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十.一顧
しおりを挟む長兄・種恒の死から四十九日が過ぎても、万作は相変わらずの落胆ぶりだった。
徐々に以前の元気を取り戻すだろうと気長に構えていたのだが、声をかけても反応は薄く、雪が降り積もった日に外へ誘い出そうと試みても、万作は屋敷の奥に閉じ籠もったきりだった。
万作は日に何度も兵部の様子を窺い、側仕えの者に尋ねることといえば、やはり兵部のことばかりだった。
長兄の卒去そのものよりも、兵部の様子に左右されているようなきらいがある。
小八郎はこの季節のせいか、一時は肺をやられるまでに悪化したものの、療養の甲斐あって近頃は随分と回復してきている。
万作と兵部の様子を常に気に掛けてはいたが、源之丞にがつんと苦言を呈されたこともあり、今は療養で衰えた体力を取り戻すべく、少しずつ毎朝の素振りを始めたところである。
「次右衛門どの」
源之丞は近習詰所を訪ね、次右衛門を呼んだ。
「源之丞か。万作さまはどんなご様子だ。そろそろ佐久間家を訪ってはどうかと、御家老から御諮問があってな。万作君のご様子をお伝えせねばならん」
小八郎が勤めに復帰するまでの間、どうやら万作に関する一切も次右衛門に回っているらしい。
道理で次右衛門の顔色が優れないわけである。
幕府へ正式に願い出てはおらずとも、万作の佐久間家への養子入りは内々に約定が交わされた決定事項である。
忌明け後は再び以前のように佐久間勝豊のもとで学ぶように、ということらしかった。
あまりに足が遠のけば、秋月家の体面にも関わる。
「実は、俺からも、利宇姫さまに会いに行こうと誘ってはみたんですが……」
「! そうか、それで首尾は」
「いや……万作さまは、兵部さまのいるお屋敷から離れたくない、って」
「えぇ……」
次右衛門は露骨に目を細め、げんなりと顳顬を押さえた。梃子でも動こうとしない兄弟に、業を煮やしているのがわかる。
「おまえの誘いでだめなら、では一体、誰の言葉なら耳をお貸し下さるのだ……!」
「そりゃ勿論、兵部さまでしょ。だけど、兵部さまは万作さまが声をかけても未だ上の空だし、ろくに話をしません。万作さまはそれが気掛かりで仕方ないんですよ」
「そうは言っても、兵部さまのお言葉は期待できん。話が出来ぬのは万作さまだけではないのだ。近習の私でも、未だにまともな反応を頂けぬのだぞ。私にどうせよと言うのだ!」
「いやいやちょっと、次右衛門どの」
「この頃は酒量も増えておられるし、兵部さまがこのままお立直り下さらなかったら──、私は腹を切らねばならんのじゃないか!?」
「そんな、まさか」
「殿の御参勤まで、もう三月もない。今の兵部さまをご覧になったら、殿は如何思し召しになるか!? 側近は何をしていたかとお怒りは必至!! そうなれば、腹を切るどころか首が飛ぶぞ!?」
「ちょちょちょ、次右衛門どの! わかった、わかったから、ほんとに落ち着いてくれよ!」
「この上、万作さままで不義理にも佐久間家から遠ざかったままでは、関家は終わりだ……」
次右衛門の声は、微かに濡れていた。
相当に追い詰められている。
当初は慕う兄君を亡くした兵部に同情し、根気強く寄り添い励ました次右衛門だったが、忌明けと同時に要路からも突かれることが増えたせいか、流石に気が滅入ってきているらしい。
次の惣領としての自覚を持ち、立ち直って貰わねば、後の公務に支障が出る恐れもある。
というより、現状、既に支障が出ていると言って良い。
藩主不在の折、内外の対応は留守居役や江戸詰めの重臣が表立つが、その面々は今や十三郎を主軸として動いている節まである。
次右衛門が懊悩するのも、無理からぬことだろう。
小八郎のように倒れるほどではないものの、次右衛門の顔にも明らかな疲弊の色が浮かんでいる。
このまま続けば、いつか次右衛門まで心労に倒れるのではないか。
そんな懸念が過り、気付いた時には考えるよりも早く声を上げていた。
「万作さまは、俺が引き摺ってでも利宇姫さまのところへお連れします」
「……は?」
「このまま御殿に引き籠もっていても、気が晴れるわけないですよ! 佐久間の御屋敷に行ったらきっと元気出るし、万作さまが元気になったら、きっと兵部さまだって!」
「えっ……。まあ、そう……か?」
急に意気込んだ源之丞に圧され、次右衛門は動揺を見せつつ頷く。
「大丈夫! でかい漬物石くらいなら、俺でも運べます! 万作さまを佐久間のお屋敷まで引っ張って行くくらい、朝飯前です!」
「……いや、万作さまは漬物石じゃないからな?」
「似たようなもんでしょ」
***
「万作さまだ!! きく! 万作さまが来た!!」
長沼藩佐久間勝豊の上屋敷に着くなり、高らかな少女の声が源之丞の耳に届いた。
利宇姫である。
久方振りに万作の訪れるのを待ち侘びていたらしく、その幼い顔をいっぱいに綻ばせていた。
が、利宇は付き添って歩み寄る源之丞と目が合うと、さっときくの後ろに隠れてしまう。
「うえぇ、源之丞も来た……」
「ちょっ……利宇姫さま、源之丞どのに失礼ですよ」
隣に控える御相手役のきくが、控えめながらどこかほっとしたように利宇へ微笑みかけるのが印象的だった。
利宇には相変わらず怖がられているなと思うが、やっとのことで万作と利宇を引き合わせた感慨からか、利宇のいつも通りの反応が嬉しくすら感じられる。
源之丞が自ら宣言した通り、万作は殆ど担ぎ出されるようにして秋月の屋敷を出た。
徒でもすぐに着く距離にある長沼上屋敷の門前にまで来ると、流石に万作も観念したらしかったが、やはり顔色は浮かないままだった。
いつ、来た道を駆け戻るか分かったものではない。
そういう塩梅で、源之丞はしっかりと万作の腕を抱えたまま、長沼藩邸の門を潜ったのである。
「此度はまこと、無念なことであった。いとこ殿も大層気落ちしておられるだろう」
利宇の父であり、万作にとっていずれ養父となる佐久間安房守勝豊は、万作の父・秋月佐渡守種信の従兄弟にあたる。
しかし安房守のそうした気遣いの言葉にも、万作は俯いたままにぼんやりと礼を述べるだけであった。
佐久間の屋敷にいる間中、利宇やきくのもてなしを受けても、万作の沈んだ態度は変わることがなかったのである。
利宇やきくが懸命に話しかけても生返事を繰り返すのみで、再会を喜んでいた二人も、次第に沈黙しがちになった。
「利宇姫さま。万作さまに、あれをお渡ししましょ?」
陰気な沈黙が降りたとき、その場の気まずさを払拭しようとしたのだろう。
きくが努めて明るい声で、利宇に何かを促す。
「ほら、利宇姫さま、一所懸命万作さまに御文を書いてたでしょう?」
促されて、利宇ははっと思い出したように顔を上げる。
「そうだ、私ね、きくに御文の書き方を教えて貰ったの! はじめて御文を書いたの!」
きくが襟元から出した文を受け取り、利宇は早速に万作の目の前に差し出す。
宛名に「万作さま」と記した辿々しい筆からは、その懸命さが見えた気がした。
「利宇姫さま、はじめての御文は絶対に万作さまに差し上げるって、頑張ったんですよ」
「ほら、万作さま」
きくが言い添えると同時に、源之丞も万作に文を受け取るよう背を押す。
すると漸く、万作は文に手を伸ばした。
だが、抑揚を欠いた礼を述べ、万作は文を開きもせずに席を立ったのである。
「もう、良いでしょ、源之丞」
「はっ!? 万作さま!?」
「屋敷に戻る」
「えっ、ちょっ、おい……!」
文を喜ぶどころか、万作は落ち着かぬ様子で源之丞を急かすと、利宇姫やきくを顧みもせず、足早に部屋を出て行く。
その急な振る舞いに不意を突かれ、引き留める動きを封じられてしまったのである。
「万作さま!? お待ちください!! ちょっと!?」
慌てて呼び掛け、立ち上がりかけた源之丞だったが、ふと目の端にぽかんと小さな口を開けたままの利宇の姿が目に入った。
驚いたのだろう。
源之丞だって、まさか万作が今、あんな行動に出るとは思っていなかった。
屋敷を無理に連れ出したことが悪かったのだろうか。
これほど歓待してくれる利宇やきく、安房守の気遣いをまるで意に介さない。
如何に兵部が気に掛かるとしても、看過できない態度だろう。
「源之丞どの……」
きくが低い声で呼ぶ。
その声にはたと二人を見れば、きくに肩を抱かれた利宇が、無言でわなわなと唇を震わせていた。
「……利宇姫、ごめんな。万作さま、まだちょっと、調子が悪いんだよ」
今以て怖がられている自分が慰めても良いものか迷ったが、源之丞は大粒の涙を堪らえる利宇の頭をぐりぐりと撫でた。
ふわりと吹き上げた利宇の前髪が崩れたが、そんなことよりも、今目の前で傷付いている小さな童女を、どうしても慰めてやりたいと思ったのだ。
「万作さまも、きっとお返事を書いてくださるよ」
「源之丞……、ねえ、万作さま、利宇のこと嫌いになっちゃったの……?」
ぎゅっと眉根を寄せた利宇は、涙と嗚咽を堪えて訥々と問う。
鼻を真っ赤に染め、じっと見上げる利宇の目と目が合うと、胸に針を刺したように痛んだ。
同時に腹の底から這い上がる憤りと、悲しむ利宇への憐憫とが渦を巻くようで、源之丞は息を呑み込んだ。
「……大丈夫だ。そんなことはないから」
そう言ってやるほかに、うまく言葉が出て来なかった。
【十一.へ続く】
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