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しおりを挟む家から店までは、徒歩で十分程の距離にある。
ずらりと並んだ商店の軒並みの一つに、井之口堂と暖簾の掛かった瓦屋根の店がある。木造二階建てで二十坪ほどあり、ここら一帯では一際目立つ店構えだ。
喪中ということもあり、道は賑わっていても、ぴっちりと閉ざされている店の扉からは、出入りする者は誰もいない。
臨時休業の張り紙が張られた硝子戸を春信が開けると、中からは消えることのない甘い匂いが漂ってきた。
ほぼ毎日のように来ていたはずなのに、たった一日来ていないだけで、懐かしさが込み上げてくる。
いつもは誰かの声や作業する音がするのに、物音一つしなかった。様々な商品が並べられているはずの商品棚や硝子棚も、当たり前だが空っぽの状態だった。
「正月以来かもしれない。こんなに静かなのは」
春信はしみじみ呟く。
「そうだな。いつもこの店は繁盛していて、俺も昔はよく駆り出されたのを覚えてる」
懐かしそうに明臣が、店内を見渡す。
「繁盛してたのなんて、昔の話だよ。今じゃあ、客足が減ってきてる。変革の時代についていけないようだと、生き残れないのに」
春信は臍を噛む。昭蔵には何度となく訴えていた。このまま同じ事を続けていても、取り残されていくだけだと。だが、昭蔵は頑ななまでに、聞き入れようとはしてくれなかった。
「親父さんだって分かっているはずだ。ただ、今は素直になれないだけなんだろ」
明臣が励ますように、春信の肩を叩く。
二人で奥に進むと、そこは厨房と作業台が備え付けられた大きな部屋がある。奥の方には封がされた小豆と砂糖の袋が、山積みになっていた。
いつもならば大量の餡が煮られた鍋があるはずだが、今日は空っぽの状態で置かれている。二つ並んだ正方形の大きな作業台の上にも、今は何も置かれていない。
「盗み食いしてやろうと思ったけど、本当に何もないんだな」
明臣が本気とも嘘ともつかない口調で漏らす。
「僕が作った餡なら、家にあるけど」
家で練習の為に、春信が煮たやつだった。昭蔵が鍋を一瞥するだけで、手を付けなかった駄作でもある。
「なんだよ。それなら早く言えよ」
「でも、失敗作だから」
「何言ってんだ。お前が作ったって時点で、俺にとってはご馳走だ」
「焦がしてもか?」
「ああ、全部食ってやる」
「毒が入っててもか?」
「もちろんだ。本望な死に様だ」
明臣は腕を組み、胸を張る。
なんだか可笑しくて、こんな状況にも関わらず、春信は笑みを零さずにはいられなかった。
「俺はいつだって、お前の味方だ」
「馬鹿だ、明臣は」
春信は悪態をつく。でもそれが、照れ隠しであることは明臣にはお見通しなはずだ。
「馬鹿でいいさ。春信に言われたら、それも褒め言葉にしか聞こえない」
明臣が真顔で、春信に近づく。追い詰められた春信の背が机の縁に触れ、思わず後ろ手をつく。
「こんな時に」
「こんな時だからだろ」
明臣の顔が近づき、春信は受け入れるように目を閉じた。
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