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訳あり王子と秘密の恋人 第二部 第四章
6.はじめの一歩
キャロルが帰ったあと、エリオットはバッシュの強い勧めで、パトリシアのオンライン診察を受けた。
いつも白衣を着ないパトリシアは、クリムトの「接吻」みたいな柄のブラウスでディスプレイの前に現れると、最近の生活についてエリオットと話をした。睡眠の状況や食事が十分に摂れているかという基本的な問診から、ルードがしでかしたいたずら、貴族会との一件と、そして恋人との関係まで。
『きみの恋人は、ずいぶん心配性だな』
「あー……」
エリオットは肘掛け椅子の上で、両手で顔を覆った。
バッシュはパトリシアに電話をしたといっていた。挿入を伴うセックスは初めてだったから、エリオットの反応が読めなかったからだろうとは思うが、子どものころから世話になっている相手に知られるのはさすがに恥ずかしい。
「すごい世話焼きなんだ……」
『どうもそうらしい。だからいっておいた。患者には、自分のことを自分で決めることが重要だと。心配だからと先回りして、あれこれ制限して回っても、患者の回復を邪魔するだけでいいことはないとね』
容赦ねーな。
大きく息をついて、エリオットは両手を下ろした。
『彼が、あとからきみがが電話するかも、というから待っていたんだが』
「それについては、大丈夫だった」
『つまり、きみがいまこうしている理由は、彼とは関係がないと』
直接的には、とエリオットは答える。
貴族会のごたごたで緊張続きだったし、執行部で注目を浴びたストレスから夢見が悪かったのかもしれないが、最後の引き金はやはりキャロルに触れられたことだ。
『恋人らしいスキンシップができるというのは、ここ数年の経過からしても目覚ましい回復ぶりだ。しかし一方で、恋人以外とは接触を持てないのは変わっていない』
「それって、どういうことなの?」
『そうだね。きみの中で、区別がつき始めているのかもしれない』
パトリシアがいった。
「区別……」
『いままでのきみにとって、他人の手はすべてヘクターの手と同じだった。安全か安全でないかは関係なく。しかし、そうではないと分かってきたということだ』
エリオットは、左右の手をじっと見下ろした。表皮近くを、紫や青っぽい血管が走る手のひら。じんわりと赤く色づいて、渦巻き状の指紋が浮かぶ指の先に、丸く整えた爪がほんの少し覗いていた。
『君の恋人は、どんな手をしてる?』
「……大きい。熊手みたいに。それから、ちょっと乾燥してるかも」
目を閉じて、自分の手に重なるバッシュのそれを想像してみた。
指はしゅっとしているけど、間接はごつごつして太い。爪は頻繁に整えているから、触っても断面は滑らかだ。手の甲は青緑色の血管や筋が浮いていて冷たく見える。でも赤みの強い内側はぽかぽかで、いつもひんやりしているエリオットの手も、その中に包まれるとすぐに温かくなった。
『その手に触れるとき、なにを考えている?』
「……『大丈夫』って思ってる。これはバッシュだから大丈夫って」
『その手は、きみを傷つけない。その手に触れられても、怖いことは起こらない。──こういうことかな?』
「まぁ、そんな感じ」
エリオットは目を開けた。液晶のまぶしさに数回瞬きをすると、パトリシアが苦笑しているのが見えた。
「パット?」
『きみは意識していないだろうが、それは正しいアプローチだ。人に触れるという、従来ならきみが恐怖を感じる場面で、実際には触れても予想した脅威は起こらない。これを繰り返すことで、「触れる」という行為と「脅威」がイコールではないと学習する』
ごく基本的な認知行動療法の一種、と教えられて、エリオットは首を傾げた。
「そんな大層なこと、考えてなかった。だた、あいつに触りたいなっていう……」
よこしまな動機が原動力だ。言葉を飾るなら愛の力だと言えなくもないけれど、どっちかというと「欲」に近い気がする。
「でも、まだバッシュしか無理だよ」
『はじめの一歩だと考えれば、悪くないさ』
「そっか」
『それに、心は流動的なものだ』
移ろうものの「いま」を捕まえて、悲観することはないよ。
医者よりも詩人のように、パトリシアはエリオットを励ました。
いつも白衣を着ないパトリシアは、クリムトの「接吻」みたいな柄のブラウスでディスプレイの前に現れると、最近の生活についてエリオットと話をした。睡眠の状況や食事が十分に摂れているかという基本的な問診から、ルードがしでかしたいたずら、貴族会との一件と、そして恋人との関係まで。
『きみの恋人は、ずいぶん心配性だな』
「あー……」
エリオットは肘掛け椅子の上で、両手で顔を覆った。
バッシュはパトリシアに電話をしたといっていた。挿入を伴うセックスは初めてだったから、エリオットの反応が読めなかったからだろうとは思うが、子どものころから世話になっている相手に知られるのはさすがに恥ずかしい。
「すごい世話焼きなんだ……」
『どうもそうらしい。だからいっておいた。患者には、自分のことを自分で決めることが重要だと。心配だからと先回りして、あれこれ制限して回っても、患者の回復を邪魔するだけでいいことはないとね』
容赦ねーな。
大きく息をついて、エリオットは両手を下ろした。
『彼が、あとからきみがが電話するかも、というから待っていたんだが』
「それについては、大丈夫だった」
『つまり、きみがいまこうしている理由は、彼とは関係がないと』
直接的には、とエリオットは答える。
貴族会のごたごたで緊張続きだったし、執行部で注目を浴びたストレスから夢見が悪かったのかもしれないが、最後の引き金はやはりキャロルに触れられたことだ。
『恋人らしいスキンシップができるというのは、ここ数年の経過からしても目覚ましい回復ぶりだ。しかし一方で、恋人以外とは接触を持てないのは変わっていない』
「それって、どういうことなの?」
『そうだね。きみの中で、区別がつき始めているのかもしれない』
パトリシアがいった。
「区別……」
『いままでのきみにとって、他人の手はすべてヘクターの手と同じだった。安全か安全でないかは関係なく。しかし、そうではないと分かってきたということだ』
エリオットは、左右の手をじっと見下ろした。表皮近くを、紫や青っぽい血管が走る手のひら。じんわりと赤く色づいて、渦巻き状の指紋が浮かぶ指の先に、丸く整えた爪がほんの少し覗いていた。
『君の恋人は、どんな手をしてる?』
「……大きい。熊手みたいに。それから、ちょっと乾燥してるかも」
目を閉じて、自分の手に重なるバッシュのそれを想像してみた。
指はしゅっとしているけど、間接はごつごつして太い。爪は頻繁に整えているから、触っても断面は滑らかだ。手の甲は青緑色の血管や筋が浮いていて冷たく見える。でも赤みの強い内側はぽかぽかで、いつもひんやりしているエリオットの手も、その中に包まれるとすぐに温かくなった。
『その手に触れるとき、なにを考えている?』
「……『大丈夫』って思ってる。これはバッシュだから大丈夫って」
『その手は、きみを傷つけない。その手に触れられても、怖いことは起こらない。──こういうことかな?』
「まぁ、そんな感じ」
エリオットは目を開けた。液晶のまぶしさに数回瞬きをすると、パトリシアが苦笑しているのが見えた。
「パット?」
『きみは意識していないだろうが、それは正しいアプローチだ。人に触れるという、従来ならきみが恐怖を感じる場面で、実際には触れても予想した脅威は起こらない。これを繰り返すことで、「触れる」という行為と「脅威」がイコールではないと学習する』
ごく基本的な認知行動療法の一種、と教えられて、エリオットは首を傾げた。
「そんな大層なこと、考えてなかった。だた、あいつに触りたいなっていう……」
よこしまな動機が原動力だ。言葉を飾るなら愛の力だと言えなくもないけれど、どっちかというと「欲」に近い気がする。
「でも、まだバッシュしか無理だよ」
『はじめの一歩だと考えれば、悪くないさ』
「そっか」
『それに、心は流動的なものだ』
移ろうものの「いま」を捕まえて、悲観することはないよ。
医者よりも詩人のように、パトリシアはエリオットを励ました。
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