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第十七話 正義の在り処
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「今日は貧民街の巡回に行こう」
朝の訓練を終えたハルートが、いつになく積極的に提案してきた。普段はあまり自分から行き先を決めたがらない彼が、珍しい。
「貧民街? あまり行ったことないけど……」
「情報収集にもなるし、街の様子を知っておくのは大事だ」
確かに、殺人事件のことを考えると、王都の隅々まで把握しておいた方がいいかもしれない。
「分かった。案内よろしく」
◆ ◆ ◆
王都の中心部から少し離れた場所にある貧民街は、私が普段過ごしている区域とは全く違う雰囲気だった。建物は古く、道も舗装されていない箇所が多い。でも、人々の表情は案外明るくて、子供たちが元気に走り回っているのを見て、少しほっとした。
「あそこ」
ハルートが指差した先に、大きな鍋を囲んで列を作っている人たちが見える。
「炊き出し?」
「ああ。王都の政策の一つだ」
ハルートの説明を聞きながら、私たちは炊き出し場の近くを通り過ぎる。
「最近、王都の経済が大きくなって、景気は良くなってるんだ。でも、その反面で貧富の差も広がってる。新しい技術や商売のやり方についていけなくて、仕事を失う人も出てきてる」
「そうなんだ……」
私は知らなかった。ギルドにいると、依頼をこなす冒険者たちばかり見ているから、こういう現実には疎かった。
「だから、そういう人たちを救うために、炊き出しや住居の提供なんかの政策をやってるらしい」
ハルートの口調に、わずかに複雑な響きが混じる。
「貧民の暴動を防ぐ意味もあるって聞いてる。政治的な判断なんだろうけど……」
「でも、理由がどうあれ、困ってる人を救うのはいいことだよね」
私がそう言うと、ハルートは苦い笑みを浮かべた。
「そうだな。救われてる人がいるのは確かだ。でも……」
「でも?」
「そのお金に手をつける奴らがいるんだ」
ハルートの声が、急に低くなる。
「炊き出しに使われるはずの予算を着服したり、支給される食料の質を下げて差額を懐に入れたり。そういう連中が許せない」
彼の拳がぎゅっと握られる。
「そいつらは十分なお金を持ってるくせに、困ってる人たちから更に奪おうとするんだ。絶対に許せない」
私は初めて見るハルートの姿に驚いた。いつものクールで冷静な彼とは違う、感情を剥き出しにした表情。
「ハルート……」
「っと、すまん。ちょっと熱くなっちゃった」
彼は苦笑いを浮かべて頭を掻く。でも、その目にはまだ怒りの炎がくすぶっているのが見えた。
◆ ◆ ◆
そのとき、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「何やってんだよ、おい!」
「貧民同士の喧嘩かな?」
私が心配そうにつぶやくと、ハルートの表情が一変した。
「いや、違う。行こう」
慌てたような足取りで、ハルートが声のする方向へ向かう。私も慌ててついていく。
炊き出し場の近くで、二人の騎士団員が貧民の男性を取り囲んでいた。
「わざわざ見回りに来てやったってのに、何もしないとは度胸があるじゃないか」
「い、いえ、そんなつもりは……」
男性は震え声で答える。炊き出しの担当者らしき人も止めに入ろうとしているけど、騎士に歯向かうのかと言われて何もできずにいる。
「おい、待てよ」
ハルートが前に出ようとしたとき、私の方が早く間に入った。
「すみません、何かあったんですか?」
「あ? お前は何者だ」
騎士の一人が振り返る。見覚えがある。確か、街の方を巡回しているはずの騎士団員だ。
「冒険者のセレナです。騒ぎが聞こえたので……」
「冒険者ねえ」
騎士が嫌らしい笑みを浮かべる。
「じゃあ分かるだろ? 俺たちがどれだけ偉いか。黙って見てな」
そして再び貧民の男性に向き直る。
「いいか、俺たちは忙しい時間を割いて、お前らみたいな連中の安全を守ってやってるんだ。それなのに感謝の言葉もないとか、どういう教育受けてきたんだ?」
「あの、この方は何も悪いことしてないと思うんですが……」
私が口を挟むと、騎士が露骨に不快そうな顔をする。
「は? お前に聞いてねえよ。身分をわきまえろ、ガキが」
「身分って……でも、困ってる人を助けるのが騎士団の役目じゃないんですか?」
「助ける? 笑わせるな。こいつらは王都の寄生虫だろうが。俺たちが施しを与えてやってるんだから、それ相応の態度を示せって言ってるんだよ」
あまりの言い草に、私の手が自然と剣の柄に向かいかけた。
「セレナ」
そのとき、ハルートが私の肩を掴んだ。
「やめろ」
「でも……!」
「やめろって言ってるんだ」
ハルートの声は低く、でもどこか諦めたような響きがあった。
「何でよ! あんなの間違ってる!」
「間違ってても、俺たちが何を言っても聞いてもらえないんだ」
「そんなの……」
「貧民が訴えても聞いてもらえない。俺たちが言っても聞いてもらえない。だから、我慢しろ」
ハルートの言葉に、私は愕然とした。
「我慢って……それじゃあ、この人たちは?」
「おいおい、なんだよ仲間割れかよ」
騎士が白けたような声を出す。
「つまんねえな。もう行こうぜ」
そう言って、二人の騎士は足音を立てて去っていく。
後に残されたのは、震えている貧民の男性と、複雑な表情を浮かべる炊き出しの担当者たち。
そして、拳を握りしめる私と、諦めたような顔をするハルートだった。
◆ ◆ ◆
ギルドに戻ったあと、私はオリヴィアに今日の出来事を報告した。
「そんなことが……」
オリヴィアは心底困ったような表情を浮かべる。
「報告はしておくわ。でも、すぐに改善されるかどうかは……」
「そんな」
「ごめんなさい、セレナ。ギルドにも限界があるの」
オリヴィアの申し訳なさそうな顔を見て、私はますます無力感に襲われた。
そのとき、ハルートが大きく息を吸い込んだ。まるで、何か大きなことを言おうとしているみたいに。
でも、結局彼は何も言わずに、そのまま踵を返してギルドから出て行ってしまった。
私は彼の後ろ姿を見送りながら、胸の奥に重いものを感じていた。
正義って、一体何だろう。
強い者が弱い者を守る。それが当たり前だと思っていた。
でも、その強い者が間違っていたら?
その強い者を止められるほど、もっと強い者がいなかったら?
私たちは、ただ我慢するしかないの?
答えの見つからない問いを抱えたまま、私は夕日が沈んでいくのを眺めていた。
きっと、ハルートも同じことを考えているんだろう。
彼の中にある怒りと、諦めと、そして正義への想い。
それが、いつか大きな行動に繋がってしまうのかもしれない。
そんな予感を、私は振り払うことができなかった。
(つづく)
朝の訓練を終えたハルートが、いつになく積極的に提案してきた。普段はあまり自分から行き先を決めたがらない彼が、珍しい。
「貧民街? あまり行ったことないけど……」
「情報収集にもなるし、街の様子を知っておくのは大事だ」
確かに、殺人事件のことを考えると、王都の隅々まで把握しておいた方がいいかもしれない。
「分かった。案内よろしく」
◆ ◆ ◆
王都の中心部から少し離れた場所にある貧民街は、私が普段過ごしている区域とは全く違う雰囲気だった。建物は古く、道も舗装されていない箇所が多い。でも、人々の表情は案外明るくて、子供たちが元気に走り回っているのを見て、少しほっとした。
「あそこ」
ハルートが指差した先に、大きな鍋を囲んで列を作っている人たちが見える。
「炊き出し?」
「ああ。王都の政策の一つだ」
ハルートの説明を聞きながら、私たちは炊き出し場の近くを通り過ぎる。
「最近、王都の経済が大きくなって、景気は良くなってるんだ。でも、その反面で貧富の差も広がってる。新しい技術や商売のやり方についていけなくて、仕事を失う人も出てきてる」
「そうなんだ……」
私は知らなかった。ギルドにいると、依頼をこなす冒険者たちばかり見ているから、こういう現実には疎かった。
「だから、そういう人たちを救うために、炊き出しや住居の提供なんかの政策をやってるらしい」
ハルートの口調に、わずかに複雑な響きが混じる。
「貧民の暴動を防ぐ意味もあるって聞いてる。政治的な判断なんだろうけど……」
「でも、理由がどうあれ、困ってる人を救うのはいいことだよね」
私がそう言うと、ハルートは苦い笑みを浮かべた。
「そうだな。救われてる人がいるのは確かだ。でも……」
「でも?」
「そのお金に手をつける奴らがいるんだ」
ハルートの声が、急に低くなる。
「炊き出しに使われるはずの予算を着服したり、支給される食料の質を下げて差額を懐に入れたり。そういう連中が許せない」
彼の拳がぎゅっと握られる。
「そいつらは十分なお金を持ってるくせに、困ってる人たちから更に奪おうとするんだ。絶対に許せない」
私は初めて見るハルートの姿に驚いた。いつものクールで冷静な彼とは違う、感情を剥き出しにした表情。
「ハルート……」
「っと、すまん。ちょっと熱くなっちゃった」
彼は苦笑いを浮かべて頭を掻く。でも、その目にはまだ怒りの炎がくすぶっているのが見えた。
◆ ◆ ◆
そのとき、前方から怒鳴り声が聞こえてきた。
「何やってんだよ、おい!」
「貧民同士の喧嘩かな?」
私が心配そうにつぶやくと、ハルートの表情が一変した。
「いや、違う。行こう」
慌てたような足取りで、ハルートが声のする方向へ向かう。私も慌ててついていく。
炊き出し場の近くで、二人の騎士団員が貧民の男性を取り囲んでいた。
「わざわざ見回りに来てやったってのに、何もしないとは度胸があるじゃないか」
「い、いえ、そんなつもりは……」
男性は震え声で答える。炊き出しの担当者らしき人も止めに入ろうとしているけど、騎士に歯向かうのかと言われて何もできずにいる。
「おい、待てよ」
ハルートが前に出ようとしたとき、私の方が早く間に入った。
「すみません、何かあったんですか?」
「あ? お前は何者だ」
騎士の一人が振り返る。見覚えがある。確か、街の方を巡回しているはずの騎士団員だ。
「冒険者のセレナです。騒ぎが聞こえたので……」
「冒険者ねえ」
騎士が嫌らしい笑みを浮かべる。
「じゃあ分かるだろ? 俺たちがどれだけ偉いか。黙って見てな」
そして再び貧民の男性に向き直る。
「いいか、俺たちは忙しい時間を割いて、お前らみたいな連中の安全を守ってやってるんだ。それなのに感謝の言葉もないとか、どういう教育受けてきたんだ?」
「あの、この方は何も悪いことしてないと思うんですが……」
私が口を挟むと、騎士が露骨に不快そうな顔をする。
「は? お前に聞いてねえよ。身分をわきまえろ、ガキが」
「身分って……でも、困ってる人を助けるのが騎士団の役目じゃないんですか?」
「助ける? 笑わせるな。こいつらは王都の寄生虫だろうが。俺たちが施しを与えてやってるんだから、それ相応の態度を示せって言ってるんだよ」
あまりの言い草に、私の手が自然と剣の柄に向かいかけた。
「セレナ」
そのとき、ハルートが私の肩を掴んだ。
「やめろ」
「でも……!」
「やめろって言ってるんだ」
ハルートの声は低く、でもどこか諦めたような響きがあった。
「何でよ! あんなの間違ってる!」
「間違ってても、俺たちが何を言っても聞いてもらえないんだ」
「そんなの……」
「貧民が訴えても聞いてもらえない。俺たちが言っても聞いてもらえない。だから、我慢しろ」
ハルートの言葉に、私は愕然とした。
「我慢って……それじゃあ、この人たちは?」
「おいおい、なんだよ仲間割れかよ」
騎士が白けたような声を出す。
「つまんねえな。もう行こうぜ」
そう言って、二人の騎士は足音を立てて去っていく。
後に残されたのは、震えている貧民の男性と、複雑な表情を浮かべる炊き出しの担当者たち。
そして、拳を握りしめる私と、諦めたような顔をするハルートだった。
◆ ◆ ◆
ギルドに戻ったあと、私はオリヴィアに今日の出来事を報告した。
「そんなことが……」
オリヴィアは心底困ったような表情を浮かべる。
「報告はしておくわ。でも、すぐに改善されるかどうかは……」
「そんな」
「ごめんなさい、セレナ。ギルドにも限界があるの」
オリヴィアの申し訳なさそうな顔を見て、私はますます無力感に襲われた。
そのとき、ハルートが大きく息を吸い込んだ。まるで、何か大きなことを言おうとしているみたいに。
でも、結局彼は何も言わずに、そのまま踵を返してギルドから出て行ってしまった。
私は彼の後ろ姿を見送りながら、胸の奥に重いものを感じていた。
正義って、一体何だろう。
強い者が弱い者を守る。それが当たり前だと思っていた。
でも、その強い者が間違っていたら?
その強い者を止められるほど、もっと強い者がいなかったら?
私たちは、ただ我慢するしかないの?
答えの見つからない問いを抱えたまま、私は夕日が沈んでいくのを眺めていた。
きっと、ハルートも同じことを考えているんだろう。
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そんな予感を、私は振り払うことができなかった。
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