一夜の恋は千夜を超える 〜敏腕社長は逃げてばかりなカフェ店員を離さない〜

夜見星来

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第一章

05.一夜の恋が動き出す

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「お疲れ様です。花守さん」

 エレベーターホールに向かうと、すでに彼が近くの壁に寄りかかって私を待っていた。操作していたスマホから顔を上げ、私を見るなり笑顔で近付いてくる。

 いまの彼はさっきとは打って変わって穏やかな表情をしている。どこか安堵したようにも見えるその表情に、私も無意識のうちに詰めていた息を吐いた。

「御堂さんも……お疲れ様です」
「ありがとうございます。それじゃあ、行きましょうか」

 彼はエレベーターのボタンを押し中に乗り込むと、迷わず地下一階のボタンを押した。

「えっと……どうして、地下一階に……?」

 いま、私たちがいるのは一階だ。地下からも外に出ることはできるけれど、駐車場になっているため普通の人は降りる機会も少ない。
 私の場合はそもそもエレベーターに乗ること自体が少ないため、なぜ地下へ行くのか見当もつかなかった。

「……あぁ、すみません。地下に車があるので。今日は家まで送っていきますね」
「え゛」

 そんなのは聞いていない。
 百歩譲って、最寄り駅まで一緒に帰るというのならわかる。だけど、車での移動は想定していなかった。

「さすがにそれは申し訳ないので……」

 帰ります、と踵を返すも、彼にがっしりと腕を掴まれる。
 話したいことがあると言っているでしょう、と笑顔で言われて頬が引き攣った。

「どうぞ、こちらへ」

 そうこうしているうちに御堂さんが所有する車の前までたどり着いたのか、彼が助手席側のドアを開けてくれる。
 ここで乗ったら最後、降りられないだろうなぁ、と思いながら渋々助手席に座った。

「閉めますね」

 ばたんと扉を閉められ、彼が運転席側に回る。

 車のシートはふかふかで、車に詳しくない私でもエンブレムを見ただけで高級外車だと一目でわかった。
 まず左ハンドルだし、メーターの作りも少し変わっている。
 シートに爪を立てて傷付けでもしたら大変だとビクビクしながら、慎重にシートベルトを引っ張った。

「背もたれの位置が微妙だったら動かしてくださいね。横にボタンがありますので」
「ありがとうございます」

 彼がエンジンをかけ、ゆっくりと車が動き出す。

 既に時間が時間だからなのか、駐車場に停まっている車は少なかった。スムーズに出庫した車は、ビルに面した大通りを迷いなく進んでいく。
 その迷いのなさが怖くもあった。

「あの、何処へ……」
「花守さんの家へ。確か住所は……」

 この前酔い潰れたとき、タクシーの運転手に告げた住所を覚えていてくれたらしい。
 物覚えがよいということは、私の失態もしっかりと覚えられているということで。
 あの日の夜を思い出して、じわりと頬が熱くなった。

「……それで花守さん」
「は、はい!!」
「声が裏返ってますよ」
「だって……」

 あの夜のことを糾弾されると思うと気が気でない。

 そうでなくても、彼の傍にいるのが恥ずかしいのだ。
 付き合ってもいないのに、御堂さんと寝てしまった。自分の恥ずかしいところを隅々まで見られ、知られているのだと思うと緊張もする。

 だというのに、御堂さんはまったく気にしている様子がない。

 それどころかホテルから逃げ出してすぐの月曜日、御堂さんは何食わぬ顔で私に近付こうとしてきた。
 すぐに事務所へ引っ込んで逃げたため事なきを得たけれど、その後も御堂さんは私に何度も話しかけようとしてきた。

 それが嫌だったわけじゃない。もし、あんなことが起きなければ、きっと舞い上がっていた。

 私だって、御堂さんのことを好ましく思っていないわけではないのだ。むしろ見た目はタイプだし、彼と話すようになってからその内面にも惹かれるところがあったのは事実である。

 だけど、だからこそ、彼と寝たという事実が私の心をざわつかせた。

「あの、どうして御堂さんは……」
「ん?」
「そんなに平気そうなんですか……」
「平気そう、というのは?」

 前を見つめたまま彼が問うてくる。

 ほら、やっぱり余裕がある。私だけがあの夜に囚われて、焦っていた。

「だって、その……私たち、シちゃったんですよね……?」
「シた? というのは?」
「だからその、この前の夜、ベッドで……」
「あぁ、セックスのことですか?」
「セッ!?」

 わざわざ濁したのにストレートな物言いをされてびっくりする。
 驚いて彼を見れば、彼も私の方にちらりと視線を寄越した。

「してませんよ。キスすらも」
「ほ、本当に……? でもじゃあなんで私だけ下着姿に……」
「それは――……」

 彼がホテルで起きたことを丁寧に話してくれる。
 寝づらいからと自ら服を脱ぎ捨てたこと、果ては彼のことを抱き締めたまま眠ってしまったことを知り、開いた口が塞がらなかった。

「うそ……。私、最悪すぎる……。いやでも何もなくてよかった……。いや、全然よくない……!!」

 ひとりでブツブツと呟き、本当にすみません!! と頭を下げる。
 此処が車の中じゃなかったら、床に頭を擦り付けて謝っているところだ。
 御堂さんは気にするなと言ってくれたけれど、私からしてみれば謝って済む問題ではなかった。

「本当にすみません! 私、いろいろ勘違いしてて……」
「誤解が解けてよかったです」
「うぅ……そうとは知らずに避け続けてすみません」

 彼にとっては、完全に濡れ衣だ。
 勝手に気まずくなって、逃げていたのは私だけだった。

「このお詫びは……何をしたら……」
「何もしなくていいですよ。できればまた、いつもみたいに接してほしいです。ただ……」

 ゆっくりと車が減速して、赤信号で停まる。
 御堂さんはこちらに視線を向けると、私の頬に手を伸ばした。

「花守さんが好きだという気持ちに嘘はありません。できることなら、お付き合いしたいと思っています。だから、それを踏まえた上で俺と接してほしい」

 するりと頬を撫でられ、耳の裏に髪をかけられる。
 こちらを見つめる目は真剣で、つい魅入ってしまった。

「あと、俺の前でたくさんお酒を飲むのもやめてください。これでも随分、我慢したので」
「が、まん……」
「それだけ本気ということです。俺はあなたから目が離せない」

 パッと手が離れて、再び車が走り出す。

 彼に触れられたところがじんじんと熱を持っている。
 こんなふうに誰かに求められたのは久しぶりだ。前の彼氏とは半年近く、連絡すらまともにしていなかったから。

 だからだろうか。彼の気持ちに応えてみたいと思う自分がいる。

 この人は、どんなふうに私を愛してくれるんだろう。

 そんな気持ちがふつふつと湧いて、気付けばとんでもないことを口にしていた。

「……御堂さん」
「なんでしょう?」
「さっきの話ですが、」

 ――いま、お受けします。

 そう言った瞬間、ガクンと体が前に倒れた。

「すみません。急ブレーキになってしまいました」

 前を見ると、また信号に引っかかったらしい。
 珍しく動揺しているのか、彼の視線が泳いでいた。

「ふふ、御堂さんでもびっくりするんですね」
「しますよ、普通に」
「慌てているところを見たことがないから」

 ソワソワと落ち着きのない彼を見て笑えば、御堂さんが面白くなさそうに視線を逸らす。
 彼はハァとため息をつくと、帰す気がなくなった、と突然車線を変更した。

「少しだけ遠回りしてもいいですか?」
「大丈夫ですよ。私、明日は休みなので」
「だから、そういう……」

 彼が何か言いたげな視線を寄越しながらため息をつく。
 何かまずいことでも言ってしまっただろうか、と首を傾げたら、俺を送り狼にするなと咎められた。

「ちっ、違います……! そういう意味じゃ……!」
「わかっていますよ。あなたが、まだそこまで俺に本気じゃないことも。だから今日はちゃんと帰します」

 その言葉通り、少しだけ遠回りをしてマンションの前に車が停まる。
 今日はありがとうございましたとお礼を言って車を出ようとしたら、後頭部を強く引き寄せられた。

「今日は、これだけ」

 右頬に軽く唇を押し当てられ、すぐに温もりが離れていく。
 驚いて固まる私をよそに、彼は意趣返しだと言わんばかりに口角を上げた。

「続きはまた今度」
「……はい」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい……」

 なんとか暴れ回る心臓を落ち着かせて車を降り、彼に最後まで見送られながらマンションに入る。

 いろんなことがありすぎて頭が追いついていかない。
 だけど、久しぶりの感覚に心が浮ついている。

 彼は誠実な人だ。こんな私のことを見放すどころか、追いかけてきてくれたのだから。

 だからこそ、ちゃんと彼と向き合いたい。
 今度は、間違わないように。何があっても逃げないように。

 そんなことを思いながら、私は別れ際のキスをなぞるように右頬に手を添えた。


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