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第四話 あなたと私だけの秘密
「麻衣、入ってもいいか?」
しばらくして、私の涙も枯れた頃。
兄が、申し訳なさそうな顔で部屋に入ってきた。
その表情はさながら主人に叱られた犬のようで、少し気の毒になった。
昔から兄はお人よしが過ぎるくらい優しくて、それでいて真面目な人だ。
他人に興味が無くて、ずっと一人で遊びまわっていた私とは正反対の人。
――だからこそ、兄には嫌われたくなかった。
「どうしたの、お兄ちゃん」
私は今持てる全労力を使ってぎこちなく笑顔を作り、兄に応対した。
正直、自分がちゃんと表情を作れているか自信が無い。好きな人の前なのに。
「その、麻衣の事が心配だし、麻衣の気持ちが少しでも楽になればと思ってるから、ゆっくり話を聞きたいなと思ってきたんだ」
兄はそう言って、焼き立てのアップルパイと紅茶をテーブルに置いた。
茶葉のいい香りが部屋に広がり、私と兄の間の緊張感は少しだけ、ほぐれたような気がした。
私の好きな、アールグレイの紅茶。
ネット通販でダース単位で買い込んでくれているものだ。
アップルパイも、私が中学生だったころにいつも持たせてくれていた。
当時、兄はいつも過保護なくらいに心配性で、私の事を気にかけていたのを思い出す。
いつも兄はこうだった。
言葉で伝えるには不器用だから、行動で思いやりを伝えてくれる人。
……そういうところも、好きだった。
「麻衣。何でもいい。今思っている事を話してくれないか。
俺は決してお前の事を否定しないし、全部受け止めるから」
兄はそう言って、静かに私の手を握ってくれた。
あったかくて、ごつごつした手。
でもこの手の中には、私と同じ血が流れている。
「なんか、俺に出来ることはないか」
私は兄の事を近くでずっと見てきたからわかる。
今の兄は、私の事を憐れむ事も、同情する事もしていない。
ただ家族の一員として、心から自分事の様に心配してくれているのだ。
でも兄に全てを伝えた時、私は果ての無い奈落に落ちていくんじゃないかと思った。
不安だった。怖かった。震えが止まらなかった。
たとえ、大好きな人が隣にいてくれるとしても。
「お兄ちゃん、私、最低な女で、最悪な妹だから……お兄ちゃんに全部話したら、きっと嫌われるよ……」
唇を、血がにじむほど噛む。
何で、好きな人に思いを伝えるだけで、こんなに身を引き裂かれるような思いをしなくちゃいけないんだろう。
近親相姦の事を、英語ではインセストと呼ぶらしい。
incestはinsane(狂気)とよく似ているな、と思った。
見た目も内容も。
日本でも海外でも、ずっと社会的タブーとされている行為だ。
でも、私はただ、人を好きになっただけなのに。
素敵な人を好きになるのに、罰が必要なのだろうか。
呼吸が乱れる。視界が、涙で滲んでいく。
「麻衣、二度とそんなこと言うな」
「え?」
私の崩れそうな心を繋ぎとめてくれたのは、兄の諭すような声だった。
「お前は俺にとって、かけがえのないただ一人の大事な妹だ。
お前が俺の事を好きになろうがそうでなかろうが、俺にとってお前が大切なのは変わらない」
だから、絶対にもう『俺が世界で一番大切だと思っている人』の悪口を言うんじゃない。
そこまで言い切って、兄は私の前で初めて――少しだけ泣いた。
これまでにないほどに強く、私の手が兄に握られているのがわかる。
兄の声も、手も、今まで見たことが無いくらいに震えていた。
兄は、ずっと私の前では気丈にふるまっていた。
両親が亡くなった後の葬式でも、親戚の家に引き取られた時も。
ずっと、私の側で泣かないでくれていた。
その兄が泣いている。私の事を、思って。
感動とか色んな感情をすっ飛ばして、驚きが来た。
兄はいつも私の憧れで、理想の存在だったから。
絶対に、私にも弱みを見せてくれなかった人だから。
「すまない、つい。苦しいのは、泣きたいのはお前の方なのに」
「私は、嬉しかったよ……一緒に、泣いてくれて」
苦しい時も、幸せな時も、二人でずっと分かち合って生きてきた。
私と兄は、文字通り血を分け合った半身に近かった、と思う。
体を半分にされるような痛み。
私のその感情も、この人は一緒に背負ってくれようとしているのだと、そう思った。
「世界の誰が、お前を罵っても。俺だけはお前を受け止めるよ。
だから、俺に全部話してくれ」
「……うん」
この人を、好きになって良かったと心から思った。
例え、世界の誰にも認められない恋であっても。
この人と一緒になる事が、できないとしても。
紅茶の香る部屋の中で、私たちは温かいパイを食べながら、色んな話をした。
いつから好きだったのか。
なぜ好きになったのか。
そもそもどこを好きになったのか、とか。
本人を目の前にして言うのは中々に恥ずかしい行為だったけど、兄は全部真剣に聞いてくれたから、少し話すのは楽になった。
兄には話したくないと思っていたことまで、全部話した後。
墓まで持っていくつもりだった秘密まで全部話した私は、兄の隣で横になった。
ずっと泣きはらしていたのもあって、眠気と疲れが来たのだ。
「お兄ちゃん、疲れたからちょっと寝てもいい?」
「いいぞ、ゆっくり休んでな」
そこには安心できる寝床があった。居場所があった。
大好きな人に守られているのだ、という幸福があった。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
兄に髪を撫でられながら、視界をゆっくり閉じる。
意識が無くなる寸前、なぜかたまらなく苦しそうな兄の表情を見た気がした。
しばらくして、私の涙も枯れた頃。
兄が、申し訳なさそうな顔で部屋に入ってきた。
その表情はさながら主人に叱られた犬のようで、少し気の毒になった。
昔から兄はお人よしが過ぎるくらい優しくて、それでいて真面目な人だ。
他人に興味が無くて、ずっと一人で遊びまわっていた私とは正反対の人。
――だからこそ、兄には嫌われたくなかった。
「どうしたの、お兄ちゃん」
私は今持てる全労力を使ってぎこちなく笑顔を作り、兄に応対した。
正直、自分がちゃんと表情を作れているか自信が無い。好きな人の前なのに。
「その、麻衣の事が心配だし、麻衣の気持ちが少しでも楽になればと思ってるから、ゆっくり話を聞きたいなと思ってきたんだ」
兄はそう言って、焼き立てのアップルパイと紅茶をテーブルに置いた。
茶葉のいい香りが部屋に広がり、私と兄の間の緊張感は少しだけ、ほぐれたような気がした。
私の好きな、アールグレイの紅茶。
ネット通販でダース単位で買い込んでくれているものだ。
アップルパイも、私が中学生だったころにいつも持たせてくれていた。
当時、兄はいつも過保護なくらいに心配性で、私の事を気にかけていたのを思い出す。
いつも兄はこうだった。
言葉で伝えるには不器用だから、行動で思いやりを伝えてくれる人。
……そういうところも、好きだった。
「麻衣。何でもいい。今思っている事を話してくれないか。
俺は決してお前の事を否定しないし、全部受け止めるから」
兄はそう言って、静かに私の手を握ってくれた。
あったかくて、ごつごつした手。
でもこの手の中には、私と同じ血が流れている。
「なんか、俺に出来ることはないか」
私は兄の事を近くでずっと見てきたからわかる。
今の兄は、私の事を憐れむ事も、同情する事もしていない。
ただ家族の一員として、心から自分事の様に心配してくれているのだ。
でも兄に全てを伝えた時、私は果ての無い奈落に落ちていくんじゃないかと思った。
不安だった。怖かった。震えが止まらなかった。
たとえ、大好きな人が隣にいてくれるとしても。
「お兄ちゃん、私、最低な女で、最悪な妹だから……お兄ちゃんに全部話したら、きっと嫌われるよ……」
唇を、血がにじむほど噛む。
何で、好きな人に思いを伝えるだけで、こんなに身を引き裂かれるような思いをしなくちゃいけないんだろう。
近親相姦の事を、英語ではインセストと呼ぶらしい。
incestはinsane(狂気)とよく似ているな、と思った。
見た目も内容も。
日本でも海外でも、ずっと社会的タブーとされている行為だ。
でも、私はただ、人を好きになっただけなのに。
素敵な人を好きになるのに、罰が必要なのだろうか。
呼吸が乱れる。視界が、涙で滲んでいく。
「麻衣、二度とそんなこと言うな」
「え?」
私の崩れそうな心を繋ぎとめてくれたのは、兄の諭すような声だった。
「お前は俺にとって、かけがえのないただ一人の大事な妹だ。
お前が俺の事を好きになろうがそうでなかろうが、俺にとってお前が大切なのは変わらない」
だから、絶対にもう『俺が世界で一番大切だと思っている人』の悪口を言うんじゃない。
そこまで言い切って、兄は私の前で初めて――少しだけ泣いた。
これまでにないほどに強く、私の手が兄に握られているのがわかる。
兄の声も、手も、今まで見たことが無いくらいに震えていた。
兄は、ずっと私の前では気丈にふるまっていた。
両親が亡くなった後の葬式でも、親戚の家に引き取られた時も。
ずっと、私の側で泣かないでくれていた。
その兄が泣いている。私の事を、思って。
感動とか色んな感情をすっ飛ばして、驚きが来た。
兄はいつも私の憧れで、理想の存在だったから。
絶対に、私にも弱みを見せてくれなかった人だから。
「すまない、つい。苦しいのは、泣きたいのはお前の方なのに」
「私は、嬉しかったよ……一緒に、泣いてくれて」
苦しい時も、幸せな時も、二人でずっと分かち合って生きてきた。
私と兄は、文字通り血を分け合った半身に近かった、と思う。
体を半分にされるような痛み。
私のその感情も、この人は一緒に背負ってくれようとしているのだと、そう思った。
「世界の誰が、お前を罵っても。俺だけはお前を受け止めるよ。
だから、俺に全部話してくれ」
「……うん」
この人を、好きになって良かったと心から思った。
例え、世界の誰にも認められない恋であっても。
この人と一緒になる事が、できないとしても。
紅茶の香る部屋の中で、私たちは温かいパイを食べながら、色んな話をした。
いつから好きだったのか。
なぜ好きになったのか。
そもそもどこを好きになったのか、とか。
本人を目の前にして言うのは中々に恥ずかしい行為だったけど、兄は全部真剣に聞いてくれたから、少し話すのは楽になった。
兄には話したくないと思っていたことまで、全部話した後。
墓まで持っていくつもりだった秘密まで全部話した私は、兄の隣で横になった。
ずっと泣きはらしていたのもあって、眠気と疲れが来たのだ。
「お兄ちゃん、疲れたからちょっと寝てもいい?」
「いいぞ、ゆっくり休んでな」
そこには安心できる寝床があった。居場所があった。
大好きな人に守られているのだ、という幸福があった。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ああ、おやすみ」
兄に髪を撫でられながら、視界をゆっくり閉じる。
意識が無くなる寸前、なぜかたまらなく苦しそうな兄の表情を見た気がした。
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