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しおりを挟む『では、今年の候補作ですが――』
司会の女性が陽気な声を上げる。女性アナウンサーが後ろのモニターを振り返り、『こちらです』と両手で示した。
「え……」
語部は絶句する。そこには『息子の標』が映し出されていた。
『今年里垣文学賞で大賞を取られた作品で、なんと今回は芥川賞候補作にも選ばれたということで、今年最もホッとな作家さんとなりましたね』
つい昨日会ったばかりに、動揺も大きくなる。候補作となれば、一ヶ月前ぐらいから連絡が来るはずだ。黎城は既に候補作になることは知っていたはずだが、そのことを口にしてはいなかった。口止めされていた可能性もあるだけに、黎城を責める気にはなれない。それに彼が遠慮していた可能性だって否めなかった。
「彼は天才側の人間だったんだな」
嬉しくも寂しい気持ちで、語部は画面を見つめる。この世の中にはなるべくして、作家になる人間もいると語部は思っている。その一人が黎城だったのだ。
他の候補作も発表されていたが、番組では黎城の話題で持ちきりだった。自分の事を語らず……というよりも、口を開かない、筆談作家としての話題性は高いようだ。作品だけでなく、その人物の個性も重視されるからこそ、語部は犯した失態の代償は大きかったのかもしれない。
芥川賞に関する話題が終わり、次のコーナーへと移る。人気コーナー「うちの子、ペットたち」になり、幼い子供や犬、猫などの動物たちの写真が次々と映し出されていく。見るともなしに眺めているとインターホンが鳴る。
時計を見ると十二時十分。少し早いが安時が来たようだった。
玄関のドアを開けると、スーツの上に厚手のコートを羽織り、さらに何重にもマフラーを巻いている安時が立っていた。鼻の頭が赤く、寒いからか身を揺すっていた。
「もうお昼なのに寒すぎますよ。今年の寒波は強敵ですね」
リビングに入りながら、安時が時候に文句を垂れる。ソファに腰を下ろすと、「暖かい。快適ですね」と、マフラーを外していた。
「そういえばさっき、テレビで黎城先生が芥川賞候補になったと言っていた」
お望み通りに良い豆を挽きながら、語部が切り出す。既に知っているはずだが、話題にせずにはいられなかった。
「ええ、今日発表でしたからね。ところで先生は、もう大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
ミルのハンドルを回しながら、安時の方に顔を向ける。安時がじっと語部の方を見ていた。
「芥川賞の場であんなことになって、後悔してるんじゃないかと思っていたものですから」
「後悔はしてる。だけど、あのときはそうする以外に方法が分からなかった。だからこそ、巻き返そうとして、今もこうして小説家として足掻いている」
もう二度と表舞台には立てないだろうが、それでも細々とでも作家として生きていきたかったのだ。挽いた豆からはいつも以上に、芳醇さの増した香りが漂っている。それをフィルターに移し入れ、お湯を注いでいく。ポコポコとガスが抜けていく時が、語部が一番好きな時だった。まるで呼吸しているようで、コーヒーの息づかいのようだからだ。
コーヒーを入れ終え、ケーキと一緒にテーブルへと運ぶ。
安時が印刷していた原稿をソファにどけると、「いつもすみません」と言いながらまずはケーキを受け取った。そのあとソーサーに乗ったコーヒーカップを受け取る。
「あっ」
テーブルに置こうとおろしかけた時、ソーサーから滑り落ちたカップが横倒れにテーブルの上を転がっていく。勢いよく飛び散ったコーヒーが二つのケーキに覆い被さるようにかかった。
「大丈夫か! 火傷してないか?」
いくらコーヒーの温度が熱湯ではないとはいえ、九十度は超えている。語部は急いでタオルを水で濡らし、安時に手渡す。
「僕は大丈夫ですが……せっかくのケーキが……」
今にも泣き出しそうな安時に「気にするな」と言って、テーブルに飛び散ったコーヒーを拭き取っていく。よほどショックだったのか、安時は「ああ、ケーキが……」と呆然としている。
「買って来てやるから、待ってろ」
汚れたものを片付け、語部は財布を手に取る。
「いえ、そんないいですよ!」
安時が止めようとして立ち上がる。それを無視して、語部は玄関へと向かう。後ろから安時が何かを言った気がしたが、閉じたドアにかき消されて聞こえなかった。
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