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未然ちゃん
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天災人災事件事故、何もかも自分が未然に防いだと言い張る彼女のことを、人は「未然ちゃん」と呼ぶ。ひょっとすると、世界は未然ちゃんのおかげでなんとかまわっているだけなのかもしれない。
三月の未然ちゃんは、とある高校の掲示板の前にいた。その日は入学試験の合格発表の日だった。未然ちゃんはまだ小学生であり、お兄さんもお姉さんもいない。
誰もが貼り出された番号の群れを見て一喜一憂していた。そんな中、手元の受験票と掲示板を七度見八度見しながら、涙を浮かべている少年がいた。誰が見ても落ちているのがわかる、痛々しい光景だった。
未然ちゃんは、少年のそばへつかつかと歩み寄り、上司のようにポンポンと少年の肩を叩いて声をかけた。
「良かったでしょ! 受かってたらあんた、間違いなく死んでたでしょ!」
少年は何を言われているのかさっぱりわからなかった。おかげで目にあふれていた涙が引っ込んだのは間違いないが、不思議と馬鹿にされているような気はしなかった。
未然ちゃんは言った。
「あんたがこの高校に受かるとするでしょ。山奥に住んでるあんたは、満員電車で通学することになるでしょ。その顔じゃあ当然、痴漢に間違われるでしょ。そしたらあんたはもちろん、ホームを走って逃げるでしょ。ホームの端まで来るでしょ。線路に飛び降りるでしょ。今度は線路の上を走って逃げるでしょ。それを誰かに動画に撮られて、ネットに晒されるでしょ。結局あんたは、捕まってすべてを失うでしょ。すなわちこれはもう、人としての死でしょ」
少年は勝手に未来へと進んでゆく音速のストーリーを追いかけるのに精一杯で、言い返すべき言葉を探すところまで辿りつけなかった。
「だからあたしが、校長先生に直談判してあんたを不合格にしてもらったでしょ。実を言うと合格最低点は余裕で超えてたでしょ。そこはあんたも自信を持っていいでしょ。でも身の安全のために、あんたは自転車で行ける滑り止めの高校に行くでしょ。そこはもう受かってるでしょ。自転車で痴漢に間違われることはなかなかないでしょ。これであんたの非業の死は、未然に防がれたでしょ」
ひと息でそう言い終えた未然ちゃんは精一杯背伸びして、少年の背中を、完封勝利を収めた新人投手をねぎらうベテラン監督のようにポンと強く叩いた。すると少年は明らかに目の光を取り戻し、掲示板前にあふれる合格者たちの海をモーゼのように割りつつ堂々と帰路についたのだった。
さほど込んでいない帰りの電車内で、少年は両手をクロスして両脇に深く差し込んだ状態で仁王立つという、明らかに過剰防衛としか言いようのない危機管理能力の一端を見せた。
六月の未然ちゃんは教会にいた。教会の控え室には、結婚式を控えたウエディングドレス姿の花嫁がいた。花嫁は泣いていた。誰が見ても嬉し泣きではなかった。
すでに結婚式の開始時間を三十分も過ぎているにもかかわらず、花婿が来なくて泣いているのだった。その横に未然ちゃんがそっと寄り添って、花嫁の肩に手を置いて言った。
「良かったでしょ! あいつと結婚したらあんた、間違いなく死んでるように生きてたでしょ!」
花嫁はその発言が、小学生の口から放たれているとはとても信じられず、思わず斜め上を見上げてスピーカーを探した。未然ちゃんは声の出所を指し示すように、自らの口を指さして続けた。
「花婿はまさに理想的で非の打ちどころのない男でしょ。金も人望も思いやりもあって、仕事も家事も完璧にできる男でしょ。だからこそ、あんたはこの先苦しむことになるでしょ。なんでもできすぎる彼と自分を比較して、どんどん自信を失って卑屈な人間になっていくでしょ。なんでも彼のせいにして、彼を恨むようになっていくでしょ。それはつまり分不相応というやつでしょ。だからあたしが彼に、他の選択肢を与えてやったでしょ。今ごろ彼は、ミスユニバースのファイナリスト経験者百八人から同時に求婚されて浮かれてるでしょ。彼は彼で幸せになるでしょ。あんたはあんたで、別の幸せを見つければいいでしょ。さもないと、この先死ぬまで死んでるみたいに生きることになるでしょ」
未然ちゃんの長広舌をまともに喰らった花嫁は、しかし不思議と晴れやかな顔をしていた。すでに涙は乾ききっていた。
自分はもしかすると、結婚式に花婿が来ないことにではなく、結婚しても彼にふさわしい人間になれるはずのない将来の自分を思い描いて泣いていたのかもしれない。そう考えるに至った花嫁は、開き直ったようにウエディングドレス姿の写真をカメラマンに激写させると、その単体画像をインスタグラムへ、「#結婚やめたった」というハッシュタグをつけて投稿した。
その思いきった投稿にリプライを返した見知らぬ男と、彼女がこの先幸せな結婚をすることになるとは、未然ちゃん以外知るよしもない。
そのほかにも、九月に震度三の地震が起こると「その直後に来た(実際には来ていない)震度七の本震はあたしが防いだでしょ」と言い、十二月のロシアに隕石が落下したというニュースがあれば「それと一緒に地球に向かってた惑星のほうは、あたしが逸らしたでしょ」と豪語し、何も起こらないときは起こらないで「あたしがあらゆる最悪の要因を未然に防いだからでしょ」と胸を張る未然ちゃん。
しかし近ごろ、未然ちゃんよりも一歩先にあらゆる事象を防いでいたと称する上位互換の少女「未未然然ちゃん」が現れた、というのっぴきならない噂もあって。
三月の未然ちゃんは、とある高校の掲示板の前にいた。その日は入学試験の合格発表の日だった。未然ちゃんはまだ小学生であり、お兄さんもお姉さんもいない。
誰もが貼り出された番号の群れを見て一喜一憂していた。そんな中、手元の受験票と掲示板を七度見八度見しながら、涙を浮かべている少年がいた。誰が見ても落ちているのがわかる、痛々しい光景だった。
未然ちゃんは、少年のそばへつかつかと歩み寄り、上司のようにポンポンと少年の肩を叩いて声をかけた。
「良かったでしょ! 受かってたらあんた、間違いなく死んでたでしょ!」
少年は何を言われているのかさっぱりわからなかった。おかげで目にあふれていた涙が引っ込んだのは間違いないが、不思議と馬鹿にされているような気はしなかった。
未然ちゃんは言った。
「あんたがこの高校に受かるとするでしょ。山奥に住んでるあんたは、満員電車で通学することになるでしょ。その顔じゃあ当然、痴漢に間違われるでしょ。そしたらあんたはもちろん、ホームを走って逃げるでしょ。ホームの端まで来るでしょ。線路に飛び降りるでしょ。今度は線路の上を走って逃げるでしょ。それを誰かに動画に撮られて、ネットに晒されるでしょ。結局あんたは、捕まってすべてを失うでしょ。すなわちこれはもう、人としての死でしょ」
少年は勝手に未来へと進んでゆく音速のストーリーを追いかけるのに精一杯で、言い返すべき言葉を探すところまで辿りつけなかった。
「だからあたしが、校長先生に直談判してあんたを不合格にしてもらったでしょ。実を言うと合格最低点は余裕で超えてたでしょ。そこはあんたも自信を持っていいでしょ。でも身の安全のために、あんたは自転車で行ける滑り止めの高校に行くでしょ。そこはもう受かってるでしょ。自転車で痴漢に間違われることはなかなかないでしょ。これであんたの非業の死は、未然に防がれたでしょ」
ひと息でそう言い終えた未然ちゃんは精一杯背伸びして、少年の背中を、完封勝利を収めた新人投手をねぎらうベテラン監督のようにポンと強く叩いた。すると少年は明らかに目の光を取り戻し、掲示板前にあふれる合格者たちの海をモーゼのように割りつつ堂々と帰路についたのだった。
さほど込んでいない帰りの電車内で、少年は両手をクロスして両脇に深く差し込んだ状態で仁王立つという、明らかに過剰防衛としか言いようのない危機管理能力の一端を見せた。
六月の未然ちゃんは教会にいた。教会の控え室には、結婚式を控えたウエディングドレス姿の花嫁がいた。花嫁は泣いていた。誰が見ても嬉し泣きではなかった。
すでに結婚式の開始時間を三十分も過ぎているにもかかわらず、花婿が来なくて泣いているのだった。その横に未然ちゃんがそっと寄り添って、花嫁の肩に手を置いて言った。
「良かったでしょ! あいつと結婚したらあんた、間違いなく死んでるように生きてたでしょ!」
花嫁はその発言が、小学生の口から放たれているとはとても信じられず、思わず斜め上を見上げてスピーカーを探した。未然ちゃんは声の出所を指し示すように、自らの口を指さして続けた。
「花婿はまさに理想的で非の打ちどころのない男でしょ。金も人望も思いやりもあって、仕事も家事も完璧にできる男でしょ。だからこそ、あんたはこの先苦しむことになるでしょ。なんでもできすぎる彼と自分を比較して、どんどん自信を失って卑屈な人間になっていくでしょ。なんでも彼のせいにして、彼を恨むようになっていくでしょ。それはつまり分不相応というやつでしょ。だからあたしが彼に、他の選択肢を与えてやったでしょ。今ごろ彼は、ミスユニバースのファイナリスト経験者百八人から同時に求婚されて浮かれてるでしょ。彼は彼で幸せになるでしょ。あんたはあんたで、別の幸せを見つければいいでしょ。さもないと、この先死ぬまで死んでるみたいに生きることになるでしょ」
未然ちゃんの長広舌をまともに喰らった花嫁は、しかし不思議と晴れやかな顔をしていた。すでに涙は乾ききっていた。
自分はもしかすると、結婚式に花婿が来ないことにではなく、結婚しても彼にふさわしい人間になれるはずのない将来の自分を思い描いて泣いていたのかもしれない。そう考えるに至った花嫁は、開き直ったようにウエディングドレス姿の写真をカメラマンに激写させると、その単体画像をインスタグラムへ、「#結婚やめたった」というハッシュタグをつけて投稿した。
その思いきった投稿にリプライを返した見知らぬ男と、彼女がこの先幸せな結婚をすることになるとは、未然ちゃん以外知るよしもない。
そのほかにも、九月に震度三の地震が起こると「その直後に来た(実際には来ていない)震度七の本震はあたしが防いだでしょ」と言い、十二月のロシアに隕石が落下したというニュースがあれば「それと一緒に地球に向かってた惑星のほうは、あたしが逸らしたでしょ」と豪語し、何も起こらないときは起こらないで「あたしがあらゆる最悪の要因を未然に防いだからでしょ」と胸を張る未然ちゃん。
しかし近ごろ、未然ちゃんよりも一歩先にあらゆる事象を防いでいたと称する上位互換の少女「未未然然ちゃん」が現れた、というのっぴきならない噂もあって。
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