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しおりを挟む「先生は凄いと思います。ファンの方、一人一人にきちんと向き合っていて。確かにその時間を執筆や取材に向けた方が良いと思われるかもしれませんけど」
何処か羨望を含んだ表情の安時に、語部は口を固く結んだ。
理解して欲しいだなんて思っていない。それでもそうやって肯定されてしまうと、どう反応して良いか分からなかった。
内心狼狽えていると、突然黎城が顔を上げてコクコクと頷き始めた。やっと見せた黎城の反応に、語部はますます動けなくなる。
「黎城先生もそう思われるんですか?」
やや興奮気味に安時が声を上げた。黎城はなおもコクコクと首を縦に動かしている。長い前髪が揺れ、ちらちらと眼鏡の縁が見え隠れしている。
「先生の作品好きなんですか?」
安時の質問に、黎城はコクコクと頷く。
「どの作品が一番好きなんですか?」
嬉々とした表情の安時の質問に、黎城の動きがピタリと止まる。口を開きかけて、また閉ざすを繰り返した。
「おい」
堪らず語部が声を上げる。何を言い出すのかと不安げな安時を無視して、語部は背広の内ポケットから手帳とペンを取り出す。
「喋りたくないのか、喋れないのかはどうでもいい」
語部は手帳とペンを押しつけるように黎城に差し出した。前髪に隠れて黎城の表情が分かりにくいが、口がうっすらと開いている。呆気にとられているようだった。
「喋んなくたって良い。でも紙になら書けんだろ」
黎城が話し出すのを待っていたら、答えは永遠に得られないように思えた。自分の作品のどれが良かったのか、さすがに気にならずにはいられない。
黎城は語部からその二つを受け取ると、少し震える手で手帳を開く。誰もが口を開けずに、固唾を呑んで見つめた。黎城の震える手が動き出す。
ミミズがぬたくったような文字が生まれ、目を眇めてやっと解読したのが『壇上』だった。
『壇上』は語部のデビュー作だ。吃音である主人公の少年が、周囲からのからかいにも負けずに劇で主役を勝ち取る話だ。
「やだわ、黎城先生ったら。書道習っていたんでしょ」
高松が黎城の字を見て、戸惑ったように言った。
「尊敬する先生を前にしたら、緊張もしますよ。僕も最初はそうでしたから」
安時がフォローするように横から言った。
盛り上がる三人を尻目に、語部は口を閉ざしていた。早く帰りたいという気持ちはあった。それでも立ち去れなかったのは、自分のファンだという男が目の前にいたからだった。
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