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しおりを挟む家の玄関を開けて中に入ると、すでに夕飯の匂いが漂っていた。途端に僕のお腹の虫が鳴る。そういえば昼食を取っていなかったことに、今更ながら思い出したのだ。
「やっと帰って来た。早く手を洗って、食べちゃって。一を送ってかなきゃならないんだから」
忙しない母の声に追い立てられながら、僕は手洗いうがいをする。汗で湿っているマスクはゴミ箱に捨てた。
リビングに入ると、すでに弟の一が食事を始めていた。僕の気配に気づくと、一が箸を止める。
「おかえり、兄ちゃん」
「……ただいま」
弟の斜め前に座り、僕は箸を手に取る。今日の夕飯は生姜焼きだった。
「聞いてよ。今日さ、学校でさぁ――」
箸を振りながら、一が学校であった出来事を語り出す。僕は「うん」とか「そうなんだ」と相づちを打ちながら、箸を進める。
「でね、健太の奴、馬鹿だから先生に向かってさぁ――」
「ほら、話してないで早く食べてよ。間に合わなくなるでしょ」
しびれを切らした母が、荷物片手にリビングに顔を出す。
「分かってるよぉ」
そう返しながらも、親が立ち去った途端に「うるさいよね」と、僕に同意を求めてくる。
僕は「うん」とだけ返し、食器を重ねて立ち上がる。
「ねぇ、兄ちゃん」
僕は顔だけ振り返る。
「帰ったらさぁ、勉強教えてよ」
成績がやばいと嘆く一に「……起きてたら」と言って、僕はキッチンへと向かう。
食器を洗っていると、一も食べ終えたのか背後に立った。
「ねぇ、元気ないけど……大丈夫?」
そういう一こそ、今日はしつこいと僕は思っていた。
「別に……いつも通りだよ」
洗っとくからと言って、僕は一から食器を受け取る。
「ありがとう」と言って、一は笑顔を浮かべる。それから、「今度借りを返すよ」と言って呼んでいる母の元へと向かった。
出来た弟だと思う。僕の代わりに今では売れっ子の子役になっている。両親はさぞかしホッとしているだろう。僕の分まで弟が巻き返してくれたのだから。
一はきっと、そのことに気付いている。だから心の中で、可哀想な兄だと哀れんでいるはずだ。だからこうも、僕に構ってくるのだろう。でもそれは、成功した人間だからこそ出来る慈悲だ。敗北した僕に対し、弟は同情しているだけ。それは一種の優越感でもあり、偽善でしかない。
だから僕は弟が嫌いだった。
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