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六.里帰り
しおりを挟む側付きの女中を一人だけ伴って、初が八巻家を訪ねたのは、更にその翌日のことであった。
峰が自分もついて行きたいと食い下がったが、睦子に止められて渋々と諦めた。
未だ少し肌寒い風が吹くが、日差しの暖かい日だった。
「待っておったぞ、初。大事ないか」
「皆でお前を心配しておったのだ。何度も遣いを出したのに、太兵衛の奴が毎度にべもなく断るばかりで、一向にお前の様子が掴めなんだ」
八巻の屋敷に入るや否や、わらわらと群がるように父母と兄、兄嫁のなおが初を囲んだ。
「そうですよ、初さま。もしや酷い目に遭わされているのではないかと、皆で気を揉んでいたのです」
前よりお窶れになったのでは、と言いながら、なおは初の手を取った。
「大丈夫ですよ。此度も義母上が暫く滞在して、ゆっくり話をしてくるようにと気遣って下さいましたし」
努めてなおに微笑んだが、義母は離縁についてよくよく話をするようにという意味合いで初を送り出したのだ。
それが解っているからこそ、初の微笑みは力ないものになっているはずだった。
「叔母上、お帰りなさい」
一際明るく張りのある声がすると、七つと六つの年子の兄弟が初を見てにっこり笑っていた。兄九郎次となおの子たちだ。
「まあ、二人とも大きくなりましたね」
暫く見ぬ間に随分と背丈も伸びたように感じた。
利発そうな目元をきらきらさせて、好奇心に満ちたふうに初を見上げてくる。
「今日は伯父上も遊びに来るんですよ!」
「おれたち伯父上に剣術習ってるんです、上達したって褒められたんですよ!」
伝えたいことが多いのか、口々に話し出す兄弟を母親のなおが窘める。
「これ、お前たち。ご挨拶だけと申したでしょう。伯父上がお見えになるまで控えていらっしゃい」
すると兄弟は詰まらなそうに口を曲げて、渋々下がる。が、下がり際に「伯父上との稽古、必ず見て下さいね」と念を押すのも忘れなかった。
元気の有り余る様子が微笑ましく、初は思わず忍び笑う。
座敷に父母と兄夫婦、そして初だけになると、父の掃部介が声を低めた。
「初。赤沢家には、もう度々そなたを離縁してくれるよう申し出ているのだが、それは承知しておるな」
「はい。昨日、義母上さまからそのように」
初が頷くと、父母は互いに顔を見合わせて、昨日、と呟く。
「太兵衛からは何も言われなんだか」
「……八巻の家には行かぬように、と」
父母は呆れたような、訝るような顔でまたぞろ顔を見合わせた。
息の合った夫婦である。
「ですが、太兵衛さまは良くして下さっています」
「初、それは本当なんだろうな」
兄の九郎次が横合いから口を挟み、険しい顔で初を見た。
「おれが何度訪ねても、お前に会わせようとしなかった。奴が役目で城下を離れたら、どうだ、これほどすんなりお前を連れ戻せた。奴がお前を囚人の如く扱っていたことは明白。結局はあの赤沢清左衛門の子だ、はじめから信用などすべきではなかったのだ」
俄に癇走ったような九郎次に目を剥いたが、掃部介が片手を挙げてそれを制する。
「九郎次、そのくらいにしておけ」
「しかし父上、やはり初はこのまま八巻家に留めるべきかと存じます。赤沢の家に戻せば、離縁は難しくなる」
九郎次は何をおいても離縁させようと考えているらしかった。
そして、義母の睦子はそれを承知で、そうなることを望んで、初を八巻家に帰したのだ。
睦子に半ば追い立てられるように八巻の家を訪れたが、実家の面々の様子からしても、今後も離縁の話は推し進められるだろうと思われた。
***
八巻家の中庭に、竹刀のぶつかり合う音が繰り返し響いていた。
甥たちが、政之丞に指南を受けているのだ。
なおと二人縁側に並んで、その様子を眺める。
幼い兄弟は幾度も果敢に振り被って掛かるが、政之丞の竹刀に容易く打ち込まれて返り討ちにされる。
それでも何のと立ち上がり、兄弟は覚えて間もない構えを様々に試しては、打ち込み方をその都度変えていた。
なおも息子たちの稽古に声援を送っていたが、ふと黙り込んだかと思うと、目を合わせぬままぽつりと独りごちた。
「初さま。太兵衛どのが野盗取締の警固に就くことになったのは、兄の政之丞の口添えによるところが大きいのです」
「え?」
思わずなおを振り向くと、なおは気まずそうにゆっくりと視線を上げる。
「兄は近習頭取の任にあります。お上にそれとなく太兵衛どのこそ適任である、と申し上げたようで」
そこに掃部介が畳み掛けるように、
「赤沢家は以前、庶子が発端の騒動を起こしているから、その汚名を払拭するのにもちょうど良い人選だろう」
と、筆頭家老を頷かせた。
そうなると清左衛門は勢いを削がれ、執政会議での多数派に押し切られたのである。
「はじめから、太兵衛どのの不在中に八巻家へ連れ戻す算段だったのです」
「………」
だが、思惑通りに初を連れ戻してみて、なおは僅かに戸惑いを覚えているようだった。
「兄の政之丞は、未だ独り者です」
「そうなのですか。もう奥方をお迎えになったとばかり……」
八巻家と宗方家とは昵懇の付き合いではあったが、赤沢家に嫁した初には直接的には何の関わりもない。だが、政之丞の年齢を鑑みても当然妻を迎えているものと思い込んでいた。
なおは居住いを正したかと思うと、おもむろに周囲を窺い声を潜めた。
「九郎次さまは、初さまを離縁させ、宗方家に再嫁させようとお考えです」
じっと初を見るなおの面持ちは堅い。
「……政之丞さまに、ですか」
兄弟二人を一手に相手する政之丞を見遣ると、政之丞もまた初の視線に気付き、にこりと笑って手を振った。
その拍子に竹刀が弧を描いて政之丞の胴を打った。
「一本取ったぁ!!」
甲高い子供の声が上がり、隙を突かれた政之丞は参ったと笑ってその頭を撫でる。
その様子は実に微笑ましく、和やかな気配に包まれていた。
「政之丞さまは宗方家のご当主。他に相応しい方がおいでになりますよ」
「………」
なおが何かを言いかけるように口を開いたが、それは声にならず、そのまま呑み込んでしまったようだった。
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