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番外編 重ねる日々
ランチ
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「──ニー、アニー」
自分を呼ぶ声が誰のものかを認識した瞬間、脳が一気に覚醒した。
布団を跳ね除け起き上がると、バッシュの勢いに驚いたのか、ベッド脇に立っていたエリオットが、胸のところで両手を開いて非武装をアピールする。
「……エリオット?」
「お、おはよう」
大きな胸ポケットのついたTシャツに、グレーのイージーパンツ。見なくても分かるが、足元はデッキシューズだ。学生のような出で立ちは、寝込みを襲撃しに来たのではなさそうだ。彼自身に困ったことが起きているわけでも。
バッシュはひとまず安心して、寝心地のいいマットレスの誘惑を振り切るように、ベッドから足を下ろした。
「何時だ?」
「十一時半。ランチの誘いに来た」
「あぁ、いいな」
夜勤明けで寝ていたバッシュにとっては朝食になるが、まぁ細かいことはどうでもいい。
「少し待ってろ」
手早くシャワーを浴びて頭をすっきりさせ、コットンシャツとゆるいボトムスに着替えてバスルームから出て来ると、エリオットが大きなバスケットを抱えて待っていた。
「ランチじゃないのか?」
「いい天気だから、庭へ行こうと思って」
「ピクニックか」
「そう」
十年近く人目を避けていたエリオットだが、自分のテリトリーではそれなりにアウトドア派だったりする。細身だから、長期療養から復帰した彼を「儚げ王子」なんて取り上げるメディアも多いけれど、その王子様は肥料袋だって担ぐガーデナーなのだ。
が、それはそれ。
バッシュはエリオットの腕から籐編みのバスケットを取り上げた。
両親や侍従たちの教育がよかったのか、もしくは祖父の教えか、エリオットは自分が動くことに抵抗はない。と同時に、他人がしてくれることを素直に受け取る末っ子気質も、しっかり持ち合わせていた。
何が言いたいかと言えば──世話を焼く側としては、非常に好ましい。
屋敷の裏手から外へ出て、石垣に囲まれたキッチンガーデンに立ち寄ったエリオットは、作業をしている庭師に声をかけ、ハーブを分けてもらった。
ぱちんぱちんとハサミで切り取って差し出された緑の葉は、夏の昼間にふさわしい、かんきつの香りがする。
カルバートン宮殿の庭は涼しかった。真上から降り注ぐ光は茂る木々が遮ってくれるし、獣道のように細くならした歩道には、石畳やアスファルトのように行き場をなくした熱が、気だるくくだを巻いていることもない。
「あしたは何時から仕事?」
湿った下草が生える小道を歩きながら、エリオットが尋ねてくる。
「文化省のレクに直行だが、開始は九時だから、そんなに早くはないな」
「ふーん」
「……レクリエーションじゃないぞ?」
「知ってるよ役人からのレクチャーだろ!」
つんと鼻をそらす。ふわりと揺れたシルバーグレイの髪に木漏れ日が反射して、バッシュは目を細めた。侍従がカラー材を手配しただけあって、地毛が伸びてきてしばらくも全体の印象にさほど違和感はなかった。けれど完全に彼の髪が天然百パーセントになったいま、近くで見たり触れたりすれば、その違いはハッとするほどのものだった。
「お前は?」
「午前中はなにもないけど、午後から介助犬の養成施設の視察」
訓練の体験もさせてくれるんだって、とエリオットがわくわくした顔でいう。楽しそうでなによりだ。
小道の脇にある木のベンチに腰を落ち着けて、バスケットを開く。
厨房で用意されたであろうバスケットには、いつものごとくピクニックセットが過不足なく詰まっていた。香ばしく焼いたバゲットと、それに合わせるジャムやディップソースの小瓶。大小のタッパーには、それぞれマスタードで和えたローストチキンがとスティック野菜が収まっている。デザートには、ひと口大に切ってキッチンペーパーで包んだキャロットケーキと、細かく砕いたトフィー入りのオーツビスケットまで入っている。そしてそのほとんどが、バッシュの胃袋に消えることになる運命だ。
頭上の枝でさえずるコマドリの声を聞きながら、バスケットから取り出した小ぶりなポットに、缶入りの茶葉を適量落とすと、その上にキッチンガーデンで分けてもらったハーブをちぎって入れる。魔法瓶からお湯を注げば、爽やかな香りが湯気とともに立ち昇り、ベンチをまたぐように座って身を乗り出したエリオットの頬を緩ませた。
人脈作りや付き合いで高価な食事に出向くことも多々あるが、結局これに勝るものはないんだよなぁ、と思いながら、バッシュはふたを閉じて記憶の鍵になりそうな芳香をポットに閉じ込めた。
自分を呼ぶ声が誰のものかを認識した瞬間、脳が一気に覚醒した。
布団を跳ね除け起き上がると、バッシュの勢いに驚いたのか、ベッド脇に立っていたエリオットが、胸のところで両手を開いて非武装をアピールする。
「……エリオット?」
「お、おはよう」
大きな胸ポケットのついたTシャツに、グレーのイージーパンツ。見なくても分かるが、足元はデッキシューズだ。学生のような出で立ちは、寝込みを襲撃しに来たのではなさそうだ。彼自身に困ったことが起きているわけでも。
バッシュはひとまず安心して、寝心地のいいマットレスの誘惑を振り切るように、ベッドから足を下ろした。
「何時だ?」
「十一時半。ランチの誘いに来た」
「あぁ、いいな」
夜勤明けで寝ていたバッシュにとっては朝食になるが、まぁ細かいことはどうでもいい。
「少し待ってろ」
手早くシャワーを浴びて頭をすっきりさせ、コットンシャツとゆるいボトムスに着替えてバスルームから出て来ると、エリオットが大きなバスケットを抱えて待っていた。
「ランチじゃないのか?」
「いい天気だから、庭へ行こうと思って」
「ピクニックか」
「そう」
十年近く人目を避けていたエリオットだが、自分のテリトリーではそれなりにアウトドア派だったりする。細身だから、長期療養から復帰した彼を「儚げ王子」なんて取り上げるメディアも多いけれど、その王子様は肥料袋だって担ぐガーデナーなのだ。
が、それはそれ。
バッシュはエリオットの腕から籐編みのバスケットを取り上げた。
両親や侍従たちの教育がよかったのか、もしくは祖父の教えか、エリオットは自分が動くことに抵抗はない。と同時に、他人がしてくれることを素直に受け取る末っ子気質も、しっかり持ち合わせていた。
何が言いたいかと言えば──世話を焼く側としては、非常に好ましい。
屋敷の裏手から外へ出て、石垣に囲まれたキッチンガーデンに立ち寄ったエリオットは、作業をしている庭師に声をかけ、ハーブを分けてもらった。
ぱちんぱちんとハサミで切り取って差し出された緑の葉は、夏の昼間にふさわしい、かんきつの香りがする。
カルバートン宮殿の庭は涼しかった。真上から降り注ぐ光は茂る木々が遮ってくれるし、獣道のように細くならした歩道には、石畳やアスファルトのように行き場をなくした熱が、気だるくくだを巻いていることもない。
「あしたは何時から仕事?」
湿った下草が生える小道を歩きながら、エリオットが尋ねてくる。
「文化省のレクに直行だが、開始は九時だから、そんなに早くはないな」
「ふーん」
「……レクリエーションじゃないぞ?」
「知ってるよ役人からのレクチャーだろ!」
つんと鼻をそらす。ふわりと揺れたシルバーグレイの髪に木漏れ日が反射して、バッシュは目を細めた。侍従がカラー材を手配しただけあって、地毛が伸びてきてしばらくも全体の印象にさほど違和感はなかった。けれど完全に彼の髪が天然百パーセントになったいま、近くで見たり触れたりすれば、その違いはハッとするほどのものだった。
「お前は?」
「午前中はなにもないけど、午後から介助犬の養成施設の視察」
訓練の体験もさせてくれるんだって、とエリオットがわくわくした顔でいう。楽しそうでなによりだ。
小道の脇にある木のベンチに腰を落ち着けて、バスケットを開く。
厨房で用意されたであろうバスケットには、いつものごとくピクニックセットが過不足なく詰まっていた。香ばしく焼いたバゲットと、それに合わせるジャムやディップソースの小瓶。大小のタッパーには、それぞれマスタードで和えたローストチキンがとスティック野菜が収まっている。デザートには、ひと口大に切ってキッチンペーパーで包んだキャロットケーキと、細かく砕いたトフィー入りのオーツビスケットまで入っている。そしてそのほとんどが、バッシュの胃袋に消えることになる運命だ。
頭上の枝でさえずるコマドリの声を聞きながら、バスケットから取り出した小ぶりなポットに、缶入りの茶葉を適量落とすと、その上にキッチンガーデンで分けてもらったハーブをちぎって入れる。魔法瓶からお湯を注げば、爽やかな香りが湯気とともに立ち昇り、ベンチをまたぐように座って身を乗り出したエリオットの頬を緩ませた。
人脈作りや付き合いで高価な食事に出向くことも多々あるが、結局これに勝るものはないんだよなぁ、と思いながら、バッシュはふたを閉じて記憶の鍵になりそうな芳香をポットに閉じ込めた。
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