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第一部・アンコールワットへの道
9・最初の戦い(バンテアイ・チュマール)
しおりを挟む(写真は、バンテアイ・チュマール遺跡のイメージ)
「ところで」と一彦はプラタナに問う、その小さな娘に持って来てもらったテニスラケットを振りながら。「ここの場所の名前は?」
遺跡の中庭、石造りの参道を、外界への門に向かって歩んでいた。
小猿のアスカは、一彦の肩で「キチュキチュ」呟きながら毛づくろいしている。
プラタナは、一彦の三歩あとに従っていた。
口調は生意気に利発だが、そういうとこは妙に心得ている。
そんなガラではないが、一彦としても、美少女を連れ歩くのは悪い気はしない。
「ここは<バンテアイ・チュマール>、数百年前に、クメールの偉大な建寺王が作ったの」
プラタナは、わりと最初から敬語を使わない。
一彦は、それを、長いつきあいを見越しての、堅苦しさを廃しているのだと思って、好意的に捉えている。
「ケンジ王・・・、建寺王、か」
すぐに、アスカの力で増幅された翻訳的な力で、一彦の心に、プラタナの現地語が日本語で浮かんでくる。
「そう、数百の建造物を作った。ここはその中でも大きい物の一つ。半径三百メートルの程の敷地の中では、一彦の出現によって停戦した合戦、それさえも行われるほどよ。この遺跡を囲んでいるお濠を含めたら、3平方キロメートルになる」
・・・3平方キロメートル・・・、一彦にはにわかに想像がつかなかった。
「まあ、ドでかいっちゅうことだな^^」
「はぁ・・・」とため息をつくプラタナ。
「ここはお寺なのかい? かなり荒れ果てて、遺跡と化しているね。奥に見える、あの崩れた巨大石塔には、あれ、顔が彫られているよね、すっごいデザインだ!」
「あれは、観世音菩薩のお顔よ」
「仏様か」
石造りは崩れるに任せ、木々が邸内に無造作に伸び、地面には草が繁茂し、石畳の間からも生えていた。
「建寺王が、自分の子供のお墓として建立したの。建寺王である<ジャヤヴァルマン7世>は、現世での隣国との戦いとは別に、聖界での阿修羅との闘いで武勇をあげたのだけど、辛うじての勝利の代償として、後年、子供の魂が忌みられてしまった」
・・・聖界・・・、・・・忌みられ・・・。
訳の効かない言葉もあるのだな。
「聖界とは、神々の住んでいる世界。人間の世界と並行して存在していると言うわ。私、知ってるんだけど、日本も、神様は沢山いるんでしょ?」
「ああ、八百万の神様ね・・・、イエス様やサンタさんも、多分、それに組み込まれている」
「このクメールもそうよ。西洋の国は、神様は一人しかいないみたい、変だよね。ここには、インドの神様とクメールの土地の精霊が沢山いる。インドの神様の菩薩やシヴァ神の力が強いと言われているけど、特にイザコザはないみたい」
「その聖界には、人間は行けないんだね?」
「建寺王は行ったと言われているわ。これまで、何人もの人が行ってると聞くわ」
「ふーん」
「ただ」とプラタナは、なんか複雑な表情を浮かべて言った。「聖界から溢れてくるものがある」
「溢れてくる・・・?」
プラタナは立ち止まり、一彦の肩を指差した。
そこには、「キチュ?」と首を傾げる小猿のアスカ。
「そのアシュカも、聖界から溢れて落ちてきた存在。ガルーダのチュアンもそう。そうした精霊動物だけでなく、神々の能力も、この世界に溢れてくる」
「それは・・・、俺とプラタナが、言葉は違うけど、こうして話せているのも、神々の能力の効力なんだよね?」
「そう。それだけでなく、能力の種類がいっぱいあるのだけど」
「もしかして、プラタナ、君も頭の回転が良いようだけど、神々の能力を持っているのかい?」
「いいえ、残念ながら、私にはないみたい・・・。そう、私はただの、そう秀才よ^^;」
神々の能力に恵まれなかった、その劣等感が、先ほどの、複雑な表情、憧れと悔しさの入り混じった表情の意味か・・・。
「いや、その頭の良さは、何物にも代えがたい強烈な武器だと思うよ」
「タハハ、そっかな?」
プラタナは頭をカリカリとかいた。
可愛い・・・。
石畳を数百メートルくらい進み、外壁に至った。
4メートル幅、高さ6メートルほどの門柱があり、その向こうには象たちが間近に見えた。
「おお!」と一彦は、石の仕切りを飛び越えて、外界に出ようとした。
一歩を踏みしめたら、そこは外界のはずだった。
が、地面がなかった。
何やら、コールタールのような漆黒の泥が、地面に水たまりのように広がっていて、一彦の右足がズブズブとのみ込まれた。
底がない・・・!
「ななな、なんだ、これ・・・?」
膝までのみ込まれ、身体全体がそこに埋没しそうに倒れ込みつつあった。
外にいた象たちは、門の外の地面に広がった異変に暴れはじめ、<髪飾族>の象使いたちが慌てふためいていた。
倒れ行く一彦、・・・と、その左手が掴まれた。
両手で必死で掴むプラタナ。
小さい少女の力では、両手でも心もとない、ズルズルと沈みゆく一彦。
「アユタヤの神能力者の攻撃よ!!!」
「えーっ!!」
意味が分からなかった。
アスカは、危機を察知し逃避、石壁に飛び移った!
攻撃つったら、剣やこん棒じゃないのかよ、こんな、こんな落とし穴に引き込むような攻撃つって!!
「こ、これは、ブラフマーの能力の一つ、こ、混沌の海のナラ・・・」
バターンと倒れるように、3メートル半径の<混沌の海>に沈む一彦。
かろうじて、左手だけはプラタナに掴まれ、漆黒の水の上にある。
「う~っ!」
必死で引っ張り返すプラタナだが、着実に引き込まれていく。
水中の一彦の口や鼻からは、粘度の高い液体が流れ込んでいき、ゴボゴボと溺れさせる。
だ、誰か・・・?
と、プラタナは周囲を見渡すけど、象使い達は暴れだした象を抑えるのに懸命で、こちらには気が向いていない。
バンテアイ・チュマールの前の広場には、子供たちがいて、数人の子供たちがこちらに向かっているが、神能力の前には、いかほどの助けになろうか?
確かに、一彦の持つポテンシャルは、合戦を左右するものでもあろう。
だからと言って、いきなり、ハイレベルの創造神ブラフマーの能力者を寄越すとは・・・ッ!
アユタヤ軍に完全に先手を打たれたと言えた。
「くーっ!」
プラタナは、一彦の左手を固く片手で握り、もう一方の手を仕切り石にかけた。
全くこちらに引っ張れなかったけど、どうにか沈みゆくのは止まった。
が、このままでは、一彦は溺れ死ぬ。
水面には大きな泡がゴボゴボと浮かんでいた。
・・・しかし、こんなハイレベルの神能力者が、都合よく、この戦場にいたとは思えない・・・。
複数の虚弱ブラフマーの神能力者が、この近くに集まって、力をあわせて、大きな能力を使用していると、プラタナは思った。
が、それが分かったからと言って、どうなるものでもない。
そこへ、3人の幼女がやって来た。
<髪飾り族>の幼女たちが言った。
「とりいそぎ、この凶事を止めますです!」
「止めますです!」
「止めますです!」
そして、3人は、<混沌の海>を囲んで、手を合わせ頭を垂れて祈った。
3人の幼女の力は、女神カーリーの、時間の神能力であった。
虚弱な神能力者の3人だったが、小さな<混沌の海>の時間を凍結することぐらいは出来た。
虚弱神能力者集団vs虚弱神能力幼女集団
一彦は沈んだままだったが、その生命時間も止まった。
これ以上、溺れることはない。
死への時間が停止した。
「ありがとう、おチビちゃんたち、ちょっと、そのまま頑張ってて!」
プラタナは、両手を離した。
そして、迷わず、幼女の頭から髪飾りを取った。
その髪飾りは竹で出来ていた。
中が中空であった。
プラタナは<混沌の海>を掘った。
時間は止まっているけど、物体がカチコチなわけではなかった。
ゼリーみたいな液体をかき分けるプラタナ、ついに一彦の顔面まで掘った!
肌や衣服には固着しない、ペラっと剥けるライプの液状物質であった。
そして、その口に竹を差す。
竹をストロー代わりに吸うプラタナ!
口の中に、一彦の口や咽喉の中に吸い込まれていたコールタールのような液体が広がる。
「マズっ!!」と、プラタナは「ぷはーっ!」と吐く。
そして、また吸う。
吐く。
何度も繰り返し、吸うもの・吐くものがなくなって、今度はプラタナ、思いっきり、一彦の肺に空気を送り込む。
大きく三度、空気を送り込む。
と、一彦の顔が痙攣し、同時に、両方の鼻の穴から、ブシューッと黒い液体が吐き出された。
そして、叫んだ。
「はぁあああ、俺、死ぬかと思ったぁ!」
一彦の両眼からは情けなくも涙が溢れていた。
息も、この上なく荒い。
「まだ、まだよ! 安心できないわ。能力者が近くにいる」
プラタナは立ち上がり、遺跡を背に、前面180度の周囲に広がる林を左から右に注視した。
3人の幼女は祈りを続けている。
<混沌の海>に沈んでいて、底に掘られたゼリー状の黒い穴の中で、顔だけを出して泣いている一彦は、潤んだ視界に見えるプラタナに「なんて頼りになる娘なんだ・・・」と思った・・・。
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