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桔梗の館

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 与えられた長持に運び込んだ荷物を入れると、美琴は覚悟を決め拳を握った。
 信長の命により光秀の館で世話になることとなった美琴は、先ほど恒興に連れられてここへやって来たばかりだ。

 なぜこんな事に、と初めこそ思ったが、光秀の不穏な動きを見張るのにこれほどいい機会はないと思い直した。今日からは光秀に取り入って、できるだけ彼から目を離さないようにする事で、信長を守れるよう気合いを入れる。

 とにかく、光秀の叛逆を阻止し、信長に天下を治めてもらわねば。

「何か良からぬ事でも企んでいたか?」

 意気込む美琴の前に音もなく現れた館の主人の姿に驚き、素っ頓狂な声をあげてしまった。

「わああ!」

 不意に声をかけられつい慌ててしまったのは事実だが、これではいけないと、どうにか呼吸を整える。

「すみません。驚いてしまって……それより、光秀様の館に来られて感激していたんです」

「……ほう」

 訝しげに見つめられ、心臓がどくりと鳴る。
 唐突過ぎただろうかとも思ったが、後にも引けず畳み掛けた。

「あの、光秀様のお役に立ちたいんです」

 ここで負けてはいけないと、震える唇を引き結んで光秀の顔を見上げれば、光秀は美琴の視線を正面から受け止めていた。

 真偽を確かめているのだろうか。

「ならば、信長様に仕えられるだけのものを仕込まねばな。天守に呼んでもらえるように」

 光秀の意味ありげな言葉の発し方に、美琴の頰は赤く染まる。いちいち反応する自分を恨めしく思いながらも、意識して口角を上げて見せた。

「それはそうと、この女中がお前の世話を引き受けてくれることになった。迷惑をかけるなよ?」
 
 光秀の傍に、無表情の女中が膝をついている。

「志乃と申します。よろしくお願い致します」

 志乃は折り目正しく挨拶をすると、にこりともせず美琴と目を合わせた。
 視線が刺さるように感じるのは、値踏みされているからだろうか。

 恒興の館で世話になった女中たちは皆朗らかで、志乃のように微笑みもしない人は誰もいなかった。主人の個性が反映されているのだろうと、美琴は気にしないよう努めた。

「こちらこそ、よりしくお願いします」

 微笑みを浮かべた美琴に返されたのは、感情のない能面のような表情だった。
 苦手だ、と美琴の直感がざわめく。

 だが、世話にならなければどうにも立ち行かないのは事実で、波風立てずに過ごすしか選択肢はない。

「志乃、こいつに館の中を案内してやってくれ」

「かしこまりました」

 光秀に言いつけられた志乃の声が、幾分柔らかに感じたのは気のせいだろうか。
 早速迷惑をかけるわけにもいかず、美琴は志乃について行くため部屋を出た。



  一通り館を回ると、美琴の部屋の前に戻った。恒興の館よりは広いが、なんとか覚えられそうだ。

「志乃さん、ありがとうございました」

 志乃は終始無表情だったが、一部の隙もなく案内を終えた。

「御用があれば、お申し付けくださいませ」

 口ではそう言うものの、険のある態度からは、本当にそうは思っていない事がありありと伝わってくる。

 けれど、志乃と諍いを起こすのは本意ではない。光秀の陰謀を暴き信長を守るのが、美琴の成し遂げるべき任務だ。
 勝手な責任感に燃え、美琴は志乃に微笑んだ。

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