僕のみる世界

雪原 秋冬

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一章

16.見える?

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 須納のことを話そうと思ったが、伊織にとっても面白い話題ではないだろうと思い、やめることにした。

「あとで、都織から連絡が来る」
「そうか。ありがとう」

 どうやら東雲は、俺が同行することを了承してくれたらしい。彼女が帰る頃に、都織さんから連絡が来るようだ。時間はおそらく、日が沈みだす前になるという。昼過ぎくらいだろうか。

「和樹は……」

 ためらいがちに伊織が口を開く。まるで言葉にするのを迷っているようだった。

「……和樹は……、少し、見えるほう?」
「え……」

 心臓に痛みが走るほど、動揺する。ちがう、たぶんこれは、あの人影のことを言っているんじゃない。たぶん、霊のほうだ。それならなんと答えればいい。
 宮原家が霊的なことに精通していると想定した場合、いっそ相談してしまうのもありなのかもしれない。もしかしたら、俺以外にも見える人がいるかもしれないし、原因や正体だって判明する可能性だってある。

「いや、霊の類は見えない……と思うよ」

 俺の曖昧な返答に、伊織は「そう」とだけ返してくる。
 結局、濁してしまった。もし俺以外の誰にも見えなかったとして、これが幻覚の一種であると示唆されてしまったら、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。原因もまったく心当たりがないのだが、伊織の家で遊んだことがあるはずなのに、欠片も覚えていないことを鑑みると、昔なにかがあって、その辺りの記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている可能性がある。

 それならその要因として、宮原家関係という線が濃厚になってしまうのだが、伊織も都織さんも、そんな素振りはまったく感じられなかった。何か事件や事故に巻き込まれたのなら、あの二人の場合、気を遣って覚えていない俺に合わせてきそうだ。

 だから、俺が部分的に記憶を失っているとして、二人がその原因を知っている可能性は低いと思われる。眉唾ではあるが、知ってはいけない何かを知ってしまって、記憶を消された――なんてことがあれば、宮原家の者が素知らぬふりをしているのも理解できる。が、俺は、二人がそんなことをするような人間ではないと信じているから、その考えは思考の外に追いやってしまおう。

 ところで、先ほど伊織が口にしていた言葉に、少し引っかかるところがあった。

「なあ、なんで『少し見える』って聞いたんだ?」

 単に見えるか見えないか、という問いかけではない。何らかの判別材料があって、伊織はこう聞いたのだ。

「何かに怯えている……、恐れているようなときがあったから」

 言われてみれば確かに、俺は昨日、待ち合わせ場所だった公園で例の人影を見てしまったし、それ以降も雰囲気にのまれるような形で、気分が悪くなるときが度々あった。それに気づいた伊織から、帰ろうかと提案されたこともあるから、きっとその辺りのことを指しているのだろう。

 それにしても、「少し」と評したのが解せないけれど……伊織には見えていて、俺には見えていなかった何かがあったのか? しかし、具体的に何が見えていたのかという話題は一切していない。視覚情報による行動においても、俺と伊織に違いは見られない。たとえば、見えていたら思わず避けてしまうとか、少しの間でも、対象に向けてつい視線を送ってしまうとか、そういったもの。

 ただそれも、すでに見慣れた世界であるがゆえに、抵抗なく素通りできることだってありえるだろう。それらを踏まえたとしても、やはり……何かがかみ合っていない気がする。

「伊織はどれくらい見えるんだ?」

 もやもやとくすぶるこの考えをはっきりさせたくて、そう質問した。それを受けた伊織は、少し顔を伏せて、沈黙する。なぜだろう、聞いてはいけないことを口にしてしまったような、相手の地雷を踏んでしまったような……そんな気分にさせる反応だった。

「……俺は何も見えないよ」

 その答えに、俺は愕然とする。……そうか、まず前提が間違っていたんだ。これまで起こったことから、俺は勝手に「伊織には霊感がある」と思い込んでいた。しかしそれは間違った認識で、実際には違っていた……。

「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「いや、なんか……聞いたらまずいことだったかな、と思ってさ」
「問題ないよ」

 伊織の反応を見たときに覚えた感覚に、間違いはなかったらしい。問題ないと言われても、どこか陰りを感じさせる様子に変わりはない。

「――あれ、でも……伊織がまったく見えないのなら、おかしくないか?」

 何が、とでも言うように、伊織が少し首をかしげる。

「破魔の刀を使うとき、どうやって相手を斬るんだ……? 見えるものだけを相手にするのか? それにちょっと前、昼飯を一緒に食べただろ。あのときだって、通常なら見えない何かに『お供え』してたんじゃないのか?」

 疑問点が多く、矢継ぎ早に質問する形になってしまった。ごめん、という意思を込めた視線を、伊織に送る。

「見えていない相手でも、攻撃する手立てはある。お昼のは……」

 そのとき、風もないのに庭の茂みが揺れだした。飼っているという話を聞いたことはないが、犬だろうか? しかし、茂みはそれほど深いわけではないのに、一向に姿が見えない。不審に思っていると伊織が立ち上がり、なぜか目を閉じてから言葉を発した。

「……そんなことをしても、和樹にも見えないみたいだよ」

 茂みの動きが止む。……何かがいるんだ。伊織が言っていた通り、俺には何も見えない。口ぶりからして伊織にも見えないらしいが、その存在が何なのかは知っているようだ。
 伊織は再び、縁側に腰を下ろす。それからすぐに口を開くことはなく、無言の時間が流れたが、俺はいずれ来るであろう、伊織の言葉を待った。

「……お昼のことは……、秘密」

 あのとき、どこか悲しげにしていた伊織の表情が重なって見えた。続けて「ごめん、言えない」と、伊織は謝罪を述べる。

「いや、謝ることはないだろ。なんでもかんでも説明してもらえるとは思ってなかったし」

 もちろん説明してくれたら嬉しい……というよりも、納得できる内容ならすっきりするとは思うけれど。俺が人影のことを言えなかったように、伊織にだって言えないことがあると思う。それに、家のルールに縛られていて、伊織の独断では説明できない事項もありそうだ。

「……変なこと言ってるな、って思われるだろうけどさ。俺って、伊織の家で遊んだことがあるのか?」
「母屋でなら、何度かあるよ」

 ほとんど即答だった。都織さんが覚えているように、伊織も覚えている。忘れているのは、どうやら俺だけのようだ。

「和樹は『家が広くて楽しい』って言いながら、よく探検してた」

 俺、そんなことを言ってたのか? 全然覚えていない……。人様の家で勝手に探検するなよ、昔の俺。

「それに、昔の和樹は……」

 そこまで言いかけたのに、伊織は口をつぐんでしまった。

「なんだよ。最後まで言ってくれないと、気になるだろ」

 視線をさまよわせる彼に対して、いいから、と言って続きを促すが、それでも伊織は渋っているようだ。そのまま待ち続けると根負けしたのか、少しずつ語り始める。

「……昔の和樹は、オカルト系の話が好きで……、俺の家も、何かいそう、って楽しそうにしてた……」

 嘘だろ、と声に出したつもりだったが、まるで形になっておらず、息をのむような音しか出ていなかった。

「……ごめん、やっぱり、言わないほうがよかったね」

 俺の反応を見るや否や、伊織はまるで自分も痛みを感じたかのように、申し訳なさそうな顔をしながら、そんなことを口にする。

「いや、こっちこそごめん。なんというか、全然覚えてないから驚いただけだ。平気だよ。むしろ、なんで忘れているのか、知りたいくらいで……」
「……今は、そういう話を避けているみたいだし……、きっと、忘れたままのほうがいいことだと思う」

 やっぱりそう、なんだろうか。昔の俺がオカルト好きだったなんて、にわかには信じがたいが、幼馴染である伊織の言うことを、疑うなんてありえない。ましてや彼の性格を考えると、嘘をつくメリットなんて何もないはずだ。

「……あのさ、もし、この家で何か見てはいけないものを見てしまって、それで忘れたとか、そういうことは……」

 失礼を承知で問いかけてみる。

「それは……、ないと思う……。見られて困るものは、ないはずだし……。昔から都織たちも平気だから、霊の類というのも……たぶん、違う……」

 これまでのことを思い出しながら話しているのか、たどたどしく言葉を紡ぐ。
 昔は俺にも霊感があって――という可能性も考えていたことを、伊織はしっかりと見通していた。それでも「見える」らしい都織さんなどは幼少の頃から問題がない辺り、それも違うらしい。ますますもって、原因の所在が分からない。

 伊織は思い出さないほうがいいことだと言っていたが、やはり忘れていると知ってしまった今では、それが何なのか気になってしまう。イザナイさんの話を聞いたときに、わざわざそんなリスクを負ってまで何を願うのかと思っていたが、こういう状況なら、たしかに頼ってしまいたくなる気持ちも分かるな、と思った。
 俺は昨日のこともあるし、手詰まりというわけでもないから願おうとは思わないが、揺るぎなく求めているものがある人にとっては、最後の望みになるのかもしれない。
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