青空サークル

箕田 悠

文字の大きさ
上 下
8 / 67

8

しおりを挟む

 家の玄関を開けて中に入ると、すでに夕飯の匂いが漂っていた。途端に僕のお腹の虫が鳴る。そういえば昼食を取っていなかったことに、今更ながら思い出したのだ。
「やっと帰って来た。早く手を洗って、食べちゃって。トップを送ってかなきゃならないんだから」
 忙しない母の声に追い立てられながら、僕は手洗いうがいをする。汗で湿っているマスクはゴミ箱に捨てた。
 リビングに入ると、すでに弟の一が食事を始めていた。僕の気配に気づくと、一が箸を止める。
「おかえり、兄ちゃん」
「……ただいま」
 弟の斜め前に座り、僕は箸を手に取る。今日の夕飯は生姜焼きだった。
「聞いてよ。今日さ、学校でさぁ――」
 箸を振りながら、トップが学校であった出来事を語り出す。僕は「うん」とか「そうなんだ」と相づちを打ちながら、箸を進める。
「でね、健太の奴、馬鹿だから先生に向かってさぁ――」
「ほら、話してないで早く食べてよ。間に合わなくなるでしょ」
 しびれを切らした母が、荷物片手にリビングに顔を出す。
「分かってるよぉ」
 そう返しながらも、親が立ち去った途端に「うるさいよね」と、僕に同意を求めてくる。
 僕は「うん」とだけ返し、食器を重ねて立ち上がる。
「ねぇ、兄ちゃん」
 僕は顔だけ振り返る。
「帰ったらさぁ、勉強教えてよ」
 成績がやばいと嘆くトップに「……起きてたら」と言って、僕はキッチンへと向かう。
 食器を洗っていると、一も食べ終えたのか背後に立った。
「ねぇ、元気ないけど……大丈夫?」
 そういう一こそ、今日はしつこいと僕は思っていた。
「別に……いつも通りだよ」
 洗っとくからと言って、僕はトップから食器を受け取る。
「ありがとう」と言って、トップは笑顔を浮かべる。それから、「今度借りを返すよ」と言って呼んでいる母の元へと向かった。
 出来た弟だと思う。僕の代わりに今では売れっ子の子役になっている。両親はさぞかしホッとしているだろう。僕の分まで弟が巻き返してくれたのだから。
 トップはきっと、そのことに気付いている。だから心の中で、可哀想な兄だと哀れんでいるはずだ。だからこうも、僕に構ってくるのだろう。でもそれは、成功した人間だからこそ出来る慈悲だ。敗北した僕に対し、弟は同情しているだけ。それは一種の優越感でもあり、偽善でしかない。
 だから僕は弟が嫌いだった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

沈丁花禄郎でございます!

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,364pt お気に入り:1,474

才能だって、恋だって、自分が一番わからない

BL / 連載中 24h.ポイント:390pt お気に入り:13

チート鋼鉄令嬢は今日も手ガタく生き抜くつもりです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,590pt お気に入り:135

月が導く異世界道中

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:57,815pt お気に入り:53,902

【全話まとめ】意味が分かると怖い話【解説付き】

ホラー / 連載中 24h.ポイント:83,581pt お気に入り:650

死が見える…

ホラー / 完結 24h.ポイント:1,618pt お気に入り:2

処理中です...