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七章

旦那たちの覚悟

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 ◇side.クロウ

 腕の中で安心しきったように甘えてくる嫁の顔を覗き込み、そっと頭を撫でてやる。
 すると彼女はびくりと肩を震わせて、困ったような、恥ずかし気な笑顔を見せてきた。
 自分は何を焦っていたのか。彼女はこんなにも手の届く場所にいるというのに、あの戦闘を見た後、まるでどこかに行ってしまいそうな気がしてならなかった。
 そんな勝手な思い込みが彼女に変な気を使わせてしまっていた事に今更ながら気付く。
 そして自分の不甲斐なさにほとほと呆れてしまった。

 久しぶりの二人だけの時間。
 少し先にもう一組いるけど、視界に入れなければ問題ない。お互いにそう思っている事だろう。こちらの邪魔をする様子はないようだ。

 こんな風に甘えてくる彼女をあやすのは旦那であるオレに与えられた特権である。
 ここ最近、仕事仕事で全然構ってやれなかった。その度に「私は大丈夫ですから心配しないでください」とどこか寂しそうな笑顔で応じてくれていた。
 いや、違うな。オレの甘えがそんな言葉を彼女に言わせていたのだ。

 妹にも「もう少し姉さんに目をかけてやってください」と言われたばかり。
 朝出かける時は彼女の寝顔を見届け、夜帰ってきた時も既に寝入った彼女の顔を見て就寝する。そんな生活がここ1ヶ月続いていた。

 彼女は表面上自分を心配させまいと「私は平気です、こう見えて強いんですよ?」と、言うけれど。このように甘えてくる辺り全然平気ではなかったのだと痛感する。
 彼女の強がりに甘えていたのはむしろ自分の方ではないのか?
 そんな感情が心の中で燻った。

 なにせ全身を胸に預けては安堵したように一息つく彼女の姿こそ、甘えたいのをずっと我慢していた子供のように見えてしまうのだ。
 幼き日の妹のことを思い浮かべ、彼女に重ねてあやす。
 背中をそっと撫でてやりながら彼女との時間を過ごした。


 しかしそんな二人だけのゆっくりとした時間もすぐに終わってしまう。
 いくら加速世界だとはいえ、時間は有限である。
 MOBのリスポーンと共に次第に人が戻ってきたのだ。

 このゲームは同じフィールド内のエリア内MOB状況がマップから一目でわかるようにできている。
 詳しく知るにはそのエリアに向かわなければならないが、大量のMOBを天に返したこの場所こそが、まさに大量リスポーン地点として他プレイヤーに認識され、人口が集中するのは必然だった。

 不幸とは連鎖するもので、ゲーム内時間は昼のニ時を指す。
 陽属性スリップダメージが減少するこの時間帯は人通りが増加する傾向にあった。
 その上草原のエリア2は森林フィールドへと続く玄関口も兼ねている。
 その為、人目をこれでもかと集めてしまったのだ。

 それらの視線は主に「ゲームの中までイチャイチャしてんじゃねーよ!  ペッ!」という怨嗟の篭ったものが大半である。

 あまりこの状況はよろしくない。特に繊細な彼女の事だ。こんな些細なことでも傷ついてしまうだろう。
 立ち位置を変え、庇うようにして視線を背中で遮った。
 これで不躾な視線は届かないだろう。
 一息つき、周りを伺うと、ジドもまたその視線を鬱陶しく感じているようだった。
 特にあいつの場合、嫁さんの胸に挟まれた状態で抱きあっているのだ。その注目度たるやこちらを上回る。
 それとなく移動しようと目で合図を送ると、その意図を察したジドは静かに頷いた。
 オレはユミの肩を軽く叩き、場所変えを促す。


「ユミ、ユミ」
「ん……。あなた……どうかしましたか?」
「うん、そろそろ移動しようと思ってね。さっきから僕たちは視線を集めてしまっている。せっかくの二人きりの時間をこうやって邪魔されるのは僕としても本位ではない」
「もう少し……このままでいたいです」
「出来ることなら僕もこのままでいたい。でもね、行く先々で変な噂を立てられたら冒険どころではなくなってしまうよね?  それは僕は嫌だなって思う。ユミと一緒であるなら僕はどこでも平気さ。でも僕がいないところで君に迷惑がかかるかもしれないという不安で仕事に手がつかなくなるかもしれない。その憂いを断つためにも、ここは一旦引こう。いいかな?」
「わかり、ました……」


 少し不満げだが、何とか了承を得ることに成功した。
 成功はしたが、信用は少し減ったかもしれないな。何となくだが、彼女のうつむいた顔を見ると不安が胸を締め付ける。
 やはりどこかで無理をさせているのかもしれない。
 明日から早く仕事を上がれるように一層業務内容を詰める必要があるな。

 しかしジドの方はというと、難航している様子だった。
 アイツはいつも偉そうな口を叩いてる割に、嫁さんよりも背が低い。
 そのためかその圧迫感のある胸部装甲に押しつぶされる目にあうのだ。
 すこし羨ましいと思うが、それを態度に出せばユミがあからさまにむくれるので極力表に出さないように務める。
 ユミは一見ぽやんとしているようでいて、結構周りを見ているので侮れないのだ。


「ユミからもローズに言って聞かせてくれないか?  ジドだけじゃ難航しそうだ」
「いいですけど……私がなんでもこなせるからって、私は何でも屋って訳じゃありませんからね?」


 そう呟いてジッとオレの目を見つめてくるユミ。
 何でも卒なくこなせるからと、彼女に頼ってきた回数を頭で思い浮かべながら次からは気をつけるよと困ったように笑って送り出した。


「ほら、ローズ。ジドさんに迷惑かけない」


 ユミはローズに一言注意すると、脅し用に振り上げた掌を、大して溜めもせずにそのまま一気に振り抜いた。
 パチーンと乾いた音が周囲に響く。
 怒ってる顔も可愛いユミはローズに詰め寄るともう片方の手を振り上げて脅迫した。


「ほらローズ、いい加減離れて」
「あいたー!  痛いよリアさん。何すんのさ!」
「だって無視するから……」


 無視するとビンタを食らうのか。
 もう少し穏便にすませると思ったが、ゲームの中の彼女はなかなか過激なのだなと内心冷や汗を掻く。


「せめてほっぺ叩かなくてもいいじゃん」
「人目を集めているから移動しようってクロウが。それにジドさんも困ってるよ?」
「いいじゃん、見せつけておけば。他人の視線がなんぼのもんだってのよ。それよりダーリンとの憩いの時間の方が数倍大事でしょ?  リアさんだってそう思うよね、ね?」
「その件については全くもって同意ですが、それによって彼等を困らせてしまうのは本末転倒です。ローズさんは自分さえ良ければ旦那様が後に不幸な目にあっても平気だというのですか?  抵抗するならもう一発行きますよ?」
「いやぁああ、もう抵抗しないから叩くのはやめて~」


 ジドを振り払い、ローズはユミに抱きつくかたちで暴力に抗った。
 こうしてジドは社会的な窮地を脱し、ことなきを得る。きっと今頃掲示板ではオレ以上に叩かれていることだろう。
 ざまぁみろ。

 見目麗しい女性二人が抱きつく光景は、側から見れば微笑ましくもあるが、当のローズは結構ガチで痛がっている。
 それは見た目以上にユミの平手打ちが効いていることを意味するが……確か彼女は体力全振りの防御力の申し子だったような?  いや、これ以上考えるのはやめよう。
 ユミは心に響く一手をローズに与えたのだ。それでいいじゃないか。深く考えないほうがいい。それで身を滅ぼした先達の笑い話を思い出し、身を引き締める。

 もしかしたら表面に出ないだけでユミの中では相当なフラストレーションが溜まっているのかもしれない。
 もっと大事にしてあげようと気持ちを強めた。

 未だ気落ちしている彼女の肩を引き寄せ、体を寄せ合う。最初こそは戸惑っていた彼女だったが、直ぐにその状態に味を占めていた。
 本当はずっとこうして欲しかったのだろう。
 そうされている親友の方を見ては、こちらをチラチラと振り返る彼女を見て、今更それに気付かされた自分に情けなくなる。

 周囲からの視線はより激しいものになったが、俺たちは気にしないようにエリア3へと足を運んだ。
 ユミの機嫌は少し治ったようだった。今では少し距離を置いたところでニコニコとしていた。良かった。でもまだ安心はできないな。
 俺は訪れた草原エリアを見回し、呟く。

 相変わらずここは賑やかであるようだった。


「ジド、お前ならどう対処する?」


 ふてぶてしく食事をしているチャージシープを見やり、それとなく聞く。


「はてさて。今のオレのスキルじゃ対応できなくもないが……」


 まだ始めたばかりであり、なおかつヒューマンという限定条件。
 想像力でスキルを思いのままに操作出来るからといって、まだ望んだ形に具現化するのには熟練度が圧倒的に足りなかった。


「それじゃあユミとローズを足せばどうだ?  オレ達はパーティーだ。頼りきりではダメだが、一緒に協力する分なら問題無いだろう」
「ふむ。ウチのローズのヘイト消失は実際やばい。オレに敏捷が全く無い分、上手く合わせればノーミスで討伐は可能だろう」
「ほう?」
「それとお前のとこのユミちゃんも多分本気は微塵も出していない。お前が結局動き回る系の一撃必殺型に拘るなら彼女の力はきっとお前に違う世界を見せてくれる筈だ」
「お前はそう見るか」
「実際手の届かない場所を任意で切断できるとか普通に考えてヒューマンには過ぎた力だ。それを、あのスキル構成でやる技量。あれだけが武器では無いと考えなくてもわかる。あれは英雄になっててもおかしくない力だ。だが違うのだろう?」
「ああ、それは断言できる。女性で英雄なんてそれこそ何人も居るが、それをできるものと言えば片手で事足りる。
 それこそ彼女たちのことはよく知っている。だからこそあの2人とユミは結びつかないんだ」
「ま、そうだわな。マリーはウチの嫁な訳だし。もう一人のノワールなんてお前のお気に入りだ」
「そうだ。もしユミが仮にノワールだとしたら、オレと結婚してるはずがないだろう? オレはあの子に嫌われてるからな」
「お前がマサムネだと知らない可能性もあるぜ?」
「そうかもしれない。だが彼女にはオレが時代劇が好きであることも知っているし、割と形から入ることも知られている。趣味の部屋には模擬刀も飾ってあるぐらいだ。どれもマサムネに結びつけることだって出来るんだぞ?」
「それを見せてもなお動じないと?」
「そうだ。彼女がノワールであるならあからさまな拒否反応があるはずだ。だがそれすら微塵も感じさせず、その後何事もなくベッドで愛し合った」
「おい、さらっと惚気んな」
「ふん、お前のところも盛んな癖に。いちいち突っかかるな」
「そーでもねーよ。むしろ最近までご無沙汰してたし。嫁さんがな、どうしても子供が欲しいって誘ってくれたから今があるんだ。それまではずっとそっけなかったぜ?」
「そうなのか?」
「そうそう。もしかしたら秘密裏に連絡取り合ってたのかもな。それで同時期に妊娠した。マリーならやりかねない。それぐらいウチの嫁さんは計算高いぜ」
「見た目からは想像できないけどな」
「そりゃお前んところのユミちゃんにも言えることだろ」
「違いない。どこかで見た目から勝手に弱いものだと、率先して守ってやらねばならないと思い込んでいたようだ」
「そう言う気持ちは案外バレるぜ?  変に気を使いすぎると高確率で拗ねるからな」
「さすが経験者の言うことは重みがあるな。分かった。こちらでも気をつけよう」
「おし、じゃあ今後の作戦はそういう事で」
「ああ。お互い頑張ろうな」
「お前こそ、判断間違って愛想尽かされんなよ?」
「お前にだけは言われたくない」


 グッと拳を付き合わせ、背を叩き合ってから嫁達の待つ場所へと戻る。


 –––さぁ、ぐちぐちと悩むのはもうやめだ。こちらも純粋に、あの頃の様にゲームを楽しむとしますか。
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