雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah

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1巻

1-2

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 陛下も宰相も、今まできつねの獣人は見たことがないらしい。わざわざ森の中の集落まで会いに行ったことはないという。

「ごめんなさい」

 宰相は俺に向かって頭を下げた。

「いつもなら獣人がさらわれたり売られたりする前に、私の家の者が情報を掴んで食い止めていたのですが……ほとんど付き合いがないからといって、貴方のような幼い子供を違法組織の手に渡すことを許していい理由にはなりません。本当にすみません」
「レイだけじゃねぇ、俺の責任でもある。きつねたちとの繋がりの改善を試みなかった。すまなかった。こんなこと二度と起きないようにする」

 宰相に続き、陛下まで俺に頭を下げる。
 そんなことしなくてもいいのに。悪いのは俺を売り飛ばした、あの二人のきつねの獣人なのだから。

「きゅうん」
(いいよ。二人は助けてくれたんだから。まぎれもなく貴方たちは俺の恩人だ)
「許してくれるのですか?」
「ありがとな……」

 二人は優しく俺の体に手を滑らせる。抱っこしてもらうのも、ひざに乗せてもらうのも、でてもらうのも彼らが初めて。でられるのは、体がぽかぽかしてきて気持ちがいいから大好きだ。

「そういえば貴方の名前はなんというのですか?」
「そうだな。今さらだけど、教えてくれるか?」

 名前……

「きゅーん……」

 名前なんてない。つけてもらってない。だから呼んでもらったこともない。
 今までそんな境遇にいなかったから。
 俺は耳をへたりと後ろへ倒し、ゆらゆら揺れていた尻尾しっぽもぺたんと力なく垂らした。
 陛下と宰相はそれで察してくれ、少しだけ悲しそうな顔になる。

「そうか……。じゃあ俺たちがつけてやるか」
「そうですね! それでいいですか?」
「きゅう!」


 二人は俺の名前の案を色々と出し始めた。あーだこーだと真剣に考えてくれている。
 俺は一気に嬉しくなって、ピンと耳を立て尻尾しっぽをふりふりした。
 この二人は俺にどんな名前をつけてくれるのだろう。

「ルナエルフィン」
「ルナエルフィン……。月の妖精。この美しい子にピッタリですね!」
「お前の名前はルナエルフィンだ!」

 ルナエルフィン……ルナエルフィン、それが俺の名前!

「きゅう、きゅーん!」

 ありがとう!! 素敵な名前をつけてくれて!

「……ルナ、お前が良かったらでいいんだが……」

 そこで陛下が急に真剣な顔つきになり、俺に向き直った。

「俺の息子にならないか?」
「アレン! それはいい、とても素敵な考えです!」
「だろ?」
「えぇ、私もルナが可愛くて仕方ありません。大切にしてあげたいのです」

 宰相、陛下のことアレンって呼ぶんだ。
 ……ってそんなことはどうでもいい。
 俺が陛下の息子? 養子になるってことか? それは可能なことなのだろうか?

「獣人にはあまり馴染なじみがねぇけど、別に禁止されてるわけじゃねぇんだ」

 馴染なじみがない?

「獣人は長寿な分、子供ができにくいんですよ。だから自分の子供をとても大切にする種族なんです。……例外もいるようですが……」

 宰相、怖い。
 宰相は、俺を売り飛ばした奴をひどく嫌悪しているみたいだ。縦長の瞳孔が開いている。

「ルナエルフィンが私たちの息子になってくれるとすごく嬉しいのですが、どうでしょうか?」

 いいのかな? 許されるならこの温かくて優しい二人の子供になりたい。
 俺は人化もしていない子供で、こんな首輪をつけられたまま一人で生きていくなんてできないと思うし。

「何も遠慮することはねぇ。俺は国王なんだぜ? 俺がいいと言えばいいんだ」

 どちらにしろお世話になると思うし、それに二人は俺を手放す気がないようだった。
 俺はありがたくうなずく。二人の息子になれるならば、それは願ってもないことだ。

「ありがとう、ルナエルフィン。今から私はルナのお母さんです」
「俺は父さんだぞ。ルナエルフィン・ヴィナシス。俺たちの息子になってくれてありがとな」

 二人は嬉しそうに俺をでてくれる。
 二人が笑ってくれると俺も嬉しい。二人の息子になれて本当に嬉しい。


 それから俺は父さんと母さんに交互に抱っこしてもらいながら、王都までの道のりをゆっくりと過ごした。
 使用人が作ってくれるご飯は、今ではスープからおかゆみたいなリゾットみたいなものに変わっている。とても美味おいしくて、かなりの量を食べられるようになってきた。
 そうしてしばらくすると、外壁が見えてくる。
 もう太陽はとっくに沈んでおりよく見えないが、白い色をした壁らしい。街をぐるりと囲むように作られていて、魔物の侵入から王都を守護しているそうだ。
 外壁から王宮までは距離があるらしく、再び数時間馬車に揺られ、結局王城に着いたのは夜中だった。
 「「「お帰りなさいませ」」」
 深夜でも起きてあるじを待っていた沢山たくさんの使用人が、ズラリと並んで一斉に挨拶あいさつする。騎士たちも城内や城壁内の至る所に配置され、昼夜関係なく警護しているようだ。
 すごい……
 俺は忠誠心の厚い獣人たちに圧倒された。

「きゅう」
「大丈夫ですよ、何も心配することはないですからね」

 母さんに優しく抱き上げられて城内に入る。
 すれ違う使用人や護衛の騎士たちは、あからさまではないものの、俺に視線を向けていた。
 かなり緊張するけど、仕方ないことなのだろう。珍しいきつねの獣人、さらには目立つ首輪をめているのだから。

「お帰りなさいませ、父上、母上。遅かったですね」

 王族の住居になっているらしい奥の奥へ進み、ついにリビングのような広い部屋に着く。
 ここまでの内装はきらびやかすぎて落ち着かなかったけど、ここは幾分か落ち着いた雰囲気になっている。
 それでも家具などがかなり高価なものなのは変わらない……広いリビングの壁にそなけられた暖炉の前に、ふかふかそうなソファが置かれていた。そこで十代後半くらいの見た目が父さんそっくりな獅子ししの獣人がくつろいでいる。

「おや? そちらの美しい子は?」

 見た目と毛色は父さんそっくりなのに、声色と優しい表情は母さん似だ。父さんより少しタレ目気味。

「まだ起きてたのか、クレセシアン」
「今日中に帰ってきそうだと聞いたので。俺に仕事を任せて自らおもむくほどのことだったんでしょう? ずっと気になってたんですよ」

 確かに国王陛下である父さんと宰相である母さんが国を空けるなんて、その間のことを任せられる人がいなければ無理だろう。それがこの人ということか。

「ルナ、彼は私たちの最初の息子なんです。クレセシアン、自己紹介してください」
「クレセシアン・ヴィナシスだよ。としは百三十一で、種族は見ての通り獅子しし。父上の子供だから第一王子だね」

 父さんたちに使っていた敬語を外し、クレセシアンと名乗った獅子ししの獣人である王子は、母さんの腕に抱かれている俺にニコッと笑いかけてくれた。
 百三十一ってことは父さんが五十一歳の時の子供ということで、母さんと結婚して一年で生まれたことになる。

「それで、この子は?」
「俺たちの新しい家族だ」
「ルナエルフィンと名付けました。大切にしてくださいね」
「きゅあぁ」

 父さんと母さんが俺を紹介してくれているのに、俺はここで空気も読まず欠伸あくびをしてしまった。
 すごく眠たい……

「レイ、ルナと先に寝室へ行っておけ。クレセシアンには俺が説明しとくから」
「分かりました。ルナ、今日はもう寝ましょうか」

 母さんになでなでされると、気持ちよくてまぶたが落ちてくる。

「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。ルナも」
「きゅ」

 俺が眠そうにしているので、父さんが母さんと一緒に先に寝るようにうながしてくれた。

「おやすみなさい、母上。おやすみ、ルナエルフィン。また明日な」
「きゅぅ」

 俺の兄となる獅子ししの王子は、俺の頭から背中にかけてするりとでてくれる。父さんと母さんと同じ優しい手つきだ。
 それから俺は母さんと一緒にお風呂に入った。
 流石さすがは王城。無駄じゃないかと思うほど広いお風呂だったけど、眠たくて堪能たんのうできず、俺は母さんに全てを任せっきりだ。タオルは太陽の下で干したばっかりのようにふわふわだし、ベッドのシーツもすべすべで最高の肌触り。今まで俺がいた場所とは天と地ほどの差がある、そんな場所。
 そして、大きなベッドで母さんに抱っこされながら、俺は横になる。
 少しすると父さんも話が終わったみたいで、布団に入ってきて俺と母さんを抱き締めてくれた。
 とくとくと二人の心臓の音が聞こえてきて、温かくて安心できる。
 こんな風に眠りにつける日が来るとは思わなかった。
 すごく苦しかったけど、この首輪がなかったら俺は自らの手で命を絶っていただろう。
 この二人に会える未来が決まっていたのなら、あの時死んでしまわなくて本当に良かった。


   ◇ ◆


 話はさかのぼり、ルナとレイが部屋を出ていった後、俺――アレンハイドは早速息子であるクレセシアンにことの次第を説明した。

「父上、あの首輪は……」
「あぁ、従属の首輪だ」
「まだ残っていたなんて……」

 ルナ――ルナエルフィンと名付けたあの子供にめられているのは、奴隷制度が廃止されて以降、製造が禁止され、破棄されたはずの首輪。

「ルナは生まれてしばらくした後、きつね獣人である両親によって人間の商人に売られている」
「獣人が人間に自分の子を売ったというのですか!?」
「そうだ。レイの調べではあの子を最初に買ったのは貴族の女で、アクセサリーのごとく扱っていたそうだ。すぐに飽きてまた売られ、新しい人間に買われたらしい」

 昔、まだ数が少なかった獣人は人間にしいたげられ、奴隷として扱われてきた歴史がある。
 成長の過程でその歴史を教わる獣人たちは、仲間意識が強く、同じ種族の者に信頼感を持つ。俺にとってもそれが当たり前だった。
 だから自分の子供を売り飛ばす獣人が存在するなんて、考えもしなかったのだ。

「特に二人目の買い手がひどかった。暴力で快感を得るような、頭のネジが緩んだ最低の人間だ」
「じゃあ、あの子は……」
「……体毛で分かりづらいが、体中におびただしい数の傷痕がある。最近の怪我は、治癒魔法で痕が残らないよう綺麗に治せたが、それ以前の傷痕は消せない。深い傷の痕は一生残るだろう……クレセシアン、あの子を大切にし、守ってあげてくれ。俺もレイも、できるだけのことをする」
「もちろんです、父上」

 クレセシアンは弟たちの面倒もよく見てくれているし、心配することはなさそうだ。ルナのことも同じように愛してくれるだろう。
 クレセシアンに事情を話し終えた後、俺はシャワーを浴び寝室に向かう。
 二人はすでに眠っていたが、ルナは俺が部屋に入ってきた気配で起きてしまった。
 ルナの眠りはまだまだ浅い。
 俺はベッドに入るとルナと、彼を大切そうに抱いているレイを、包み込むように抱き締めて眠りに落ちた。


   ◇ ◆


 寝室の外からバタバタと騒がしい音がした。
 父さんと母さんはまだ寝ているけど、俺はせわしない気配で起きてしまう。そして俺が起きたことで、父さんと母さんも起きた。

「おはようございます、ルナ」
「きゅぅん」
「おはよう」

 二人は俺のおでこにキスを落とした後、お互いにおはようのキスをする。その自然さで、二人がキスを習慣にしていることが分かった。

「ん? 何か騒がしいな。……それでルナが起きちまったのか」

 父さんは起き上がり、着替えて寝室の外の様子を見にいく。その間に母さんもゆっくりと着替えた。

「何事だ」
「あ、陛下! おはようございます! 先ほどキラトリヒ様がお見えになりまして、陛下を連れてこいとおっしゃっているのですが、お起こしするわけにもいかず……」

 どうも何人かの使用人が部屋の前でオロオロしていたようだ。

「はぁ、ったくあいつは……すぐに行くから、リビングへ通しておけ」
かしこまりました!」

 父さんが指示を出すと、使用人たちはバタバタと駆けていく。

「朝からごめんな?」
「きゅぅ」
「キラは俺の乳兄弟ちきょうだいなんだ。俺は両親がかなり高齢の時にできた子供だから、母上が体調を崩してな。乳母うばになったのがキラの母親で、一緒に育ったってわけだ」

 だから国王である父さんを朝からアポなしで訪ねることができるのだろう。使用人たちも追い返すことはできないだろうし。

「加えて王立騎士団第八師団の副師団長なんですよ」

 戦闘に特化している第八師団に所属しているということで、俺の中でのイメージが父さんよりもムキムキな獣人になってしまった。どんな人物なのか会うのが楽しみだ。
 面会の場所が王族居住区内のリビングなので、父さんと母さんはラフな格好で向かう。もちろん俺は母さんに抱っこしてもらっていた。
 王城の廊下は長く、今日はそこになんだかいい香りがただよっている気がする。
 とても落ち着く香り。リビングに近づくにつれてそれが強くなっていった。
 ガチャリと父さんがリビングの扉を開くと、いい香りがぶわぁっと溢れてくる。
 甘くとろけるような、それでいてさわやかですずしいような、そんな心地のいい香りだ。
 いつまでもずっとそばにいたくなるその香りは、リビングの中にいる一人の獣人から発せられていた。

「きゅう!」
「ルナ?」

 俺は母さんの腕から飛び下り、父さんの足の横をすり抜けてリビングの中に入る。
 そこにいたのは漆黒しっこくの髪に琥珀こはくの瞳の、黒い軍服に身を包んだ美しい騎士だ。
 小振りな耳も長い尻尾しっぽも真っ黒、身長は父さんと同じでかなり高い。
 でも想像していたようなムキムキの体格ではなくて、思っていたよりもスラリと細い。
 けれど、その凛々りりしく整った綺麗な顔は、俺が近くに寄ると思いっきりしかめられた。

「この薄汚いきつねはなんだ?」

 え……この香りが分からないの?

「キラ! なんてこと言うんだ!」
「見たままを言ったまでだが」

 この獣人は俺のつがい
 絶対にそう。間違いないのに!!

「きゅう! きゅーう!」

 俺は漆黒しっこくの獣人に向かって訴えた。
 でも彼は一層顔をしかめる。
 どうして? つがいは匂いですぐに分かるんじゃないの?
 母さんが父さんを見つけた時のことをそう言っていた。
 俺もすぐに分かった。
 間違えようもない。他の獣人とは明らかに違うんだ!

「お前……。まだ小狐こぎつねの癖に俺にびを売るんだな。裏切り者の上に淫売いんばいか?」

 ……その言葉に、一瞬で頭の中が真っ白になった。
 裏切り者って、大昔に事件を起こしたきつねのこと?
 淫売いんばい? 俺が? どうしてそうなるの?
 つがいの相手はこの世界にたった一人。
 俺はその相手に見下され、さげすまれた。

「キラトリヒ! 貴様、俺の息子に!!」

 固まって動けなくなっている俺のもとに母さんが駆け寄ってきて、抱き上げてくれる。そして目の前の漆黒しっこくの獣人に向かって、父さんが叫んだ。俺は呆然としていて、全く動けない。

「息子だって?」
「そうだ。人間からひどい扱いを受けた、まだ幼い白狐しろぎつねだ。キラ、いくらお前でもルナへの侮辱ぶじょくは許すことができねぇ。当分の間ここへの出入りは禁止にする」
「は? なんで俺が」
「命令だ。さっさと出ていけ」

 父さんは闇オークションの会場で見た時と同じくらい怒っている。威圧、さらに殺気。
 漆黒しっこくの獣人もやばいと思ったのか、大人しくリビングから退散していった。去り際に俺をにらみつけるのを忘れずに。
 俺はショックから立ち直ることができず、耐えられなくなって倒れるように意識を手放した。


   ◇ ◆


「……ナ、ルナ!」

 母さんが俺を呼んでいる。

「ルナ、目が覚めましたか?」
「きゅぅ」
「心配しましたよッ」

 目を開けると、母さんが俺を抱き上げて腕の中にぎゅうっと包み込んだ。

「きゅぅん、きゅぅん」

 俺は母さんにすがり付き鳴き声を上げる。もう涸れ果てたと思っていた涙がポロポロと頬を滑り、俺の白い毛を濡らした。

「ルナ。どうしたのですか? キラに何かあるのですか?」

 ……言えるわけない、こんなこと。つがいに気付いてもらえなかったなんて……
 俺はただただ泣き続けるだけで、母さんにも、父さんにも詳しい話はできなかった。


 それから数日。俺は父さんと母さんのベッドの中にこもつづけている。
 その間は母さんと、たまに父さんがそばにいてくれた。二人が寝室に仕事を持ち込み俺を見守ってくれるので、俺は二人のひざの上に乗ったり、横にくっついて座ったりして書類を覗く。字は読めなかったものの、二人が余裕がある時に教えてくれた。
 そうして過ごしているうちに、俺はこの世界のことに興味が向く。
 あの漆黒しっこくの獣人のことを忘れたわけではないけれど、それについては俺にできることは思いつかない。父さんと母さんにずっと心配をかけるのも心苦しいし。

「ルナ、今日はだいぶ調子が良さそうだな」
「きゅう!」
「これから紹介したい者がいるんだが、いいか?」

 ある日、父さんが心配そうに聞いた。

「きゅ?」
「ルナのもう二人のお兄ちゃんですよ」

 そういえばクレセシアン兄さん以外にも兄弟がいるみたいなことを聞いていた。
 俺は今回も母さんに抱っこしてもらってリビングに移動する。
 すでに父さんとクレセシアン兄さん、そして幼い二人の獣人がソファで俺を待っていた。

「おはようございます」
「おはようございます、母上」
「「おはようございます、母上」」

 幼い二人は息ぴったりに母さんに挨拶あいさつをする。
 母さんがその幼い獣人二人の正面のソファに腰掛けたので、俺にも二人の顔がよく見えた。
 一人は金髪緑眼で父さんとクレセシアン兄さんと同じ色を持った獅子ししの獣人。……勘違いでなければ、俺をものすごく不機嫌そうににらんでいる。
 もう一人は同じ金髪に母さんと一緒のちゃ色の瞳をしたへびの獣人。母さんと同じように顔や首にうろこがあり、それらは髪と同じ金色をしている。
 こっちの獣人は心配そうな、不安そうな顔で、俺ともう一人の幼い獣人を交互に見ていた。
 ……なんだか嫌な予感。

「ルナ、こちらがルナの兄になった二人です。こっちがギバセシス、獅子ししの獣人。こっちがハヴェライト、へびの獣人です。二人は双子で十五歳になったところなんですよ」

 表情は全然違うけれど顔つきはそっくりな彼らは、やはり双子だったらしい。

「ギバセシス、ハヴェライト。この子がルナエルフィンです。二人の弟ですから、大切にしてあげてくださいね」

 母さんが二人に俺を紹介してくれたのに、二人は返答しない。

「……分かりましたか?」
「……はぃ」

 小さく返事をしたのは、へびの獣人であるハヴェライトのみ。ギバセシスは納得いかないといった風でそっぽを向いた。

「ギバセシス」
「……はぁい」

 ようやくギバセシスは渋々といった感じの返事をしたが、態度は分かりやすく俺を嫌がっている。

「今日は勉強と稽古けいこを休みにしましたので、二人はルナの面倒を見てあげてください」

 突然そう告げられ、俺は戸惑とまどう。

「外せない会議があるから、今日だけは頼んだぞ」
「二人はお兄ちゃんになったんだからな? きちんと面倒見てあげてな」

 父さんとクレセシアン兄さんまで。
 俺たちを仲良くさせるための配慮かもしれないけれど、このまま三人にされるのは怖い。

(俺のことを置いてかないで!)

 なのに、三人はリビングからそそくさと出ていってしまう。使用人や護衛も、部屋の中ではなく外で待機するようだ。
 そういえば父さんと母さんは入浴や着替えも自分でしていたし、プライベートな時間を大切にするのがヴィナシス王家なのかもしれない。それはともかく……

「きゅーん! きゅーん!」

 父さんと母さんがいなくなった途端、落ち着かなくなる。怖い。怖い……

「きゅーん! きゅーん!」

 俺は扉に向かって鳴き続けた。扉の前に座ったり、右へ左へウロウロする。
 どうしよう、父さんと母さんと少し離れるだけなのに、怖くて仕方がない。
 ……頭がおかしくなりそうだッ。

「きゅーん!」
「あっ!」

 え?

「きゃんッ!」

 不意に体が吹っ飛ばされて、俺は壁にぶち当たる。
 何が起こったのか分からないまま、じんわりと痛みが襲ってきた。
 自分が蹴り飛ばされて壁に激突したのだと認識した瞬間、全身に痛みが広がる。
 忘れることなどできない、懐かしい痛みだ。

「うるっせぇんだよ!」

 俺を蹴ったのはギバセシス。彼は大きな声を出しながら俺に向かってくる。
 次に訪れるであろう衝撃を恐れ、俺は痛みできしむ体を引きずり、ソファの下の狭い隙間に逃げ込んだ。

「何隠れてやがる!! 出てこい!」

 ギバセシスが叫び、俺が隠れたソファを蹴りつける。
 俺は暴力にも痛みにも慣れている。大の大人に与えられ続けた痛みに比べれば、まだ幼さの残るギバセシスからの暴力など、恐れるほどのものではない。
 だが、ギバセシスは暴力を振るうことに躊躇ためらいがなかった。
 こいつは他人に暴力を振るえる獣人だ。
 俺はこいつに何もしていない。鳴き続けてうるさかったかもしれないが、暴力を振るうほどのことだろうか?
 言葉で文句を言う前に、前触れもなく蹴り上げたのだ。

「どうしてお前みたいな奴が俺たちの家族になるんだよ!? お前みたいな奴隷がさぁ!!」

 ……ど、れい……?
 確かに俺は人間に売買され、普通の獣人とは全然違う場所にいたかもしれない。だけど、一度も自分を奴隷だなんて思ったことはなかった。
 一度もなかったのに……

「俺、見てたぜ。お前がキラトリヒに薄汚いって言われてたとこ」

 ズキッと心の傷がえぐられる。

「裏切り者で淫売いんばいなんだろ? いやしい奴隷が王族の家族になれると本気で思ってたのか!? 珍しいきつねだからって、調子に乗るな!! お前は俺たちの家族になんかなれない! 気色悪いんだよ!!!」

 それからもギバセシスは気が済むまで俺をののしつづけた。
 暴力だけでなく、言葉でも傷付けるほど俺が嫌いなようだ。
 俺は声を殺して鳴き続ける。少しでも声を漏らしたら、またののしられてしまう。
 ギバセシスはひとしきり俺をさげすんだ後、俺が隠れているソファに座ってお茶を飲んでいる。
 ハヴェライトも座るようにうながされていたが、そこまでできないようで、ギバセシスとは違うソファに座った。
 それを見たギバセシスがまた機嫌を悪くしかけたが、すぐにお菓子に気を取られる。
 お昼近くなってようやく母さんが戻ってきた。

「ギバセシス、ハヴェライト、ルナと仲良くできましたか? あれ、ルナ?」

 母さん! でも今はギバセシスがいるから、ソファの下から出たくない……

「母上、ルナエルフィンはソファの下です」
「ルナ? どうしてそんなところに……」
「さぁ? 俺たちがいくら声をかけても出てきてくれないのです」

 ギバセシスは平然と母さんに嘘をつく。

「そう……。二人は昼食をとって、午後からはいつも通りに勉強や稽古けいこをしなさい」
「はぁい」
「……はい」

 ギバセシスとハヴェライトは何事もなかったかのようにリビングを後にした。

「ルナ? 出てきてください?」

 母さんの呼びかけに、俺はソファの下からゆっくりとす。そんな俺を母さんは心配そうに抱き上げた。

「どうしたのですか? どこか体調が悪いのですか?」

 奴隷だった俺が王族の母さんに、ギバセシスにされた仕打ちを伝えてもいいのだろうか?
 ……そういう風に考えてしまったら、何もかもがイケナイことに思えて仕方がない。
 王族の養子になるのも。この王城に住むのも。母さんの腕に抱かれていることさえも。
 だが、だからといって今の俺に何ができるだろう。
 いつか、いつか離れるから、どうか今だけはこの温かい腕にすがることを許してほしい。

「きゅぅ、きゅぅん」
「そうですか、私やアレンと離れるのが不安なのですね」

 結局俺はギバセシスにされたことは伝えず、母さんや父さんと離れるのがとても怖いということだけを伝えた。
 すると母さんがうーんと考える。

「ではしばらく午前中は私と一緒に仕事へ行きましょうか」
(え、いいの?)
「でも午前中だけです。午後からはギバセシスたちと過ごしたり、使用人と散歩したりしてください。今のルナには適度な運動も大切ですからね? 王族居住区内ならどこに行っても構いません」

 う、正直ギバセシスには二度と会いたくないんだけど……母さんたちは仲良くしてほしいみたいだから仕方ない。

「きゅう」
そばにいつもの使用人をつけましょうか。知っている人のほうがいいでしょ? 護衛もこの間の第一師団の五人に交代でついてもらいましょうね」

 それはありがたい。あの人たちなら俺の事情も知っているし、全く知らない人にそばにいられるよりは安心だ。
 王城にいる使用人や騎士は上手うまく隠しているつもりらしいけど、好奇の視線は意外と分かる。これまでに向けられた視線にも俺は疲れていた。

「夜はいつも通り一緒に寝ましょうね」
「きゅう!」

 ギバセシスとハヴェライトを紹介されてから数週間が経ったある日。父さんが家族全員をリビングに集めた。
 あの日から毎日、午後は双子と三人で過ごしている。俺は母さんたちがいなくなったらすぐにソファの下に隠れることにしていた。
 ギバセシスは飽きもせずあの漆黒しっこくの獣人の名を出しては俺をののしり、機嫌が悪い時は危害を加えようと画策する。
 ハヴェライトはそんなギバセシスをオロオロと見ているだけ。
 ギバセシスは他に人がいる時は猫を被るから、俺が何をされているのか誰も気付いていない。
 ならば使用人や護衛の騎士と一緒に居住区を探検したり庭を散歩したりしようかとも思うが、この首輪のついたきつねの姿ではどうも気が進まなかった。
 周りからの視線が気になり気持ちが晴れないことに気付いたのだ。
 体が小さく目線が低いから抱きかかえてもらえないと何も見えないし、まだ人化していないので自由に物を手に取ることもできない。


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