど……まだ途中とはいえ、空楽の話を聞く限りでは、どうやら違っていたらしい。

「この世界が出来たときに、太陽と同じ役割を持つ光も存在はしていたんだけど、月や星はなかったんだ。だから夜は真っ暗でさ。でもそれじゃ不便だろう、ということで夜空に光を与えたのが、偉大なる魔女――トラントロップだよ」

 そうしてこの世界にも、天体の存在する世界と同じように、太陽と月や星々が浮かぶ昼夜が訪れたらしい。

「……このリストを見る限りだと、異世界出身者の名前が記載されているんじゃないかなって思うんだけど……トラントロップは別に、そういった設定はつけてないんだ」

 ここがゲームの世界ならバグかな、なんて思えたけれど、そうではないのでリストに載っている理由が分からない。

「昔いた魔女ってことと、グレーアウトしてるってことは……もう死んでるのかな」

「たぶんそうだと思う……」

「じゃあ、死んだときに異世界へ転移か転生をしたとか?」

 その可能性はありそうだ、と空楽が答える。もちろんこれも空楽が設定したものではないけれど、状況から鑑みると一番ありえそうなことだった。

 空楽が考えていたのは星々にまつわる伝説だけで、彼女自身について細かく決めていたわけではないとのこと。それなら俺たちがこの世界へ転移してきたように、彼女も別の世界へ行っていてもなんら不思議ではない。

 空楽はリストに表示されている俺の名前を指で操作する前に、トラントロップの表示に触れる。……が、やはり彼女の操作はできないのか、名前に被る形でバツ印が数秒間表示されたあと、リストは元通りになった。

 俺の名前に触れても同じような動作をしたらどうしよう、とでも懸念を抱いたらしく、空楽の表情は曇り、少し震える指先でリストにある俺の名前に触れる。

 ――“魔法の使用を許可しますか?”

 先ほどのバツ印のように、俺の名前のそばでそんな言葉が浮かび上がった。……こう言われるということは、ついさっき使えたものは魔法じゃない……つまり正真正銘、俺が霊体のころに扱えるよう練習していた、ポルターガイストそのものということだ。

 全色盲の状態になっていることといい、生身であるはずなのに、霊体のときの要素が加わっている状態なのだろうか。

 前の世界の最期の記憶と、空楽が言っていたことを併せると、俺の魂は一度銀花に食われている。その状態から復元されたとなれば、何らかの不具合が起こってもおかしくはないのかもしれない。

 魂を再生して蘇生させる魔法も、本来ならマツヤが使っていたように、目の前で死んでしまった命を救うためのものだろうから、俺の場合は状況が特殊すぎる。

 改めて考えてみると、成功したのが不思議なくらいだ。……そもそも世界も違っているはずだし……。

 まあ、考えても答えの出ないことを追求しても仕方がないか。

「……どう? 何か変わった?」

 使用可否を選ぶボタン等は見当たらなかったので、どう操作したのかは分からないけれど、いつの間にか許可を終えていたらしい。

「特に何も……」

 しかし湧き上がるような力を感じることもなく、他にもそれといった変化は認識できなかった。

「まあ……そうだよね。俺も分からなかったし」

 少々苦笑を漏らしながらそうこぼす空楽は、そういえば先にこの経験をしているのだった。

「というか、俺はその魔導書みたいなの持ってないんだけど、それでも使えるのかな」

 魔法陣を消して洋書を閉じた空楽は、俺の問いに対してなぜか意表を突かれたかのような反応を見せる。

「えっ!? えーっと……その……俺がいちいちこれを開いているのは……、ノリというか……気分的なもので……たぶん、なくても問題なく使えるはずだよ」

 必須ではない事実を説明するのが気恥ずかしいのか、少し言いづらそうにしながらも空楽はそう答えた。

「……っふふ、なんだ、そうだったのか」

 笑うなよ、とでも言いたげではあるが、彼は何も言わない。ここが魔法の存在する異世界であることに変わりはないのだから、もっと楽しく来訪できていれば、俺だってはしゃぎたい気持ちだ。

「でもそうやってイメージを補いやすいものを使ったほうが、魔法を扱いやすいのかもしれないな」

 生まれたときから魔法の存在する環境で暮らしているのならまだしも、そうではないのなら、杖や本、水晶というような道具を使用したほうが発動のイメージが湧きやすい。あとは魔法陣を描いたりするくらいだろうか。世界の理に則った正確なものが書けるかどうか分からないから、こちらはなんとも言えないけれど。

「……じゃあ鈴真も、なんか使って試す?」

「んー、それは追々考えるとして……今日はもう休もうかなって」

 空楽のおかげでようやく緊張の糸が切れたのか、急激に疲労を感じるようになり、眠気も襲ってきた。時計がないから時間の確認ができないけれど、話し込んでいる間に夜も更けてきたのかもしれない。

 椅子から立ち上がって軽く身体を伸ばしながら、寝るにあたってやらなくてはならないことを連想する。

「風呂……はないだろうから井戸水か魔法でなんとかするとして……着替えはどうする?」

 村長の家にすら風呂らしき設備が見当たらなければ、ほかの家にもないだろう。大衆浴場があるなら、ここの村人なら教えてくれそうだ。まあ、あっても使用頻度が高くないなどで、準備されていなかったら声はかけられないだろうけれど……。

 田舎のほうは日が沈むとやることがなくて眠るのも早いと聞くし、すでに寝静まっているかもしれないから、わざわざ確認しにいく必要もないだろう。

「物がそのままなら、チェストに衣類が入ってるんじゃないかな。……でもたぶん、魔法でシャツとか綺麗にして使いまわしたほうが眠れると思うよ」

「じゃあそうしようか」

 ベッドのシーツや毛布自体、あまりいいものではない。衣類も日常的に使っていたものは本来なら粗悪品で、俺たちにとっては着心地が悪いものだろう。

 たぶん、この世界での俺たちの生活水準は、聖都に近いのだと思う。どういった場所なのか詳しいことは分からないから、名称から勝手に想像したものでしかないけれど。

「――それ」

 家の外にあった、大きめの桶を浄化してから綺麗な水を張り、魔法でお湯に変えている空楽がふとこちらを向いて口を開いた。

「ん?」

「ピアス……つけてくれてありがとう。渡せなかったから、実は心残りだったんだ。誕生日おめでとう……って言うのはちょっと遅すぎるけど」

 もはや身に馴染んでいてつけていることをすっかり忘れていたが、習慣で無意識のうちにピアスを外そうとしていたらしい。その様子を見た空楽がつけているものに気が付いて、声をかけてくれたようだ。

 ……もしかしたらこの世界で再会したときから気付いてはいたけれど、俺が言えるような状態ではなかったから、気を遣って今まで黙っていただけかもしれない。

「――あ、いや…………こちらこそ、覚えていてくれてありがとう。嬉しいよ。……むしろ、お礼を言うのが遅くなってごめん」

 たらればを考えるのは無意味だと理解していても、思ってしまう。――二人とも元の世界で生きていたら、今頃どうしていたんだろうか、と。

 霊体になってからどれくらいの時間が経ったのか、正確なものは分からない。だからもしかしたら、精神だけはすでに生まれてから十八年経っているということも、ありえるわけだ。

 そうすると、大学に向けて勉強でもしているのだろうか。それとも特に変わらず、苦労せずとも入れる範囲を選んで、遊び呆けているのだろうか。……いずれにせよ今となっては、遠すぎる世界の話だ。

「そうだ空楽、これ。おばさんから預かってたから、返すよ」

 同じく馴染んでいて身に着けていることを忘れていたもの――空楽のリングを、通していたチェーンごと手渡す。

「! これ……! ありがとう、鈴真!」

 ぱっと顔を輝かせながら受け取る姿を見て、こちらも嬉しくなる。「もしかしたら会えるかもしれないから」と身に着け続けていたものがこんな形で実るなんて、あのときは露ほども思っていなかったけれど。

 二人とも寝支度を調えた頃には、だいぶ時間が経ってしまったように思えた。慣れないことばかりで手間取っていたからかもしれない。外が異様なほど静かで、物音や話し声に気をつけていたから、というのも要因に絡んでいそうだ。

 二つあるベッドにそれぞれ横になると、室内が薄暗く照らされるように、空楽がランタンの魔法を調節した。

 ――その瞬間の天井が、非常灯の光のみで仄暗くなった、深夜のブティックと被る。

「――鈴真?」

 知らぬ間にうめいていたのか、様子のおかしくなった俺に気付いた空楽が、明るさを上げてこちらのベッドへ赴く。

「――――、ごめん、なんでもない……」

 そう言いながら身を起こそうとすると、空楽に止められた。どうしても起きたいわけではなかったので、そのままもう一度ベッドに身体を預け直すと、そこで初めて己の手が震えていることに気付く。

 トラウマ――なのだろうか。気持ちとしてはそんな感覚がないから、煩わしいとしか思えないけれど。

「この世界にも星座ってあるのかな」

 突拍子もないことを空楽が口にする。不思議に思って空楽のほうへ目を向けるが、彼はこちらを見ておらず、先ほどよりも明るくなった天井を眺めていた。

 それからすぐにいくつかの魔法陣が空中に浮かび上がったかと思いきや、天井――いや、部屋一面が、星々の煌めく夜空のように変化する。「本がなくてもたぶん魔法は使える」と言っていた通り、たしかに空楽は何も持たずに魔法を発動させていた。

 それにしたって、魔法のある環境になってからあまり日数は経っていないだろうに、すでに使いこなせているように思えるのは、彼がこの世界の創り手だからだろうか。

 星空を模した天井を眺めながら空楽と他愛のない話をしていくうちに、手の震えもいつの間にか止まっていた。

 自宅で小さい子と楽しむような、小型のプラネタリウムのようにあからさまな装置の明かりではなく、本物の星空のように見えるのは、さすが魔法と言うべきか。星々が煌めいているとはいえ、この状態だって比較的暗いはずなのに何ともないのは、無機質で平坦な仄暗さがダメなだけなのかもしれない。

「――――」

 先ほど起きようとした俺に触れたとき、震えていたことに空楽も気付いたはずだ。しかしそのことには一切触れず、気を紛らわすようにすぐ別の話題を振ってくれたことは、正直ありがたかった。

 原因に関して、感傷に浸りたいわけではないし、慰めてほしいわけでもない。蓋をして忘れてしまいたい……というのが一番近いか。

 ごわごわとした硬いシーツの感触に慣れてきた頃、ようやく俺は眠りについていた。
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