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かくして獣は捕らわれた2
しおりを挟む「狼…というのは俺のことか」
マグヌスの問いかけはもっともなようで、意外でもあった。
ループスの人間は自分達を狼の末裔だと信じているので、自らを狼に例えられることに疑問を感じることはないはずだった。
「あなたはヴォルフレア騎士団長だろう?勇猛果敢な戦場の狼ではないのかな?」
「そういうお前は狐だと?」
「僕はルナールの第三王子、サフィルス・ローグ・アルジェントだ」
「ああ、お前があの……」
噂は聞いたことがあったのだろう。
しかし敵対している国とはいえ、王族相手にお前呼ばわりとはなかなかの度胸をしている。
(いや、この男は確かループスの皇族になるのだったか)
マグヌスは先代のループス皇帝の弟の息子の1人だったはずだ。
現在の皇帝にとっては従兄弟にあたる。
れっきとした皇族だった。
「なるほど、ループスの皇族とは随分偉いのだね」
かなり直截的な言葉だったなと思わなくはなかったが、サフィルスのその言葉にマグヌスは慌てた様子を見せた。
「すまない、軽んじるつもりはなかった」
「いや、構わないよ。あなたのほうが年上だろうし、何よりこんな状況だしね」
「そうしてもらえるとありがたい。あまりかしこまった物言いに慣れていなくてな」
そう言うと、マグヌスはじっとサフィルスを見つめると、改めて名乗りをあげた。
「遅れたが、俺はマグヌス・グレン・ヴォルフレアだ。もう知っているようだが、先代ループス皇帝の息子だから、確かにまぁ、皇族だな」
困ったような口ぶりである。ますます噂とはかけ離れて見えた。
「マグヌスと呼んでくれ。敬称はいらない」
「ではこちらもサフィルスでいい」
「わかった」
頷いたマグヌスは、何やら嬉しそうだった。
この男、随分砕けすぎではないだろうか。知将との噂もあるが少し疑わしくなってくる。
一瞬そんなことを考えたがおくびにも出さず、サフィルスはにこりと笑ってみせた。
「ループスにあなたのような人がいるとは思わなかった。こんな状況でもいがみ合うのは効率的ではないからね」
「それは褒めてもらっていると思っていいのか?」
「もちろんだよ」
あくまでも友好的な態度を取りつつ、サフィルスは本題に入ることにする。
「ところで今の状況を確認したいのだけれど、マグヌスは何か覚えていることはあるかな?どうして僕達がこんなところにいるのか、心当たりは?」
「いや、ペルグランデの大森林で小規模の戦闘が発生したと聞いて、たまたま近くに居合わせたから駆けつけたんだ。その後すぐにあの黒い霧に包まれて、気づいたらここにいた」
言いながら首を傾げている。
「まさかルナールの王子がいるとは思っていなかったが……。お前はなぜあそこにいたんだ?」
もっともな質問である。騎士団長であるマグヌスが国境の緊張地帯にいることより、第三王子がそこにいたことのほうが疑問だろう。
「僕は視察で…。まぁ、慰問といったほうがいいかな」
何しろ兵士達はサフィルスが訪れると、まるで神が降臨したかのように歓迎してくれる。
現在ループスとは緊張状態にあるだけで戦争には至っていないのだが、前線に立つというのはそれだけで精神が疲弊するものだ。
美貌の王子が優しく微笑んで労ってくれるだけで、心の励みになるらしい。
マグヌスは色々察したようで、なるほどな、とつぶやくと後は追求しなかった。
「あの霧に呑まれた後の記憶は互いにないと思っていいのかな」
「そうなる」
「ちなみにここがどこなのか、狼の腹の中以外に思い当たるものはないかな?」
「現実的な話をすれば、大森林の国境沿いにある兵舎のどこかといったところか。どちらの国かはわからないが」
「そうだね、そんなところか」
考えられる状況としてはそのあたりだろう。
空腹の具合からしてあの霧に遭遇してからそれほど時間は経っていないようだ。
ならばまだここはペルグランデの大森林の中と考えられる。
「あの霧はなんだと思う?人を眠らせる霧など聞いたことかない」
「わからないな。そんなものがあれば知っていると思うけど」
「本当に?」
新緑の瞳がじっとサフィルスを見つめる。
疑われているのかもしれないが、嘘はついていない。今は、だが。
「古代と違い、ルナールでは魔法の類いは衰退している。ループスも同じだろう?」
かつては魔法使いと呼ばれる者達が存在していたと記録にはある。火や風、水を操り、怪我や病気を癒すことができたらしいが、現在においてそのような者達は存在しない。
まやかし程度の術を使う者がたまに現れるくらいで、それもせいぜい目くらましの術や若干効果のある加持祈祷が行えるという程度だ。
「ルナールでは術師の管理を行っていると聞くが、その中に催眠などの術が使える者はいないのか?」
「話がどう伝わっているのかは知らないけれど、あの霧が何かの術であったとして、あれほど大規模な術を行える者はいないだろう。少なくとも僕は知らない」
確かにルナールではわずかでも術が使える者達を王宮の管理下においている。危険性はない場合がほとんどだと聞いているが、第三王子であるサフィルスもすべてを把握しているわけではない。
「この状況では、それを証明できないけどね」
「いや、確認がしたかっただけだ。すまない」
疑っていたにしてはやけにあっさりとマグヌスは引いた。
そして視線を宙に浮かぶ文字へと向け、再びサフィルスに問いかける。
「先ほど言っていたが、あれには協力しろと書かれているのか?」
「おおまかに言えばそうだね。古語だから完璧に訳せていないかもしれないけど、要は仲良くしろということだと思う」
捕食する、されるというのは究極の関係の構築だろう。言葉どおりに受け止めたとしても、別の意味で解釈したとしてもだ。
「やはり狐は信じられないかな?」
やや挑発的にマグヌスを見上げて告げると、先ほどと同じようにすまないと言われる。
「状況の確認をしているだけだ。ここがどこであれ、どうにかして脱出しなければならない。可能性のあることは知っておいて損はないだろう」
「それはそうだけど」
「それに、そもそも俺1人ならあの文字は読めない。あれが古語で書かれているという情報だけでも今は十分だ。誰が書いたにせよ、古語を解するような者はそう多くないからな」
つまり、あれが読めなかったとしても問題はないというのだろうか。
わずかに首を傾げたサフィルスに、マグヌスはさらりと告げる。
「こんな状況だ。互いの国がどうあれ協力関係を築くのは悪くないだろう。それに、王族ともなれば簡単に口にできないこともあるのは理解している。できることをしてくれれば十分だ」
「そうか……そう言ってもらえるとありがたいよ」
おそらく今自分はにこやかに笑えているはずだった。あくまでも表面上は。
(この男、僕をお荷物扱いしたのか)
マグヌスはサフィルスを疑っているわけではない。
そもそも信用していないのだ。
隠し事もするし、嘘もつく。それが当たり前だと思っている。
その上で、邪魔にならなければいいと言ってのけたのだ。
(なるほど、騎士団長様は相当な自信家らしい)
普通の人間なら、信用できない相手を側に置かない。監視の為に近づくことはあっても、それだけだ。
それで構わないと言い切れるのは、裏を返せば嘘をつかれようが影響がないと思っていることになる。自分でなんとかできるという自信の表れに他ならない。
騎士団長というわりに砕けた態度の男だと思っていたが、そうではない。単に余裕があるのだ。
サフィルスに何かをされたくらいでは揺るがない、確固たる余裕。それを持てるだけの力があるのだと言外に語っていた。
虚勢を張ってそう見せているという可能性もあるが、この男の場合それは低そうだと感じる。
気に入らない。
端的にそう思った。
サフィルスだとて日々の鍛錬を欠かしたことはないし、ルナールの王子として多くの知識を得ることはむしろ当たり前だと思っているので、様々なことを学ぶことは日常だった。語学に関しては教師が舌を巻くほどの出来だったし、18才になり成人を迎えてからは、王族として外遊にも積極的に参加している。
決してひ弱なお飾りの王子などではない。
少なくとも、足手まといとして扱われるようなことはないはずだった。
それなのに、マグヌスはいとも容易くサフィルスをお荷物扱いした。
本人にその自覚があったのかはわからないが、無自覚だとしたらなおたちが悪い。
ルナールの人間としての本能なのか、サフィルス個人の感情なのか、ふつふつと内側からこみ上げてくるものを感じる。
(それなら、こちらも同じことだ)
より狡猾に返してやらねば気がすまない。
物騒な決意を胸に、サフィルスは己より一回りほど大きいマグヌスを見上げて微笑んだ。
心の中では相手の胸ぐらを摑んで、ふざけるなこのクソ狼が!と怒鳴りつけていることは綺麗に隠す。
「頼りにしているよ、マグヌス」
そう告げると、マグヌスは少し笑ったようだった。
*******
まずはこの場所を調べることからだ、ということで、二人で部屋の隅々まで確認していく。
それほど広くはないし、ほぼ何もないのですぐに終わってしまったが、結果としてあまり進展はなかった。
灰色の壁に、焦げ茶の板を敷き詰めた床。ただそれだけの部屋だ。扉も窓もない。
だが、試しにマグスに剣で壁を切らせてみたが、まったく傷がつかなかった。普通の部屋でないことは確かだった。
「サフィルス、そろそろ終わってもいいか?」
剣以外も試してみようと思い、マグヌスに壁を殴らせたり床を蹴らせたりしてみたが、これも効果はないようだった。
何十回か試してみてくれというサフィルスの頼みどおりに、あちこちを蹴ったり殴ったりしていたマグヌスだが、あまりにも手応えがないせいもあるのか、少し疲れたような表情を浮かべていた。
「そうだね、もう十分だろう。お疲れ様」
労いの言葉をかけると、マグヌスは目を細めてサフィルスを見やる。慣れた視線だ。自分の武器がきちんと機能しているのを確認しながら、サフィルスは腕を組む。
「とりあえず、この部屋から外に出れない状況だというのは改めてわかったよ」
「そうだな」
「呼吸ができているのだから、どこかから空気は入ってきているのだろうし、僕達がここにいるのだから入り口はあるだろうと思ったのだけど」
「それらしいものはなかったな。考えられるとして、何かの仕掛けがあるかだが」
「そう考えるのが妥当だね。でもひと通り見てみたけれど仕掛けらしいものはなさそうだ。あの文字以外はね」
文字はただ宙に浮いているだけで触れることもできない。
今のところ、思いつく手立てはなかった。
「すぐに脱出はできそうにないか」
マグヌスの言葉に、サフィルスも頷いた。
「そうなると、色々問題が出てくるね。水や食料とか」
「少しなら持ち合わせがあるが」
「長引くことを考えると、足りないだろうね。他にも色々問題がある」
「確かに、この状況では用を足しづらいな」
「………そうだね」
厠がないというのは切実な問題だ。戦ごとに慣れているマグヌスは少々やりづらいくらいの感覚なのかもしれないが、サフィルスにとってはそうではない。
厠があればいいのに、とつぶやいた時、例の文字が揺らぎながら光り始めた。
「なんだ!?」
マグヌスが素早く動いてサフィルスを背に庇う。
肩越しに文字を見あげていると、しばらくゆらゆらと震えるように揺れていた文字が、ゆっくりと増えていった。
《狐は狼に喰われるべし》
・狐は狼と肌を合わせよ
・狐は狼のすねを蹴り上げよ
最初の文字の下に、新たな文が追加されている。
上段の文字が金色の光を放ち、下段の文字は銀色に光っている。
それぞれが主張するように揺れながら光る様は、不可思議としか言えないものだった。
「サフィルス、これはなんと書かれてるんだ?」
緊張した声音でマグヌスが問う。
どうすべきかしばし考えた後、サフィルスは決断した。
「マグヌス、しっかり立っていてくれ」
「は?」
相手の返事を待たずにサフィルスは横からマグヌスのすねを蹴った。
「!?」
マグヌスは騎士らしく武装しているが、フルアーマーというわけではない。動きやすさを重視しているのか、胸当てとすね当て、篭手のみにとどめている。
もちろん上質のものだろうし、それだけで十分だという自信の表れでもあるのだろうが、それを理解した上でサフィルスはすねを狙ったのだった。
ちなみに横からの不意打ちがどういうものなのか、もちろんサフィルスはよくわかっている。
「お前、いきなり何を……っ!」
さすがに倒れるようなことはなかったが、それなりにダメージはあったのだろう。
驚愕に目を丸くしたマグヌスを見るのは割と小気味良い気分だったことは、胸の内に秘めておくことにする。
「マグヌス、あれを見てくれ」
上段の文字がぽろぽろと崩れるようにして消えていく。
勘ではあったが、あれらは選択肢のようなものだったのだろう。
狐が狼のすねを蹴ったので、選ばれなかったほうは消えた、ということらしい。
「何がどうなっているんだ?」
「なるほど、そういうことか」
傍らを見やって、サフィルスはひとりごちた。
先ほどまで何もなかったはずの壁に、いつの間にか扉が現れていた。
「あれを開けてみてくれないか」
扉を示すと、マグヌスが再び目を剥く。
「いつの間にあんなものができたんだ?」
「いいから、開けてくれ」
「お前、さっきから何を……」
「マグヌス」
名を読んでじっと見あげる。
視線が交錯してからすぐ、マグヌスは何かを諦めたように短く息を吐くと、慎重な動きで手を伸ばす。
「どういうことなんだ」
軽い音を立てて開いたその先には、サフィルスの予想どおりに厠が存在していた。
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