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一.仕官
しおりを挟む「頼もう!」
子供の高い声が呼び掛けると、ややあって重厚な門構えの潜戸が軋んだ。
「お願いします、ここに仕官させて下さい!」
内側からちらと窺った門番と目が合うと、源之丞は賺さず声を張り上げる。
しかし、門番の男は木戸を半分ほどあけたところでぴたりと止まった。
「まーたお前か。無宿者の子供が、何をわけの分からんことを。さっさと向こうへゆけ!」
大名屋敷の門番は厄介そうに手の甲で追い払う仕草をした。
「無宿者ではありません! 父は喜多見さまに仕えた武士です!」
「知らん知らん! とにかく、何度来ても無駄だ、よそを当たれ!」
源之丞が潜戸を押入らんばかりに迫ると、門番は苦虫を噛み潰したような顔で手荒く打ち払う。
身丈ほどもある大刀を背に負った、ほんの七つの少年の身体は、往来へ軽く投げ出されてしまった。
その拍子に地べたをついた肘が、礫に擦れてじりじりと痛む。
「……痛ってぇな」
「まったく、御屋敷はお助け小屋ではないというに!」
ぶつぶつとぼやいて木戸の内側から戸を閉めた門番は、既に源之丞には目もくれない。
「なんだよ、話ぐらい聞いてくれよ!」
投げやりに文句をぶつけたが、門扉は固く閉ざされたまま、中からは何の反応もなかった。
これで何軒目だろうか。
二十軒までは数えたが、そのあとはいちいち数えるのも馬鹿らしくなってやめた。
大名旗本の門戸を大小問わず叩き続けてきたが、反応はどこも似たようなものである。
尻もちをついたまま、源之丞はたった今閉じられたばかりの長屋門を見上げた。
邸内の桜が軒瓦の上に覗き、その淡い色が風に遊んでいる。
背の高い桜だ。
青空に映える薄紅の花は、門扉一枚隔てた向こう側で満開を迎えているらしかった。
「はぁ……」
先日、父が死んだ。
旗本の家臣だった父は、源之丞が生まれて間もなく召し放ちとなり、以来数年浪人暮らしであった。
父が放逐された理由は、今となっては判然としない。
詳らかに語らぬまま死んだ。
一人息子でありながら、源之丞はろくに父のことを知らなかった。
同様に周囲の人間にも伏していたものだろう。
どこかから父の前歴を聞くこともなかった。
貧しい暮らしの中、父子は二人で生きて来た。
古く朽ちかけた長屋で、内職の傍ら、よちよち歩きの源之丞に棒切れを持たせてはよく剣を教えてくれたものだ。
無愛想でいつも険しい顔をした人だったが、源之丞には唯一の肉親であった。
それがこの冬に肺を病み、江戸の市中に漸く桜が花つぼむ頃、あっけなく死んだ。
「……仕官って、どうすりゃいいんだよ」
剣は兎も角、処世はろくに教わっていない。
そもそも父自身も、世渡りはさほど上手いほうでもなかったのだろう。
仕官の口を探しに頻繁に出掛けて行ったが、毎回、家を出る時以上に不機嫌な顔で帰ってきたものだ。
交渉が上手くいかなかったらしいことは火を見るよりも明らかで、そんな時、父は一切口を開かなかった。
憤懣を源之丞にぶつけるようなことはなかったが、独り縁台に座してじっと動かない父の背に、言い様の無い同情を覚えたものである。
結局、父が再び主君を戴くことはなかった。
(……腹、減ったな)
父の死後、長屋の大人たちが憐れんで世話を焼いてもくれていたが、源之丞親子と縁続きの者も現れず、ついには長屋も追い出された。
家財などは元々殆どなかったが、滞っていたらしい家賃の回収に僅かでも充当するとかで、源之丞は着の身着のまま出て行かざるを得なかったのである。
それでも一応は不憫に思ったのだろう、大家は部屋を改めたあとで、どこそこの寺へ行け、などと一筆書いたものを持たせてくれた。
腹の虫が一際大きく鳴くと、言われたとおりに寺院を頼ろうとも念頭に浮かんだが、源之丞はそんな考えを振り払おうと頭を振る。
こうして大刀を背に回り歩いてきたが、こうもにべなく門前払いを食らい続けると、威勢も徐々に削がれてくるものだ。
「ねえ」
途方に暮れて項垂れていると、鈴を転がすような軽やかな子供の声がした。
「仕事を探しているの?」
顔を上げれば、少し離れたところに藍染めの振袖羽織に平袴の、小奇麗な少年がこちらを見ていた。
綺麗に吹き上げられた前髪と色の白い少年は、一見するとおなごのようにも思われる。こういう容姿を指して美童と呼ぶのだろう。
その後ろには四、五人ほどの侍が付添い、少年が乗っていたのであろう駕籠が見える。
態々に加護を降りたのだろうか。
周囲の家臣らしき男たちは、関わり合いになるのを避けたがっているのか、懸命に少年を窘めにかかっていた。
「万作君、御駕籠にお戻りくだされ。直々にお声を掛けるなど、以ての外ですぞ」
「そのような身分も知れぬ者、捨て置かれませ」
「これ、そこの子供。早う向こうへゆけ!」
大の大人が一人の少年に寄って集って庇い立て、源之丞へ向けては犬でも追い払うかのような手振りを見せる。
大切に傅かれ、何の不自由もなく、明日を憂うことなく暮らす少年の背景が窺える。
自分とは違う、そういう身分の少年なのだ。
源之丞は意味もなくむっとする思いがした。
たった今ぞんざいにあしらわれた矢先だからだろう、ささくれ立っているのが自分でもわかる。
「誰だ、おまえ。子供に用はねえよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てると、少年は少し困ったように首を傾げた。
「秋月万作。もう六つだから、子供じゃないよ?」
「………」
万作というらしい少年は、困り顔で微笑みかける。
源之丞は訝って、それから吹き出した。
「いや、子供だよな? 六つは子供だろ?!」
笑いを噛み殺す源之丞に、万作は慌てて言い返す。
「こっ、子供じゃないよ!? 兵部兄上が、袴着済んだら見違えるように立派になったって、前に言ってたんだから!」
「袴着済んだばっかりってことだろ、それ」
「違うもん! 袴着からもう一年経っ……、たっ、経とうとしてるもん!!」
「経とうとしてる!? そりゃ一年経ってねえな!?」
「……ッ!!!」
万作の、あくまで幼さを認めない返し文句がおかしく、源之丞は思い切り破顔しそうになるのを堪えるために、一層語調を強くした。
一方、万作は悔しかったものと見えて、桃色の唇を引き結び、眦に涙を溜めてふるふると震え出す。
「あ、いや。ごめ──」
流石に言い過ぎたかと思い、詫びようと口を開きかけたその時だった。
「子供と思うて大目に見ておれば、無礼にもほどがあるぞ! そこへ直れ!」
控えていた大柄な壮年の男が割って入り、万作を庇うように源之丞の前に立ち塞がったのである。
憤った大人の、それも自分よりはるかに格式の高そうな男に凄まれ、さすがに源之丞もびくりと肩を震わせた。
万作とその付人を見れば、相応の家の子供だということくらい分かっていたのに、自棄を起こして突っ掛かり過ぎた。
源之丞がそんな後悔を抱いたと同時。
思いがけず、万作が男の袖を引き留めた。
「待って、小八郎。今決めた」
「は、万作君?」
「うちに来てもらおうよ」
「………」
「………」
途端に辺りは静まり、どこか遠くで花見でもしているのだろう、喧噪の声が風に乗って微かに届く。
源之丞は言わずもがな、その場に控えた万作の付人も、小八郎と呼ばれた男も、全員の目が万作に釘付けになった。
暫時あって、一番に仰天の声を上げたのは小八郎であった。
「ッホァ!? ちょっ、何ですと!?」
「だからね、この者をうちで召出そう?」
「いやいやいや、万作君!? 幾ら何でも、素性も分からぬ者をそう易々とは──、っていうよりも、たった今! こやつめ、とんでもねえ無礼をですな!?」
「小八郎、ちょっと言葉遣いわるいよ」
「いや、だって……!」
小八郎は狼狽しながら、源之丞と万作を交互に見る。
「小八郎が遮るから聞けなかったけど、この者は今、私に謝ろうとしていたよ」
「いやしかし……!」
「だからいいの。それに、さっき向こうで喜多見に仕えてたって言ってたよ?」
ちゃんと武士の子のはずだ、と、万作は言う。
驚いたのは源之丞である。
その耳には一語も届きはしなかっただろうに、源之丞が謝罪しようとしたのをしっかり汲み取っていたのだ。
涙ぐむほど激高していたものが、源之丞を具に見て、心の変化を捉えていた。
加えて、先の門番とのやり取りまで始終見ていたのである。
源之丞よりも一つ年下のこの子供の目は、源之丞よりも多く、そして広く、物事を見ている。
「ねえ、そういえばまだ名を聞いてなかったよね」
「……春秋、源之丞。齢は、七つ」
源之丞が答えると、万作は頬を染めてにこりと笑った。
「源之丞、秋月においでよ。ちょうど私と齢も近いし、私の側役に良い」
「えぇえダメですぞ!? ダメダメ! 殿がなんと仰るか……!」
「父上も兄上も、きっとお許しくださるもん」
咄嗟に反論する小八郎に、紅顔の美少年はぷっくりと白い頬を膨らませ、口を尖らせる。
小八郎は何とか諦めさせようと必死の様子だが、大人しそうな見た目とは裏腹に、万作も随分と粘った。
「もん、って……。そのように可愛い子ぶりっ子してもなりませんぞ! 犬や猫を拾うのとはわけが違うのですから」
「そんなことはわかっている。どう見たって私と同じ人の子だもの」
「でしたら……!」
「人の子だから言っているんだよ」
「へっ!?」
「大人ならどこかに仕官の口もあるけど、子供は難しいでしょう?」
「………」
小八郎がぽかんと口を開け、呆然として万作を見る。
後ろに控える近習たちも、互いに顔を見合わせて、小八郎に加勢するかしまいかを勘繰り合っているようだった。
それを遣り込めたと見たのか、万作は賺さず源之丞に駆け寄り、その手を取った。
「ねえ、これから佐久間の家へゆくのだけど、源之丞、おまえもおいで。利宇姫という子がいてね、その子がとても可愛いんだ」
一緒に遊んだらきっと楽しいから、と言い添えて、万作は源之丞の手を引っ張る。
愉しげに笑うその顔には、驕りも憐れみも窺えない。
白く輝く歯を屈託も無く見せる万作の顔は、単に友人を遊びに誘う子供のそれだった。
「万作君ぃいッ、分かりましたッ! 分かりましたから! まず! その者の身形を! 整えさせましょう!?」
そのまま佐久間の屋敷へ連れて行こうとする万作の前に、小八郎は泡を食って身体を滑り込ませ、行く手を塞いだ。
「身形?」
言われて初めて気が付いたというふうに、万作はくるりと源之丞を振り向いてその風貌を確かめる。
こう言ってはなんだが、身の丈にも匹敵する古い太刀を背に負い、継をあて、折り目も伸びて草臥れた袴を着けた格好は、世辞にも立派とは言えず、いかにも見窄らしいものである。
大名家の若君然とした万作の整った出で立ちと並べば、その差は一層際立った。
仕官せねばという気持ちばかりが逸り、意気込みだけで飛び込み続けてきた源之丞だったが、小八郎の言葉は己の姿が赤貧の浪人の子そのものであるのを自覚させるに十分だった。
小八郎は勿論、背後に控えた数人の武士もまた、見るに耐えないものとして見ていたのかと、かっと頬が熱くなる。
歳の近い遊び仲間を見付けて喜ぶこの若君も、大人たちに指摘されて、源之丞の貧乏臭さに気付き、嗤うのかもしれない。
そう思うと、あらゆる大名屋敷の門を叩き廻った威勢は、途端に剥がれ落ちてゆくようだった。
居た堪れず、万作に掴まれた手を引っ込めようとしたとき、その手が更に強く引かれた。
反動で一歩、万作のほうへ足が出る。
万作は、今度は両手でがっしりと源之丞の腕を捕まえると、小八郎の渋面を見上げてきっぱりと口を開く。
「身形はどうでも、源之丞は格好良いもん。問題ないもん」
源之丞は目を見開いた。
ぎゅっと握った万作の手が、引き退がろうとする源之丞をその場に留まらせる。
「源之丞と一緒に行ってもいいでしょう?」
「……まずは殿のお許しがなければ、他家へ同行させるわけに参りません」
小八郎は額を押さえ、深い吐息を漏らした。
【二.へ続く】
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