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第三幕 神は天に居まし、人の世は神も無し
59.シーン3-25(汝、人に背くなかれ)
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私の脳裏をとても卑怯な考えが通りすぎる。私はなんて往生際が悪いのだろう。しかし、借金返済も半ばにして、事あるごとに揉め事が度重なっても困るのだ。
「んー、なるほど、ね」
私は出し抜けに顔を上げると、彼を上から下までゆっくりと品定めするように眺めながら、わざとらしく相づちを打った。出されたカードをあっさり横へ流すほど、私は慎み深い性格をしていない。
「何だ」
改めて私にじろじろと注目された彼は、少しだけ居心地悪そうにこちらを見た。思い返せば、ここまで彼と同行してきた面々のなかで、私が一番彼に絡んでおきながら、私が一番彼に関心を示していなかったのではなかろうか。
「だから普段、喋らない、と」
出されたカードに、上乗せしたカードを突きつける。君の手札、少しだけ分かったよ。
「君は、隠し事が下手だな?」
彼はあからさまに不愉快そうに目を細めた。聖堂で、壁画を見ていたときと同じ顔だ。実直、否、呆れるくらいに素直で真面目な性格のようで、私は大いに助かるよ。
「最後に少しだけ、いいかな」
彼は警戒しながらも、ご丁寧に無言のまま次の言葉を待ってくれた。
ちょっと覚悟してもらおうか。私に引き下がる気はない。
「君は、もう少しだけ、自分が異質であるということはどういうことか理解した方がいい」
先程から言い合っていても一切動くことのなかった彼の眉が、かすかにぴくりと動いたのは、恐らく気のせいではない。
「いつだって多数派の声が正しいとは限らない。例え自分ひとりが正しいことを言っていても、周りのみんなは首をたてに振らないかもしれない」
少数、異端、そういうものは、常識とか普遍といったものに飲まれ、消えてしまうことがある。例えそれが、正しいものであったとしてもだ。集団の持つ力というのは恐ろしい。だとしても、だ。
「何のために多数決があるのか、何のために他の人を理解しなければならないのか、もう少しよく考えた方がいい。例えひとりで生きているつもりでも、例え自分には関係のないことだったとしても、例え誰ひとりとして自分に見向きもしてくれなくても、それでも、たくさんの人とたくさんの意見に囲まれているということ、忘れないで」
それが、人の世に生きるということなのだろう。
「この世界では、君の立場は限りなく異端だ。君の考え、理解できない人の方が多い。君のこと、理解できない人がほとんどだ。さっき自分で言っていたから、それは君自身がよく分かっているよね。でも、そこで終わるほど世の中は簡潔じゃない。裏を返せば、異端に身を置く君は、普通であるということが理解できていないんじゃないかな。普通の考え方が出来ない君は、この世の大多数を理解することができない。世界にあるほとんどの事柄をまるで考慮出来ないくせに、どうしてまともな答えが出せるの?」
人を暗闇から引き上げるのはとってもとっても難しいのに、人を暗闇へと突き落とすのは本当に一瞬だ。この世界は、どうしてこんな不条理のもと成り立っているのだろう。
「君が今向き合っているのは、君のことを理解できないアリエというだけじゃない。君が理解できなった他の全てだと思っておいた方がいい。君が異端である以上、これから先も同じような衝突はたくさんあるよ」
彼へと向けて話す言葉が、見えないどこかで跳ね返って、私の足元に重なっていく。私は別に、だから皆と一から十まで合わせなさいと言いたいわけではないのだ。ただ、私にだって周囲と足並みが揃わないことくらいはある。だからこそ、思うところも少しあるのだ。
「君は、周りとの意見が壊滅的に食い違ってしまったとき、どうするつもりなのかな。正しさを貫くために、正義に従おうとしない世界の全てを炎に包むつもりなの?」
その、力で。最後の言葉にありったけの含みを持たせて、私はひと呼吸をおいた。
この問いかけは賭けに近い。是と言われてしまえばそれまでで、確証も強要性もまるで無い。
だというのに、今この瞬間の硬直しきった彼の姿に、不謹慎ながらも私は少し笑ってしまいそうだった。いつも通り装着された冷たい氷の鉄仮面ごと凍りついてしまった彼に、なんだ空でも落ちてきたかい?なんてことを、何の気なしに問いかけてみたくなる。不運にも、私の予感は的中してしまったのだ。
彼は、自身の魔力と性質に対し、何やら相当重い負い目を感じているらしい。なんともまあ、殊勝なことだ。その性質は君が選んだものなのではないでしょうに。否、自分で選んだものではないからこそ、なのだろう。自分で選んだものではないからこそ、小さな世界を生きる彼には、もうどうにもできないのだ。
彼女のように手放しにされてしまうと周りとしてはたまったものではないが、律儀すぎたり責任感が強すぎるのも考えものだ。
私は静かに頬をゆるめ、こちらからはこれ以上の攻撃も、侵害も、何もしない意を表した。ゆるやかに微笑んで、表面だけでも和やかに付き合う気があることを彼へと示す。
「自分の信念貫くのも大事なことだと思うけど、せめて、借金返すまでくらいは、おとなしくしていてくれないかな」
もちろん、肝心となる最後のひとことを付け足すことは忘れない。これがなければ、私だってここまで彼を突っつくことはないだろう。
例え彼には何の咎も無いとしても、それでも、この世界は不条理なのだ。我々は、いつだって理不尽ばかりを強いられる。まるで、君と私の関係のように。まるで、君の人生のように。そして、私自身のように。
人を、世界は救ってくれない。事実としての平和なんて、世には存在しないのだろう。籠の中でおだやかに守られている幻想の世界ですら、そこかしこで悪意が牙を剥いている。平和なんていうものは、各々の心によって作り出された現実世界の虚像に過ぎないのかもしれない。逆に言うなら、平和を作り出せるとするなら、それは人の心の中にこそだ。
「んー、なるほど、ね」
私は出し抜けに顔を上げると、彼を上から下までゆっくりと品定めするように眺めながら、わざとらしく相づちを打った。出されたカードをあっさり横へ流すほど、私は慎み深い性格をしていない。
「何だ」
改めて私にじろじろと注目された彼は、少しだけ居心地悪そうにこちらを見た。思い返せば、ここまで彼と同行してきた面々のなかで、私が一番彼に絡んでおきながら、私が一番彼に関心を示していなかったのではなかろうか。
「だから普段、喋らない、と」
出されたカードに、上乗せしたカードを突きつける。君の手札、少しだけ分かったよ。
「君は、隠し事が下手だな?」
彼はあからさまに不愉快そうに目を細めた。聖堂で、壁画を見ていたときと同じ顔だ。実直、否、呆れるくらいに素直で真面目な性格のようで、私は大いに助かるよ。
「最後に少しだけ、いいかな」
彼は警戒しながらも、ご丁寧に無言のまま次の言葉を待ってくれた。
ちょっと覚悟してもらおうか。私に引き下がる気はない。
「君は、もう少しだけ、自分が異質であるということはどういうことか理解した方がいい」
先程から言い合っていても一切動くことのなかった彼の眉が、かすかにぴくりと動いたのは、恐らく気のせいではない。
「いつだって多数派の声が正しいとは限らない。例え自分ひとりが正しいことを言っていても、周りのみんなは首をたてに振らないかもしれない」
少数、異端、そういうものは、常識とか普遍といったものに飲まれ、消えてしまうことがある。例えそれが、正しいものであったとしてもだ。集団の持つ力というのは恐ろしい。だとしても、だ。
「何のために多数決があるのか、何のために他の人を理解しなければならないのか、もう少しよく考えた方がいい。例えひとりで生きているつもりでも、例え自分には関係のないことだったとしても、例え誰ひとりとして自分に見向きもしてくれなくても、それでも、たくさんの人とたくさんの意見に囲まれているということ、忘れないで」
それが、人の世に生きるということなのだろう。
「この世界では、君の立場は限りなく異端だ。君の考え、理解できない人の方が多い。君のこと、理解できない人がほとんどだ。さっき自分で言っていたから、それは君自身がよく分かっているよね。でも、そこで終わるほど世の中は簡潔じゃない。裏を返せば、異端に身を置く君は、普通であるということが理解できていないんじゃないかな。普通の考え方が出来ない君は、この世の大多数を理解することができない。世界にあるほとんどの事柄をまるで考慮出来ないくせに、どうしてまともな答えが出せるの?」
人を暗闇から引き上げるのはとってもとっても難しいのに、人を暗闇へと突き落とすのは本当に一瞬だ。この世界は、どうしてこんな不条理のもと成り立っているのだろう。
「君が今向き合っているのは、君のことを理解できないアリエというだけじゃない。君が理解できなった他の全てだと思っておいた方がいい。君が異端である以上、これから先も同じような衝突はたくさんあるよ」
彼へと向けて話す言葉が、見えないどこかで跳ね返って、私の足元に重なっていく。私は別に、だから皆と一から十まで合わせなさいと言いたいわけではないのだ。ただ、私にだって周囲と足並みが揃わないことくらいはある。だからこそ、思うところも少しあるのだ。
「君は、周りとの意見が壊滅的に食い違ってしまったとき、どうするつもりなのかな。正しさを貫くために、正義に従おうとしない世界の全てを炎に包むつもりなの?」
その、力で。最後の言葉にありったけの含みを持たせて、私はひと呼吸をおいた。
この問いかけは賭けに近い。是と言われてしまえばそれまでで、確証も強要性もまるで無い。
だというのに、今この瞬間の硬直しきった彼の姿に、不謹慎ながらも私は少し笑ってしまいそうだった。いつも通り装着された冷たい氷の鉄仮面ごと凍りついてしまった彼に、なんだ空でも落ちてきたかい?なんてことを、何の気なしに問いかけてみたくなる。不運にも、私の予感は的中してしまったのだ。
彼は、自身の魔力と性質に対し、何やら相当重い負い目を感じているらしい。なんともまあ、殊勝なことだ。その性質は君が選んだものなのではないでしょうに。否、自分で選んだものではないからこそ、なのだろう。自分で選んだものではないからこそ、小さな世界を生きる彼には、もうどうにもできないのだ。
彼女のように手放しにされてしまうと周りとしてはたまったものではないが、律儀すぎたり責任感が強すぎるのも考えものだ。
私は静かに頬をゆるめ、こちらからはこれ以上の攻撃も、侵害も、何もしない意を表した。ゆるやかに微笑んで、表面だけでも和やかに付き合う気があることを彼へと示す。
「自分の信念貫くのも大事なことだと思うけど、せめて、借金返すまでくらいは、おとなしくしていてくれないかな」
もちろん、肝心となる最後のひとことを付け足すことは忘れない。これがなければ、私だってここまで彼を突っつくことはないだろう。
例え彼には何の咎も無いとしても、それでも、この世界は不条理なのだ。我々は、いつだって理不尽ばかりを強いられる。まるで、君と私の関係のように。まるで、君の人生のように。そして、私自身のように。
人を、世界は救ってくれない。事実としての平和なんて、世には存在しないのだろう。籠の中でおだやかに守られている幻想の世界ですら、そこかしこで悪意が牙を剥いている。平和なんていうものは、各々の心によって作り出された現実世界の虚像に過ぎないのかもしれない。逆に言うなら、平和を作り出せるとするなら、それは人の心の中にこそだ。
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