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しおりを挟む束になったファンレターを置いて、安時は帰っていった。
書き終えたファンレターの返事を安時に渡した際には、「きっと楽しみにしていると思いますよ」と言って嬉しそうに笑ってそれを受け取った。いつもだったらむず痒い気持ちになったが、今はそんな気持ちにはなれなかった。
テーブルに残された食器を片付けつつ、語部はかつてないほどに落ち込んでいた。まさか神崎が、自分の目的の為に原稿を蹴っていたとは——さすがに想像だにしていなかった。単に自分の実力が及ばないのを神崎が大幅に補っていただけだと思っていたからだ。
確かに自分の書きたい物じゃなくなったことに、自暴自棄になってしまったこともある。だが、今ではそれを後悔している部分もあった。六年もこの世界に身を浸し、本は一人じゃ作れないということが身に沁みて分かったからだ。
編集者、営業、デザイナー、印刷業者、書店――自分の名前で世に出しているといっても、個人の失態で多くの人に迷惑がかかってしまう。芥川賞授賞式の失態で、そのことをいやというほど思い知らされていた。
不意にスマホが鳴りだし、語部は思考を打ち切ってデスクに近づいた。
安時が何か言い忘れたりでもしたのかと思ったが、スマホの画面に表示されていたのは知らない番号からだった。
訝しく思いつつも、語部は電話に出る。
もしもし、と言うも返答がない。いたずらかと思い至り、語部は少し語気を荒げて「誰だ」と問いかける。それでも相手は無言だった。語部は苛ただしげに通話を切った。
いたずら電話にしてはきちんと携帯の通知番号なのが疑問だったが、相手と会話にならない以上はどうすることもできない。
スマホをデスクに戻そうとしたところで、再びスマホが着信を告げる。さっきと同じ番号だった。もしかしたら電波が悪かったのかもしれない。そう思い、語部は電話に出た。
「はい……」
さっきと同様に名乗らなかった。
「——さ……ん」
僅かに声が聞こえるも、何を言ってるのか聞き取れない囁くような声だった。
「誰だ?」
スマホに耳を押しつけ、必死に声の主を探ろうと試みる。ぼそぼそと囁くような声に、気味の悪さを感じた。
「聞こえない。はっきり喋れ」
「——そとに」
「外?」
聞き返すと「でて——ください」と聞こえ電話は切られた。
不気味なやりとりを終え、語部は眉を寄せる。外に出ろというようなことだけは分かった。
語部は確かめようとしてベランダに出る。
五階であるこの場所からは結構な高さがあり、真下を見下ろすために手すりに掴まりつつ、身体を前のめりに倒すしかない。語部はしっかりと手すりを握ると、上体を前に出す。
見下ろした先には、男が一人立っていた。
男はやや猫背気味に身体を丸め、地面を見つめているようだった。脇には何か茶色い物を抱えている。こちらを見上げるでもなく、微動だにしない。不審者のような男の姿に、ふと安時が防犯うんぬん言っていたことを思い出す。
語部に用があるなら、マンション内に堂々と立ち入り語部の部屋のインターホンを押せば良い。そうしないのは、語部の部屋がどれなのか分からないからかもしれない。だがそうだとしても、部屋の番号なら集合ポストを見れば良いだけの話だ。それすらもしないのは、もしかしたら語部の名すら知らないのかもしれなかった。
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