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第3話
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目を閉じているのか開けているのかすらも分からない暗闇の中から意識が浮上する。
痛みがある。どうやらまだ生きている。
肌が柔らかい布の感触を感じ取る。地面の上に転がっているわけではないらしい。
「…ぅ、」
「…気がつかれましたか?」
「!」
耳が人の声を拾う。自分の発した呻き声に対して掛けられたものらしい。近くに誰かが居る。それまで力無く閉じられていた瞼をカッと開き、声を掛けてきた人物を視界に写す。
「まだ起き上がらないで下さいね。傷に響きますからね」
「…」
目を見開く。人間だ。人間の女がとても近くに座っている。
眼球だけをなんとか動かし、周囲の様子を探る。室内に居る。俺はどうやらベッドに寝かせられているらしい。
部屋をぐるりと見渡して、もう一度女に視線を戻す。女は白黒の特徴的な服を着ている。いつだかにチラリと見た事があるその服に吐き気を覚える。
「傷の具合はどうでしょう。まだ痛みはあると思いますが、何か気になるところはありませんか?」
「…ここは何処だ。俺に何をした」
思ったよりも掠れた声が出た。元々、人とは声帯の作りが違う為聞き取りづらかったと思うが、きちんと聞き取った女はすぐに答える。
「ここは村の外れの教会です。外で倒れている貴方を発見したのでこちらへ連れてきて治療をしました」
「…物好きな奴だな」
思わず自嘲が漏れる。
治療はおろか、人間達は鱗に覆われたリザードマンの肌をただ触る事すら嫌悪するというのに。
そこでふと、気がついた。女の瞳には光がない。
「…あんた、盲目か」
「ええ。なので傷の具合を直接目で確認する事が出来ませんので、何か不都合があれば言って下さいね」
通りでと1人納得する。目が視えていないのならば鱗に覆われた肌の異様さも気にならないだろうし、そもそも人間とは違い過ぎる見た目のリザードマンを見て女が叫び声の1つもあげない筈はない。
当たり前のように魔法を使って桶にぬるま湯を溜め、タオルで顔を拭ってくる女を見ながら考える。
「それにしても酷い怪我でした。私は直接見てはいませんが、回復の魔法をかけても一向に目を覚さなくて…貴方、1週間寝たきりだったんですよ」
「…」
「何があったのか知りませんが、私が傷だらけの貴方を見つけたのも何かのご縁ですもの。治るまでここで安静にしていて下さいね」
随分と見当違いの方向を視ながら話す女は恐らく、人間に話しかけているつもりなのだろう。手触りから普通の皮膚ではないと気づいている筈だが、まさかそこら辺にリザードマンが転がっていたとは思うまい。
何となく訳ありの怪我人だと感付いてはいるだろうが、目が視えない人間は、人間とリザードマンの違いに気づけるものなのだろうか?ふとそんな考えが過ぎった。
「(…死に損なっただけなのか、あるいはまだ俺に運なんてもんが残ってたのか)」
どうせ痛みで動けない。
ここに居ていいと言うのなら、暫くはここに身を隠そうと考えを纏めて、底無しの沼に引きずられて沈んでいくように意識を手放した。
♦︎
俺がこの教会の一室で初めて目を覚ましてから、3週間が経った。
ようやく傷が酷く痛む事もなくなり、1人で歩き回れるようになっていた。
シスターが俺を見つけた時に着ていた服は一応洗濯してくれていたようだが、確認してみれば砂や泥による汚れは勿論、どう足掻いても落ちないくらいに血で汚れきっていたので捨てた。けれどマントだけは根気よく洗い続け、なんとか見られるようにはなったので今までと同じように頭まですっぽり被って生活をしている。
どうやらこの小さな村外れの教会にはシスター1人だけで暮らしているらしいが、万一他の奴等に見られたら問題だ。今のところ聖堂に祈りにやって来る人間もいないが。
ここで療養という名目で生活し始めてから、一応いつシスターが人間の警備隊やリザードマンの奴隷商人に連絡を入れやしないかと警戒して観察していたが、シスターの生活はとても静かで毎日変わり映えが無く、そして穏やかなものだった。
掃除、洗濯、食事。やる事といったらおおよそそれくらいのもので、そしてそれらの行動1つ1つを酷く丁寧に行っていた。もしかしたら目が視えない為に必然的に慎重に行っているだけかも知れないが。
その中で1つ、とても理解出来ないシスターの行動があった。朝に、昼に、夜に、彼女は祈るのだ。チンケな教会の狭い聖堂で、石で出来た冷たい塊に向かって手を組み、長い時間を過ごす。
「…いくら祈ったって、神なんてもんはあんた1人の願い事を叶えちゃくれないぜ」
「そうかも知れませんね」
思わず、胸糞悪いその行為をしている最中の彼女に声をかけた。
「あんたの目をそんな状態でずっと放置している神ってなんだよ?」
「…知っていますか?人は全てに意味を見出したい生き物です」
「はぁ?」
光の灯らない瞳で、彼女は天を見つめる。
「神は人に試練を与えるのだといいます。困難を乗り越えて、人が成長する事を期待しているのだと」
「…」
「だからこの目もきっと神の深い思し召しあってのこと……なーんて私は思いませんけれどね」
「は?」
予想外の彼女の言葉に面食らう。
「私はね、案外この世には意味の無い事だってありふれてると思うのです。私の目が視えない事にも特段意味なんて無いですし、乗り越えるべき困難でもありません。ただ、そうだっただけ」
「だから仕方ないってのか?運が無かっただけだって?」
「そうですよ。…それでいいじゃありませんか。そんなに肩に力を入れてなんでもかんでも意味を無理矢理見出して大層な理由を考えなくたって、人は生きていけます」
ぐずりと何かが腹の底で煮えるのを感じる。苛立ちだ。腹が立つ。
理由が無い事もある?仕方がない?じゃあ俺が呪われたリザードマンとして生を受けて、あんな大怪我を負った事にも意味なんて無いって?
爪が食い込むほどに手を握りしめ、シスターの胸倉を掴み上げる。かち合わない瞳がまた無性に苛立ちを募らせる。
「ふざけんな!仕方ないなんて事はねえ!意味は…俺が竜人で生まれてきた事だって…っ!」
「…貴方は、貴方という自身を嘆いているのに、貴方という自身に意味を見出したいのですね」
「…!」
シスターの胸倉を掴んでいた手から力が抜ける。図星をつかれたような気がして気持ちが悪くなった。
「私の目が視えない事と、私が神に祈る事に関係はありません。ただ、私が祈りたいから祈るのです」
彼女を放って聖堂を出て行く。
一度振り返れば、彼女は既にこちらに背を向けて一心に祈り続けている。
その光景がなんだか、瞼の裏に焼きついて消えなかった。
痛みがある。どうやらまだ生きている。
肌が柔らかい布の感触を感じ取る。地面の上に転がっているわけではないらしい。
「…ぅ、」
「…気がつかれましたか?」
「!」
耳が人の声を拾う。自分の発した呻き声に対して掛けられたものらしい。近くに誰かが居る。それまで力無く閉じられていた瞼をカッと開き、声を掛けてきた人物を視界に写す。
「まだ起き上がらないで下さいね。傷に響きますからね」
「…」
目を見開く。人間だ。人間の女がとても近くに座っている。
眼球だけをなんとか動かし、周囲の様子を探る。室内に居る。俺はどうやらベッドに寝かせられているらしい。
部屋をぐるりと見渡して、もう一度女に視線を戻す。女は白黒の特徴的な服を着ている。いつだかにチラリと見た事があるその服に吐き気を覚える。
「傷の具合はどうでしょう。まだ痛みはあると思いますが、何か気になるところはありませんか?」
「…ここは何処だ。俺に何をした」
思ったよりも掠れた声が出た。元々、人とは声帯の作りが違う為聞き取りづらかったと思うが、きちんと聞き取った女はすぐに答える。
「ここは村の外れの教会です。外で倒れている貴方を発見したのでこちらへ連れてきて治療をしました」
「…物好きな奴だな」
思わず自嘲が漏れる。
治療はおろか、人間達は鱗に覆われたリザードマンの肌をただ触る事すら嫌悪するというのに。
そこでふと、気がついた。女の瞳には光がない。
「…あんた、盲目か」
「ええ。なので傷の具合を直接目で確認する事が出来ませんので、何か不都合があれば言って下さいね」
通りでと1人納得する。目が視えていないのならば鱗に覆われた肌の異様さも気にならないだろうし、そもそも人間とは違い過ぎる見た目のリザードマンを見て女が叫び声の1つもあげない筈はない。
当たり前のように魔法を使って桶にぬるま湯を溜め、タオルで顔を拭ってくる女を見ながら考える。
「それにしても酷い怪我でした。私は直接見てはいませんが、回復の魔法をかけても一向に目を覚さなくて…貴方、1週間寝たきりだったんですよ」
「…」
「何があったのか知りませんが、私が傷だらけの貴方を見つけたのも何かのご縁ですもの。治るまでここで安静にしていて下さいね」
随分と見当違いの方向を視ながら話す女は恐らく、人間に話しかけているつもりなのだろう。手触りから普通の皮膚ではないと気づいている筈だが、まさかそこら辺にリザードマンが転がっていたとは思うまい。
何となく訳ありの怪我人だと感付いてはいるだろうが、目が視えない人間は、人間とリザードマンの違いに気づけるものなのだろうか?ふとそんな考えが過ぎった。
「(…死に損なっただけなのか、あるいはまだ俺に運なんてもんが残ってたのか)」
どうせ痛みで動けない。
ここに居ていいと言うのなら、暫くはここに身を隠そうと考えを纏めて、底無しの沼に引きずられて沈んでいくように意識を手放した。
♦︎
俺がこの教会の一室で初めて目を覚ましてから、3週間が経った。
ようやく傷が酷く痛む事もなくなり、1人で歩き回れるようになっていた。
シスターが俺を見つけた時に着ていた服は一応洗濯してくれていたようだが、確認してみれば砂や泥による汚れは勿論、どう足掻いても落ちないくらいに血で汚れきっていたので捨てた。けれどマントだけは根気よく洗い続け、なんとか見られるようにはなったので今までと同じように頭まですっぽり被って生活をしている。
どうやらこの小さな村外れの教会にはシスター1人だけで暮らしているらしいが、万一他の奴等に見られたら問題だ。今のところ聖堂に祈りにやって来る人間もいないが。
ここで療養という名目で生活し始めてから、一応いつシスターが人間の警備隊やリザードマンの奴隷商人に連絡を入れやしないかと警戒して観察していたが、シスターの生活はとても静かで毎日変わり映えが無く、そして穏やかなものだった。
掃除、洗濯、食事。やる事といったらおおよそそれくらいのもので、そしてそれらの行動1つ1つを酷く丁寧に行っていた。もしかしたら目が視えない為に必然的に慎重に行っているだけかも知れないが。
その中で1つ、とても理解出来ないシスターの行動があった。朝に、昼に、夜に、彼女は祈るのだ。チンケな教会の狭い聖堂で、石で出来た冷たい塊に向かって手を組み、長い時間を過ごす。
「…いくら祈ったって、神なんてもんはあんた1人の願い事を叶えちゃくれないぜ」
「そうかも知れませんね」
思わず、胸糞悪いその行為をしている最中の彼女に声をかけた。
「あんたの目をそんな状態でずっと放置している神ってなんだよ?」
「…知っていますか?人は全てに意味を見出したい生き物です」
「はぁ?」
光の灯らない瞳で、彼女は天を見つめる。
「神は人に試練を与えるのだといいます。困難を乗り越えて、人が成長する事を期待しているのだと」
「…」
「だからこの目もきっと神の深い思し召しあってのこと……なーんて私は思いませんけれどね」
「は?」
予想外の彼女の言葉に面食らう。
「私はね、案外この世には意味の無い事だってありふれてると思うのです。私の目が視えない事にも特段意味なんて無いですし、乗り越えるべき困難でもありません。ただ、そうだっただけ」
「だから仕方ないってのか?運が無かっただけだって?」
「そうですよ。…それでいいじゃありませんか。そんなに肩に力を入れてなんでもかんでも意味を無理矢理見出して大層な理由を考えなくたって、人は生きていけます」
ぐずりと何かが腹の底で煮えるのを感じる。苛立ちだ。腹が立つ。
理由が無い事もある?仕方がない?じゃあ俺が呪われたリザードマンとして生を受けて、あんな大怪我を負った事にも意味なんて無いって?
爪が食い込むほどに手を握りしめ、シスターの胸倉を掴み上げる。かち合わない瞳がまた無性に苛立ちを募らせる。
「ふざけんな!仕方ないなんて事はねえ!意味は…俺が竜人で生まれてきた事だって…っ!」
「…貴方は、貴方という自身を嘆いているのに、貴方という自身に意味を見出したいのですね」
「…!」
シスターの胸倉を掴んでいた手から力が抜ける。図星をつかれたような気がして気持ちが悪くなった。
「私の目が視えない事と、私が神に祈る事に関係はありません。ただ、私が祈りたいから祈るのです」
彼女を放って聖堂を出て行く。
一度振り返れば、彼女は既にこちらに背を向けて一心に祈り続けている。
その光景がなんだか、瞼の裏に焼きついて消えなかった。
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