そして獣の腹の中

しきみとうか

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かくして獣は捕らわれた1

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《狐は狼に喰われるべし》

宙に浮かぶその文字を前に、サフィルス・ローグ・アルジェントはしばしの沈黙を保っていた。
これがどのような意味を持つものであれ、自分にとって好ましくないものであるのは間違いなさそうだ。
クソ狼が、と内心で罵りながら、表面上は平静を装う。
王族として育てられたサフィルスにとってそれは当たり前のことだったが、隣にいるもう一人の男にとってはそうではないらしい。

「何と書かれているのかわかるのか?」

怪訝そうに尋ねてくる男は、隣国の騎士団長であるマグヌス・グレン・ヴォルフレアという。
これまで噂くらいしか耳にしたことがなかったが、最年少で騎士団長に就任した猛者という評判は、本人を前にすると少し疑問が湧いてくる。
こちらを見つめる黄色い光彩を帯びた新緑のような瞳は、噂とは違い穏やかそうな雰囲気を漂わせており、表情を取り繕っている様子もなかった。
そう見えるだけかもしれないが。

(何はともあれ、利用できるものは利用しなければ)

最初にこの男が自分を見た時に眩しそうに目を細めたことに、サフィルスは抜け目なく気づいていた。
敵対関係にある国の王族、という点を差し置いてもそうせざるを得なかったのだろう。
己の見目が際立って整っていることをサフィルスはよく知っていた。
月光を織り込んだ銀の絹糸のようだと称される髪に、白磁の肌。
深い瑠璃色の瞳は頻繁に宝石に例えられている。
稀有な美貌と言って差し支えない容姿は、弱みでもあり、強みでもある。
そしてサフィルスは、その美貌を存分にふるうことになんのためらいもない性格だった。

「狼は狐に協力すべし、と書かれているよ」

にこりと笑いながら告げると、マグヌスが驚いたように目を丸くした。






*******






そもそものことの発端は、ルナール王国の隣国ループス帝国との国境にあるペルグランデ大森林において小競り合いが発生したことだった。

ルナールとループス、なんとなく響きの似ている二つの国だが、その仲は険悪意外の何者でもない。
元々はルナール領はループス帝国の一部であったが、数代前に起きた皇位継承の諍いの最中に、どさくさに紛れて領土を掠め取っていったのだ、というのがループス側の言い分である。
ルナール側にしてみれば、ルナール領はもともと古代より王国として存在しており、ループスが不当に侵略して配下に収めていたもので、正当な権利を回復したに過ぎないということになる。
両者の意見は平行線を辿り、野蛮な狼が、ずる賢い狐が、と長きにわたり罵り合い続けることになった。
何故狼と狐なのかといえば、ループスの守護神が狼で、ルナールの守護神が狐だからである。
そのせいなのか、ループス帝国では武を重んじる傾向が強く、ルナール王国では知恵を重んじる傾向が強い。
ただあくまでも傾向というだけで、どちらかの国力が弱いということはなく、それが故に国境では互いの国の警備隊による小規模な衝突は日常的なものであった。

ルナール王国の第三王子であるサフィルスが国境の砦を視察に訪れていた際に起きたのも、そんな小競り合いだったのだ。
森林における国境はとかく不明瞭なものが多く、非友好的な国家間においては特に揉め事の元だった。
領土に不法に侵入したと騒ぎ立てたのがどちらの国だったのかは定かではないが、サフィルスはあっという間に混乱の中に巻き込まれることになったのだ。
側近のナイジェルがサフィルスを連れてその場を脱出しようとした時、ルナール側の陣営から騎士団長が姿を現したことで、混乱に更に拍車がかかった。
何故こんなところにヴォルフレア騎士団長がいるのか、とナイジェルが焦っていたのを覚えている。

お逃げください!と言われて背を押された時、突如として視界を黒い霧のようなものが侵食し始めた。
いったいこれはなんなのかと思う間もない。
全身を絡め取るような黒霧が辺りを埋め尽くし、サフィルスは飲み込まれるようにして意識を失ったのである。

そして、気づいた時には見知らぬ場所に寝かされていた。
さほど広くはない灰色の壁に覆われた部屋の床で、サフィルスはがっしりとした男の腕に抱き込まれるのようにして寝ていたのだ。
慌てて飛び起きると、傍らの男も目を覚ましたらしく、ぼんやりとした眼差しをこちらに向けてくる。
ほどなくしてそれが感嘆の意志を示したことは、サフィルスにとっては慣れたことだった。

ルナールが古王国であった頃の始祖であるラナケルは、美貌の神としても伝えられており、王族特有の銀髪はその子孫である証とされる為、際立って美しい銀髪と美貌に恵まれたサフィルスは、ラナケルの先来とまで言われていた。
初対面の男であれ女であれ、サフィルスに見惚れる人間など珍しくもなかったのだ。

(この男、ヴォルフレアか)

ループスの騎士団長、マグヌス・グレン・ヴォルフレア。
最年少で騎士団長に就任したとされる男で、年齢は確か20代後半だったはずだ。
戦場では勇猛果敢のみならず、深慮に富んだ判断も下せる知将としても知られている。
間近で見たことはなかったが、ナイジェルがあれはヴォルフレア団長だと断言していたので間違いはないはずだ。
だとすれば非常に厄介なことになる。
ここがどこなのかわからないが、この男に連れ込まれたのだとすれば、サフィルスにとって不利な状況だった。
どうしたものかと思いを巡らせていた時、ふと視界に飛び込んできたものに気づいてぎくりとする。

「え?」

思わずそんな声が漏れ出ていた。

空中に文字が浮かんでいる。
そうとしか表現できない。

《狐は狼に喰われるべし》

ふわふわと宙に浮いた文字は、そんな一文を刻んでいた。

「なんだこれは」

身を起こしたマグヌスが、訝しげに眉を寄せる。
近くで見ると、彼はかなり整った造作の持ち主だった。
濃い茶色の髪に、新緑のような緑の瞳。
精悍な造りの顔立ちはどこか優しげで、派手ではないものの美形と言って差し支えない。
戦場での評判との差に、サフィルスは少し意外だなと感じたが、それよりもこの状況が優先された。

「あなたにもこれが見えるのかな?」
「ああ、何か文字のようなものが…なんと書かれているのかはわからないが」
「わからない……?」

サフィルスは普通に読めていたので、マグヌスに読めないとは思わなかった。

(そういえば、これは古語だな)

今は使われていない、いにしえの言葉だ。
サフィルスは師について古語を学んでいたが、普通は目にすることもないのだろう。

「しかしこれはまるで、ライカンの腹の中のようだな」
「腹の中?」
「ループスに伝わる伝承で、始祖ライカンが人を試す時に己の胎内に飲み込んで試練を与えるそうだ。ライカンの姿は見えず、文字のみが現れる」

まさにこの状況だ。

「戦場で妙な霧に囲まれたと思ったら、よく分からない場所で、おまけに文字が宙に浮いている。まさかとは思うが、ライカンに呑まれたとしか思えんな」
「その試練とやらが終われば、腹から出られると?」
「それだけではなく、ライカンの財宝を与えられると言われている。それが何なのかはわからないが」

マグヌスの口調から、彼があまりそれを信じていなさそうな雰囲気を察した。
確かにいきなりこんな状況に陥ったのでは神がかりなものを信じてしまいたくなるだろうが、実際のとことこら何かの仕掛けだと思うほうが現実的だった。
サフィルスもそれには同意だったが、それだけで済ませるにはこの状況は説明がつかない。

(ライカンの財宝……神話の狼は宝を隠す習性があるというが)

信じているわけではない。だが、1人だけでどうにかできる状況でもなさそうだった。
どうするか、と思いながらその文字を見つめ──そして冒頭に至る。

「狼は狐に協力すべし、と書かれているよ」

にこりと笑みを浮かべ、驚いたようにサフィルスを見つめるマグヌスに更に告げる。

「つまり、僕にとっての狼はあなたということでいいのかな?」

ゆらり、と文字が揺れたように見えた。
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