アイツは可愛い毛むくじゃら

KUZUME

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物理的に縮まる距離と心理的に縮まらない距離

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 「…ギックリ腰、ですか」
 「情けない限りです…とほほ」
 「…」

 ベッドに横たわり、自分で「とほほ」と口にするトーマスをララはなんとも言えない目で見る。

 「あの…ちなみにトーマスさんの分のお仕事は…」
 「これではとてもご主人様のご昼食のお手伝いも、お部屋の整えも出来ませんなぁ…」
 「…」
 「ああっ…!そもそも魔女クローディアに魔法を掛けられなければ…っ!」
 「やるよ!?やりますよ!!今日の昼食の配膳と伯爵の部屋の片付けをやればいいんですよね!?」
 「あと夕食もよろしくね」
 「…」

 野獣シリウスも怖いが、トーマスも別の意味で怖い、と思ったララだった。



♦︎



 残りの廊下の掃除を手早く済ませたララはすぐさまキッチンへと走りせっせと大鍋でパスタを茹でていた。

 「あーっ!やばい!時間がないっ!塩…塩…っ!あった!」

 普段だったら先にトーマスがメインを作っているが、今日は不在のためにメインも副菜も台車の用意も全てをララ一人で行わなければならない。もうこなったらメイン一品でそれなりに腹が膨れ、そして短時間で調理出来るものにしてしまおう!とララは昼食のメニューをスパゲッティに決めた。

 「あれ…?カトラリーって要る…?いやでも、何も出さなかったら出さなかったで失礼かな?それとも何か専用のがあるんだっけ?…配膳は初日以降、全部トーマスさん担当にしてたから分からない…!」

 何かミスをやらかせばあの恐ろしい野獣はまた大声で吠え、物を投げるだろう。いや、もしかしたらあの牙や爪で襲いかかってくるかも知れない。

 「…っ!」

 ララは自分で自分の想像に体を震わせた。
 しかし震えてばかりいるわけにもいかない。ミスをするか、昼食の時間に遅れるか…どちらの間違いも犯すくらいなら、片方は捨ててでも片方は確実にこなそう!とララは台車に茹で上がったばかりのスパゲッティを盛り付けた皿とコップと水差しを乗せてダッシュでシリウスの部屋へと向かった。



♦︎



 コッ、ココン、コン!
 緊張のあまり不思議なノック音をたててララがシリウスの部屋へと入る。

 「…し、失礼しま~す」
 「…」
 「ひぇぅっ、あ、あの、トーマスさんの代わりに昼食をお持ちしました…」
 「…そっちの卓の上に並べろ」
 「ははは、はいっ!」

 部屋の主であるシリウスは、どっしりとその黒く大きな体を部屋の奥のベッドに横たえていた。
 シリウスはララの入室に特に反応も見せず、のっそりとベッドから降りると部屋の中央の卓
に備え付けられた椅子へと移動する。

 「(ぎゃー!こわっ!でかっ!)」
 「…おい」
 「はははははいぃっ!」
 「……トーマスの奴が面倒かけたみてぇだな」
 「ひえっ!?やっ、大丈夫です…!」
 「…」

 トーマスがギックリ腰により寝込んでいる状況は知っているのか、シリウスの口から飛び出たまさかのララを気遣う言葉に、ララの返事の声はひっくり返ったがシリウスは気にすることなく卓の上に並べられた昼食に目を向ける。

 「(…き、気遣われた!?…案外、そんなに怖くないひとなの、かも…?)」

 ララは椅子に座るシリウスとは一定の距離を保ったまま、けれど落ち着いたシリウスの雰囲気に僅かばかり肩の力を抜こうとした。
 が、シリウスが落ち着いていたのもそこまでだった。行儀よく椅子に座っていたシリウスの尻尾が何の前触れもなく突如ブォンッ!と風を切って勢いよく叩きつけられる。

 「てめぇ、ちったぁ考えてメニュー決めろ!!ここは庶民の家じゃねえんだよ!昼飯がスパゲッティ一品って、ふざけてんのか!!トーマスの野郎も喋れんだろうが!!仕事が分からねえならせめて指示を仰いでからやれ!!!」
 「はっ、はいぃぃぃ!!!すみませんんん!!!」
 「今から副菜とデザート持ってこい!!!」
 「ははははいっ!閣下ぁぁぁあああ!たたたただいま持ってきますぅぅぅ!!」

 シリウスの気遣いの心がほんの少しだけ垣間見えた気がしたが、気がしただけだったと後にララはトーマスにこっそり語った。
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