作家は二度、炎上する

箕田 はる

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 ぽつりと頭上に何か当たった気がして、語部は空を見上げた。灰色の濁った空からぽつりぽつりと滴が落ちてくる。慌てて頭を引っ込めた。男の事は気になるが、雨に濡れ続けるわけにはいかない。
 次第に雨の土臭い匂いが漂い、物にぶつかる雨音が激しさを増した。男はどうしているのか気になるが、この中を立ち尽くすはずもないと語部はベランダから引き上げる。
 ふと、あの男は傘を持っていなかったかもしれないと気づく。気味が悪いが、手に何か持っていたところを見ると、誰かに届け物をしにきたのかもしれない。その前にあった電話からして、もしかしたら自分宛ではないかと考えた。
 語部は玄関に向かい、ビニール傘を手にした。
 靴箱に下げたビニール傘は増える一方で処分に困っていた。だったらあげた方がいい。それに襲われそうになったら傘で応戦することもできるはずだ。
 語部は共有廊下に出て、エレベーターで一階に降りた。集合ポストのあるエントランス部分に出るも人の姿は見当たらない。外に出るドアの向こう側には、雨に煙った道路とここより価格の高いマンションが見えるだけだった。
 確認の為にドアを出て、左右を見渡した。車が何台か行き交うだけで人の姿はなかった。 語部が躊躇している間に、この雨の中を立ち去ったのだろ。もしかしたら近くのコンビニにでも駆け込んだのかもしれない。とんだ無駄足を踏んだと、語部は舌打ちした。
 部屋に戻ろうとしたところで、ポストの口からはみ出た茶色の封筒が目にとまる。
 さっきの男の持っていた物を思い出し、語部はそちらに足を向けた。自分の部屋のポストに入れられた茶色の大判サイズの封筒は、手にするとずっしりとした重みがあった。
 表と裏を検めてみても、宛先も差出人も書かれてはいない。郵便物じゃないということは、さっきの男がいれたに違いなかった。
 語部は少し不安に駆られつつも、中身を見ようと封筒の口に触れる。糊付けはされておらず、中を覗くと厚さが十センチほどの白い紙の束が入っていた。
 とりあえず危険物じゃないとわかり、語部は肩の力を抜く。取り出してみるとダブルクリップで閉じられている紙の束以外には、何も入ってはいない。
 紙面には縦書きでワープロ打ちされた文字が並んでいた。頻繁に目にするスタイルに、これが小説であることに気づく。きちんと題がつけられ「転落の人」と書かれていた。
 もしかしたら小説家志望の人が、作家に小説を見せたかったのかもしれない。今ではあまり見ない光景だが、昔は小説家の元に小説を送る人間は多かったと聞いたことがあった。
 本当の目的は分からないものの、自分のポストに入っていたということは自分宛と捉えて良いはずだ。どこで住所や電話番号を知ったか分からないが、危害を加えられたわけではない。脅迫文だったら、警察に届ければいい。それにセキュリティを甘く見た自分にも非がある。語部はそう結論付けると、封筒を持ったまま部屋へと戻った。
 全ての原稿を読み終えると、語部は椅子の背に凭れかかった。気づけばすっかり部屋は暗くなっており、デスクスタンドの心許ない明かりが周囲を照らしていた。
 語部は険しい顔で、目の前の紙の束を睨んだ。
 芸能人である青年が、マネージャーの数々の嫌がらせによって、芸能界を去ってしまうという何とも救いのない話だった。ストーリーはありきたりだが、中だるみしない話の展開や文章のテンポ、描写力はプロにも劣らない。ただ、主人公が没落していく一方なのがどうにも納得がいかなかった。
 なんとかして、足掻けないものなのか。誰も助けてはくれないのか。そんな風に考えてから、語部は苦笑した。
 まんまと作者の手中にはまっていた。感情移入した、ということはその作品を少なからずは面白いと思っているということだ。これを書いたのが誰だか分からなかったが、素直に凄いと思った。
 語部は近くにあった裏紙の束を手元に引き寄せる。
 自分も負けてはいられない。世の中にはこうした原石がいくつも転がっているのだ。いつ輝くともしれず、うかうかしていたらあっという間に磨かれて輝きを放つかもしれない。そういった相手が増えれば増えるほど、自分はどんどん下層部に追いやられ作品が世に出る機会すらなくなるだろう。
 今度こそ自分の力で日本最高峰の文学賞を手にしたい。そして自分が信じてきた文学を世に証明したい。その為にはまずは書かなければ意味がない。小説家としての熱意に火が灯る。
 語部は顔も知らない相手に心の中で感謝した。
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