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第十四話
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二日後の夕刻。権座の荒ら屋には、ぐるぐるきゅるきゅるという腹の虫の音ばかりが響いておりました。腹の虫の飼い主は桃太郎と権座です。子種しか受け付けない桃太郎はもちろんのこと、桃太郎が食事をするまで自分も食べないと言い張った権座も、本当に一口も食べ物を口にしておりませんでした。頬が多少こけたこともありますが、それ以上に顔色が悪くなっております。それでも尚も頑強に、桃太郎が食べるまではと頑張っているのでありました。
一方の桃太郎は、いまや瀕死の状態でありました。生まれてこの方二日間も子種を飲まなかった日などありません。試しに粥を口にしてもみましたが、飲み込めずに吐き戻してしまいました。
権座の子種が飲めないならと、犬や猿の摩羅を吸おうとすると、「自棄になるのはおやめください!」と権座が止めに入ります。怒鳴ったり泣いたり色仕掛けを試してみたりもしましたが、権座にはまるで効きませんでした。また、自分は桃の精で人の子種を飲んで生きているのだと、思い切って正直に話してもみましたが、心が不安定なのだと余計に心配されてしまいました。
その結果、この二日間片時も目を離して貰えず、摩羅を捜しに外出することもままならなかったのです。
――腹が減った。死んでしまう。あぁ、摩羅……摩羅……。
桃太郎の脳裏に、これまで吸ってきた数々の摩羅が走馬灯のように浮かんできます。こうなっては村の爺達の摩羅ですら懐かしく思われます。殊に、一番馴染んだ育ての爺の摩羅を思えば、恋しくて涙さえ溢れてきました。
――あぁ、理想の摩羅にも出会えず、私はこんなところで死ぬのか。こんなことなら平次の子種で溺れ死んでいた方がどれほど良かったか。
床に伏せ、摩羅を想ってさめざめと泣く桃太郎の涙を、権座が優しく拭い取ります。
「きっと空腹が限界を迎えたら、食べる気力も湧きますよ。きっと大丈夫です」
見当違いな励ましの言葉に、桃太郎はもう怒りすら湧きません。力が出ず、悲しくて、言葉もなく涙を流すしかありませんでした。
「ああ、桃太郎殿、おかわいそうに。あなた様のように美しい若君が供も連れず旅をされるなど、あまりにも無謀なのです。どのような目的があって鬼ヶ島を目指されていたのかは知りませんが、人の世でもこのように世知辛いものを、いわんや鬼の棲家ともなれば……」
――そうだ、鬼ヶ島だ! 鬼の摩羅だ!
権座の言葉に、桃太郎の両目がくわっと見開かれました。
――こんなところで死ぬわけにはいかぬ。鬼の摩羅を目にせず死ぬなど、捨ててきた村の爺達の摩羅にも顔向けできぬというもの。私はなんとしてでも鬼ヶ島へ渡り、鬼の摩羅から子種を飲むのだ!
俄然気力が漲ってきた桃太郎は、涙を拭ってくれていた権座の手をぎゅっと握りました。
「権座さん、私はどうやらもう駄目なようです。心が折れ、食べ物を体が受け付けません。かくなる上は、この旅の本懐を遂げさせてください。鬼を倒せぬまでも、しっかりと鬼ヶ島まで辿り着き、育ての父母のために宝を持ち帰ろうと力を尽くしたと、己で納得して死にたいのです。あのような目にあったとて私も男子。どうせ死ぬなら己の決意を果たして死にたい。権座さん、あなたも男子なら、わかってくださいますよね」
決意を漲らせた力強い目で訴えかけると、権座は感に堪えぬといった表情で桃太郎の手を握り返し、はらりはらりと涙まで落としました。
「なんと高潔なお心なのでしょう。それでこそ男子。そこまでおっしゃるのなら、儂ももう止めはしません。存分に本懐を遂げられませ」
力強い言葉とは裏腹に、目には悲しみを湛え、それでも微笑んで権座は言いました。桃太郎も襤褸が出ないようそれ以上余計なことは言わず、応えてこくりとうなずきます。
涙を隠すように背を向けた権座は、しばしお待ちをと家の外に出ていきました。すると外からぎゃあぎゃあという喚き声が聞こえ、程なく両の足を縛った雉を手に戻ってきました。
「鬼は鳥獣を生きたまま頭から食らうと聞いております。桃太郎殿に懐いたこの犬と猿を身代わりにするのはお心も痛むでしょう。この雉をお持ちになって、危なくなったら鬼に放り投げてお逃げください」
貧しい暮らしをしている権座にとって、美味な雉は大変な財産でしょう。しかし、ここで断ってまた押し問答を始める時間も惜しく、桃太郎は感動したそぶりで雉を受け取りました。
両足を縛られて逆さにされた雉は、恨みがましい目で桃太郎をねめつけています。桃太郎は一応雉の足の間の羽を掻き分けてみましたが、残念ながら望むものはそこには無かったので、小さく舌打ちをしました。
「何か?」
「いえ、こんな立派な雉、権座さんが大切に育てていらしたのだろうと思うと、いただいてしまうのも申し訳なく思われます」
摩羅が無くて失望したとは言えずに桃太郎が誤魔化すと、権座は首を振り、優しく微笑みます。
「それは、いずれ儂が嫁を貰うことがあれば、婚儀の祝いに潰すようにと父母に遺されたもの。こう貧しくては嫁の来手もありませんし、儂の家に数日留まってくださった美しい方は、儂にとってはまだ見ぬ嫁以上に大切な方ですから、父母もきっと草葉の陰からよくやったと言ってくれるでしょう」
桃太郎はなけなしの良心をきりきりと締め付けられながらも、微笑みだけを返しておきました。
一方の桃太郎は、いまや瀕死の状態でありました。生まれてこの方二日間も子種を飲まなかった日などありません。試しに粥を口にしてもみましたが、飲み込めずに吐き戻してしまいました。
権座の子種が飲めないならと、犬や猿の摩羅を吸おうとすると、「自棄になるのはおやめください!」と権座が止めに入ります。怒鳴ったり泣いたり色仕掛けを試してみたりもしましたが、権座にはまるで効きませんでした。また、自分は桃の精で人の子種を飲んで生きているのだと、思い切って正直に話してもみましたが、心が不安定なのだと余計に心配されてしまいました。
その結果、この二日間片時も目を離して貰えず、摩羅を捜しに外出することもままならなかったのです。
――腹が減った。死んでしまう。あぁ、摩羅……摩羅……。
桃太郎の脳裏に、これまで吸ってきた数々の摩羅が走馬灯のように浮かんできます。こうなっては村の爺達の摩羅ですら懐かしく思われます。殊に、一番馴染んだ育ての爺の摩羅を思えば、恋しくて涙さえ溢れてきました。
――あぁ、理想の摩羅にも出会えず、私はこんなところで死ぬのか。こんなことなら平次の子種で溺れ死んでいた方がどれほど良かったか。
床に伏せ、摩羅を想ってさめざめと泣く桃太郎の涙を、権座が優しく拭い取ります。
「きっと空腹が限界を迎えたら、食べる気力も湧きますよ。きっと大丈夫です」
見当違いな励ましの言葉に、桃太郎はもう怒りすら湧きません。力が出ず、悲しくて、言葉もなく涙を流すしかありませんでした。
「ああ、桃太郎殿、おかわいそうに。あなた様のように美しい若君が供も連れず旅をされるなど、あまりにも無謀なのです。どのような目的があって鬼ヶ島を目指されていたのかは知りませんが、人の世でもこのように世知辛いものを、いわんや鬼の棲家ともなれば……」
――そうだ、鬼ヶ島だ! 鬼の摩羅だ!
権座の言葉に、桃太郎の両目がくわっと見開かれました。
――こんなところで死ぬわけにはいかぬ。鬼の摩羅を目にせず死ぬなど、捨ててきた村の爺達の摩羅にも顔向けできぬというもの。私はなんとしてでも鬼ヶ島へ渡り、鬼の摩羅から子種を飲むのだ!
俄然気力が漲ってきた桃太郎は、涙を拭ってくれていた権座の手をぎゅっと握りました。
「権座さん、私はどうやらもう駄目なようです。心が折れ、食べ物を体が受け付けません。かくなる上は、この旅の本懐を遂げさせてください。鬼を倒せぬまでも、しっかりと鬼ヶ島まで辿り着き、育ての父母のために宝を持ち帰ろうと力を尽くしたと、己で納得して死にたいのです。あのような目にあったとて私も男子。どうせ死ぬなら己の決意を果たして死にたい。権座さん、あなたも男子なら、わかってくださいますよね」
決意を漲らせた力強い目で訴えかけると、権座は感に堪えぬといった表情で桃太郎の手を握り返し、はらりはらりと涙まで落としました。
「なんと高潔なお心なのでしょう。それでこそ男子。そこまでおっしゃるのなら、儂ももう止めはしません。存分に本懐を遂げられませ」
力強い言葉とは裏腹に、目には悲しみを湛え、それでも微笑んで権座は言いました。桃太郎も襤褸が出ないようそれ以上余計なことは言わず、応えてこくりとうなずきます。
涙を隠すように背を向けた権座は、しばしお待ちをと家の外に出ていきました。すると外からぎゃあぎゃあという喚き声が聞こえ、程なく両の足を縛った雉を手に戻ってきました。
「鬼は鳥獣を生きたまま頭から食らうと聞いております。桃太郎殿に懐いたこの犬と猿を身代わりにするのはお心も痛むでしょう。この雉をお持ちになって、危なくなったら鬼に放り投げてお逃げください」
貧しい暮らしをしている権座にとって、美味な雉は大変な財産でしょう。しかし、ここで断ってまた押し問答を始める時間も惜しく、桃太郎は感動したそぶりで雉を受け取りました。
両足を縛られて逆さにされた雉は、恨みがましい目で桃太郎をねめつけています。桃太郎は一応雉の足の間の羽を掻き分けてみましたが、残念ながら望むものはそこには無かったので、小さく舌打ちをしました。
「何か?」
「いえ、こんな立派な雉、権座さんが大切に育てていらしたのだろうと思うと、いただいてしまうのも申し訳なく思われます」
摩羅が無くて失望したとは言えずに桃太郎が誤魔化すと、権座は首を振り、優しく微笑みます。
「それは、いずれ儂が嫁を貰うことがあれば、婚儀の祝いに潰すようにと父母に遺されたもの。こう貧しくては嫁の来手もありませんし、儂の家に数日留まってくださった美しい方は、儂にとってはまだ見ぬ嫁以上に大切な方ですから、父母もきっと草葉の陰からよくやったと言ってくれるでしょう」
桃太郎はなけなしの良心をきりきりと締め付けられながらも、微笑みだけを返しておきました。
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