作家は二度、炎上する

箕田 はる

文字の大きさ
42 / 63

42

しおりを挟む

「黎城先生か。語部だが、さっき渡した原稿を返して欲しいんだが」
 返事は聞こえてはこない。それでも語部は続けて「実は間違えてデータを消してしまったんだ」と言った。
『えっ……』
 聞き間違いかと思うぐらいの小さな声がした。さすがの黎城も驚きを隠せなかったのだろう。
「だから近々、原稿を渡してもらいたい。都合の良いときにでもポストに入れておいてくれ」
 最後に「頼んだ」と言って、語部は通話を切る。
「黎城先生はなんと?」
 落ち着きなくウロウロしていた安時が詰め寄ってくる。
「驚いていた。まぁ、普通の反応だな」
 取りあえず最悪な事態を逃れたことで、少しだけ気分が落ち着いていた。スマホで時間を確認すると、すでに十九時を回っていた。
「お前もそろそろ帰った方がいい。後はこちらでなんとかするから」
「……でも」
「いいから帰れ」
 半ば強引に玄関まで追い立てる。不服そうな顔をしながらも、安時が革靴に足を入れる。
「でも先生……一つだけ言わせてください」
「なんだ?」
「黎城先生がコピーを捨てたら、もうお仕舞いですよ」
 そう言い残して、安時は帰って行く。
 語部はしばらく立ち尽くしてから、部屋へと戻る。テーブルに残されていた、口がつけられていないケーキとコーヒーを黙々と片付ける。
 安時には人を無闇に疑うなと言っていたが、心の中では二人を疑ってしまう自分もいた。
 自分が間違えて消したのならば、ゴミ箱フォルダーに残っているはずだ。故意に消さない限りは――
 キッチンの食器棚にもたれ掛かり、語部は手づかみでショートケーキを頬張った。
「あめぇな」
 眉間に深い皺が刻まれる。噛む度にいやと言うほどに存在を証明する甘さ。時折顔を見せる苺の酸味に助けられながら、なんとか咀嚼する。すでに冷たくなっているコーヒーでそれを流し込んでいく。
 犯人の確率が高いのは安時で間違いない。だが、担当者として、それをする動機が分からなかった。一方で黎城だとしたら、いつそれが出来たかが問題だ。自分が目を離したのはコーヒーを入れた時と、安時の電話に出た時だけだ。カウンターキッチンということもあって、顔を上げればリビングが見渡せる。黎城の姿が見えなくなれば、必ず気づくはずだ。
 それにもしかすると、データを消したのではなく、他のフォルダーに紛れている可能性もある。あの場では混乱していて、見落としている可能性もあるのだ。フォルダー検索をかけてみれば、案外すぐ見つかるかもしれない。
 コーヒーを飲み干し、食器を片付けると早速書斎へと向かう。
 だが、結果は振るわなかった。やはりデータはどこにも残されていない。だが、疑っていたらきりがない。何より動機も証拠も見つからないのだから、これ以上詮索するのは互いに疑心暗鬼になるだけだろう。
「このパソコンも古いしな」
 最終的にはそれで片付けることにした。奇しくも黎城が原稿を持っているのだから、これ以上は深く考えない方がいいはずだ。
 胸中に漂うモヤを振り払っていると、インターホンが鳴り響く。来客の多さに辟易しながらも重い腰を上げた。
 玄関の扉を開けると、つい数時間前と同じ様子で立つ黎城がいた。
 驚く語部に、黎城が紙の束を差し出してくる。
「わざわざ、悪かったな」
 原稿を受け取りながらそう言うと、黎城が首を横に振った。
「なぜだか分からないが、原稿が消えてしまったんだ。黎城先生が持っててくれて、助かった」
 黎城が激しく首を横に振る。それから、お辞儀をすると、そそくさと帰っていってしまう。どこか逃げるように帰って行く姿に、語部は疑問を抱きながらも、リビングへと戻った。
 原稿が手元に戻ったことで、早速作業に取りかかることが出来る。すぐに持ってきてくれた黎城に感謝しつつ、語部はパソコンと向き合う。
 紙と画面を交互に見ながら文字を打ち込んでいると誤字脱字も見つかった。同時に推敲作業も出来て、その点では救われたのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

恋い焦がれて

さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。 最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。 必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。 だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。 そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。 さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。 ※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です ※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません) ※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。 https://twitter.com/SATORYO_HOME

大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~

菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。 だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。 蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。 実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。

紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀! 片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。 貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。 しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。 利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。 二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー? 曄琳の運命やいかに!

『後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました』

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

【完結】“熟年恋愛”物語

山田森湖
恋愛
妻を亡くし、独りで過ごす日々に慣れつつあった 圭介(56)。 子育てを終え、長く封じ込めていた“自分の時間”をようやく取り戻した 佳奈美(54)。 どちらも、恋を求めていたわけではない。 ただ——「誰かと話したい」「同じ時間を共有したい」、 そんな小さな願いが胸に生まれた夜。 ふたりは、50代以上限定の交流イベント“シングルナイト”で出会う。 最初の一言は、たった「こんばんは」。 それだけなのに、どこか懐かしいような安心感が、お互いの心に灯った。 週末の夜に交わした小さな会話は、 やがて食事の誘いへ、 そして“誰にも言えない本音”を語り合える関係へと変わっていく。 過去の傷、家族の距離、仕事を終えた後の空虚—— 人生の後半戦だからこそ抱える孤独や不安を共有しながら、 ふたりはゆっくりと心の距離を縮めていく。 恋に臆病になった大人たちが、 無理をせず、飾らず、素のままの自分で惹かれ合う—— そんな“優しい恋”の物語。 もう恋なんてしないと思っていた。 でも、あの夜、確かに何かが始まった。

処理中です...