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第44夜・『姪っ子、オーストリーでの恐怖体験』
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姪っ子が半月ほどの海外移動教室から帰ってきた。
中学のときは、イギリスの宿舎に二週間押し込められたそうだが、高校になってからの旅行は、ドイツ・フランス・オーストリア・スイスと移動する豪勢な旅立ったようだ。
姪っ子が帰国し、うちに来たとき、私はちょうど部屋で『新・耳袋』を読んでいた。
この、ささやかな怪異譚を集めた本は私のお気に入りだ。
因縁の分からないシュールな話が私は大好きだ。
私自身は心霊体験と無縁だが、二つばかし、不思議な記憶がある。
…4巻、私の好きな話「山の牧場」収録
①・高校のときに、サマーランドでバイトしていたのだが、夜中の12時頃、疲れて帰宅していたら、帰宅中の記憶が全くないのに、いつの間にやら家に着いていたときがあった。
②・それから、小学校の低学年の頃、私が畑で一人でボールを上に投げて遊んでいたら、知らないおばあさんが来て、「野球をやろう! 私は孫とやっていた」と言い、私とサシで野球をやったのだ。
その野球が変で、おばあさんは打つと、一塁に走り、そして、ホームベースに戻るのだ。
三角ベースならぬ、往復ベースだ。
今考えると、一対一での野球なので、スペースの簡略化なのだと分かるが、その瞬間は、おばあさんが何の説明もしないで、一塁から本塁に戻るので戸惑った記憶がある。
で、9回まではやらなかったが、少なくとも、5,6回まではやり遂げたのだった。
おばあさんは、去っていった。
不思議なのは、野球をはじめたのが夕方で、そこまでやれる時間はなかったと思うのだが、たっぷりとやれたということだ。
そして、私の住んでいるところは、古くから住んでいる人には「下村」と呼ばれる坂の下の小さな盆地上の土地で、当時、そのおばあさんのような知らない人が来にくい場所でもあった。
何よりも、おばあさんが、体を機敏に動かして、私と野球をやったのが、子供心に違和感があった。
・・・で、そんな話を姪にすると、姪がオーストリアのホテルであった「耳袋」体験を語り始めた。
姪は、オーストリアのホテルでは、5Fに部屋があったそうだ。
この、5階は、日本で言うところの6階にあたる。
なぜかと言うと、こちらの地上階はグランドフロアー(GF)であり、2階からカウントが「1F」と始まるからだ。
ここでは、地上階は「E階」と呼ばれていたそうだ。
で、自分の階から、ホテルの外に出ようと、姪と友人はエレベーターを待っていたのだそうだ。
しかし、エレベーターが遅い。
姪と友人は二人で、非常階段から下りることにしたそうだ。
扉を開けて、階段をコツコツと下りていく。
しかし、「E階」と思われるところに来ても、「E階」がなく、「Z階」があったそうだ。
姪っ子は、試しにもうちょい下に階段を降りたそうだが、そこには、長く使われていないような頑丈な扉があり、断念し、「Z階」に入った。
そこには通路があったが、地上階ではないようで、二人は恐々と進んだ。
開かれた部屋があった。
リネン室の様でもあったが、広い部屋にベッドがたくさん並べられていて、でも、人は全くいなくて、姪は今回の移動教室の課外授業でナチスドイツの歴史を聞かされてきたので、野戦病院でも見たかのようにもやもやした気分が心に満ちてきたそうだ。
もう少し先に進むと電気の消えた部屋があった。
二人でそこを覗くと、暗闇の中、向かいの壁に、暗闇よりももっと黒い染みみたいのが見えたので、もう二人して、「ギャーッ!!」と5階の自室まで逃げ帰ってきたのだそうだ。
後から、他の友人と話したら、非常階段を下ると、普通にE階だよと言われ、姪は、怖くなって、もうその事を考えるのはやめたのだそうだ。
・・・(2010/06/06)
中学のときは、イギリスの宿舎に二週間押し込められたそうだが、高校になってからの旅行は、ドイツ・フランス・オーストリア・スイスと移動する豪勢な旅立ったようだ。
姪っ子が帰国し、うちに来たとき、私はちょうど部屋で『新・耳袋』を読んでいた。
この、ささやかな怪異譚を集めた本は私のお気に入りだ。
因縁の分からないシュールな話が私は大好きだ。
私自身は心霊体験と無縁だが、二つばかし、不思議な記憶がある。
…4巻、私の好きな話「山の牧場」収録
①・高校のときに、サマーランドでバイトしていたのだが、夜中の12時頃、疲れて帰宅していたら、帰宅中の記憶が全くないのに、いつの間にやら家に着いていたときがあった。
②・それから、小学校の低学年の頃、私が畑で一人でボールを上に投げて遊んでいたら、知らないおばあさんが来て、「野球をやろう! 私は孫とやっていた」と言い、私とサシで野球をやったのだ。
その野球が変で、おばあさんは打つと、一塁に走り、そして、ホームベースに戻るのだ。
三角ベースならぬ、往復ベースだ。
今考えると、一対一での野球なので、スペースの簡略化なのだと分かるが、その瞬間は、おばあさんが何の説明もしないで、一塁から本塁に戻るので戸惑った記憶がある。
で、9回まではやらなかったが、少なくとも、5,6回まではやり遂げたのだった。
おばあさんは、去っていった。
不思議なのは、野球をはじめたのが夕方で、そこまでやれる時間はなかったと思うのだが、たっぷりとやれたということだ。
そして、私の住んでいるところは、古くから住んでいる人には「下村」と呼ばれる坂の下の小さな盆地上の土地で、当時、そのおばあさんのような知らない人が来にくい場所でもあった。
何よりも、おばあさんが、体を機敏に動かして、私と野球をやったのが、子供心に違和感があった。
・・・で、そんな話を姪にすると、姪がオーストリアのホテルであった「耳袋」体験を語り始めた。
姪は、オーストリアのホテルでは、5Fに部屋があったそうだ。
この、5階は、日本で言うところの6階にあたる。
なぜかと言うと、こちらの地上階はグランドフロアー(GF)であり、2階からカウントが「1F」と始まるからだ。
ここでは、地上階は「E階」と呼ばれていたそうだ。
で、自分の階から、ホテルの外に出ようと、姪と友人はエレベーターを待っていたのだそうだ。
しかし、エレベーターが遅い。
姪と友人は二人で、非常階段から下りることにしたそうだ。
扉を開けて、階段をコツコツと下りていく。
しかし、「E階」と思われるところに来ても、「E階」がなく、「Z階」があったそうだ。
姪っ子は、試しにもうちょい下に階段を降りたそうだが、そこには、長く使われていないような頑丈な扉があり、断念し、「Z階」に入った。
そこには通路があったが、地上階ではないようで、二人は恐々と進んだ。
開かれた部屋があった。
リネン室の様でもあったが、広い部屋にベッドがたくさん並べられていて、でも、人は全くいなくて、姪は今回の移動教室の課外授業でナチスドイツの歴史を聞かされてきたので、野戦病院でも見たかのようにもやもやした気分が心に満ちてきたそうだ。
もう少し先に進むと電気の消えた部屋があった。
二人でそこを覗くと、暗闇の中、向かいの壁に、暗闇よりももっと黒い染みみたいのが見えたので、もう二人して、「ギャーッ!!」と5階の自室まで逃げ帰ってきたのだそうだ。
後から、他の友人と話したら、非常階段を下ると、普通にE階だよと言われ、姪は、怖くなって、もうその事を考えるのはやめたのだそうだ。
・・・(2010/06/06)
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