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序章 兄弟

コモーノ、現実を知る

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「コモーノ様、お時間にございます」

 もうそんな時間か?
 眠い目を擦り上げながら上体を起こし、ふあ、と大きな欠伸を起こす。

「まだ寝ていらしたのですか? あと10分で支度をする様にと旦那様がおっしゃっておいでです」

「それを知っていながら今になってやってくるのは俺に恥をかかせる腹づもりか?」

 メイドは「滅相もございません」と平謝りした。
 が、コモーノは勢いづく。
 初めての公式の場。緊張して昨晩は寝付けなかったのだ。
 目の下にはすっかりクマができていた。
 なんだったら今日は外出する気分ではないとすら思っている。

「急げ、父上が癇癪を起こす前にな」

「直ちに人を呼んで参ります!」

「その時間もないだろう。お前、今まで俺が寝ていたと皆に言いふらして笑いものにするつもりだろう?」

「いえ! わたくしは昨日よりここに配属された新人です。おぼっちゃまの好みのコーディネートを存じ上げませんので役不足にございます」

「ふん、俺の好みを知るメイドなど居ない。みんながずっと弟の顔色を窺って生きてきたからな。ミソッカスの俺に興味を向けるメイドなんていないんだよ。なんだよその目は! 俺が次期侯爵家の跡取りだぞ? お前も弟みたいに俺を嘲笑うか!」

 コモーノは拗らせた癇癪をメイドに当てる。
 気が小さく、ここぞという時に怖気付く。

 とてもこれから家を背負って立つ人間とは思えぬ矮小さに配属されたばかりのメイドもこの人の下につくのはちょっと……と考え始めるぐらいだ。

「それよりもお時間が差し迫っております。今からでも遅くありません、お好みの組み合わせをお教えください」

 暴力を働かれても、メイドは主人を立てるもの。
 そう教育されてきた。こんな切り返しもお手のものである。

「ふん、俺に色目を使っても信用なんてしないからな? すぐにクビにしてやる!」

 この男、弟を遠ざけてもまるで変わる様子を見せない。
 なんだったら自分がその立場に着いてからの方がより顕著にアルフレッドの存在を強く意識するほどだ。

 それもその筈、マナー講師のいずれもがアルフレッド様なら教えずとも短期間でマスターされたと口を揃えて言う始末。

 対してコモーノはこの年までその権利を考えずに生きてきたのである。
 己の勉強不足をできて当然と言う顔で押し付けられて赤っ恥を欠かされっぱなしだった。

 魔剣士なんて当たりの職能を手に入れて転がり込んできた幸運に数日は喜んだものだが、その数日で自分が何を手に入れたのかを痛いほどに理解したのだ。
 そして思い知る。

 弟が持っていた物の重責が。
 皆からの期待が。
 募れれば募るほど重く肩にのしかかる。
 そして得た先にあったのは、厳しく接する両親の顔。

 嘘だと思いたかった。
 コモーノにとってアルフレッドの位置は両親の愛を一番に受け取れる場所だと信じて疑わないものだった。
 なんだったらその場所は愛情から一番程遠いと思い知る。

 どこまで行っても“出来て当たり前”。
 我が家に泥を塗ったらタダでは済まさない。

 そんなプレッシャーに押し潰されない様に懸命に生きてきた。
 口では偉そうに言うが、実際のところはもうお腹いっぱいでさっさと弟に全て押し付けたかった。

 だが、自分についたメイドがなまじ優秀だった為にコモーノはデビュタントに間に合ってしまった。

 付け焼き刃のマナー。朧げながら覚えてる王族の顔。
 そしてこれから顔つなぎも考えて自分の部下を選定しなくてはならない。

 覚えることがあまりにも多すぎて若干吐き気さえする。
 これを自分と同じ歳のアルフレッドは完璧にこなしていたと言うのだから信じられない。

 そしてナリアガルがアルフレッドの実績を並べて建て、そうある様にとコモーノを衆人環視の前に押し出した。

 緊張とプレッシャーで何を口にしたかわからない。
 過呼吸と爆発しそうな心臓の音、喉の渇き、眩暈。
 流れ込んでくる受け止めきれない情報量。

 誰が何を語ったかもまるで覚えてない。
 ただ、才能の話題が出た時だけ調子に乗ったのを覚えている。

 職能『魔剣士』
 スグエンキル侯爵家の初代がこの才能を持ち、国に大きく貢献して今がある。
 父や、祖父も同一職能を持ち合わせていないのだ。
 隔世遺伝と言っていいほどの才能。
 しかしコモーノの器だけがそれについていけない。

 その日のデビュタントは自慢話だけで終わった。
 貴族の子息からは口だけの男と噂されたのは後になってから耳に届いた。
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