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第3話 河童の壺
しおりを挟む【河童の壺と人の本性】
山の村に、夜を徹しての結界張りの作業が続いていた。道斎の熟練した仙術と、正雪の未熟ながらも純粋な霊力が、村の周囲に淡い光の膜を作り出す。その霊気は結界の境界線を青く発光させ、外部からの侵入を拒む強固な壁となった。
夜明け前、結界が完成すると、村長が深々と頭を下げ、道斎にお礼の品を差し出した。それは、苔むした古い陶器の壺だった。
「仙者様、これは長年我が村に伝わる、河童(かっぱ)の壺でございます。古びてはおりますが、以前は仙器だったとか」
村長の説明は、震える声で続いた。
「昔は、水が欲しいと望むだけで、どんどん清らかな水が溢れてきました。雨のない年でも豊作を約束してくれた。だが、ある日、村の子が、壺の中を覗き込むと、吸い込まれてしまったのです。それから、水が出なくなりました」
村長は、恐怖を押し込めるように言葉を絞り出した。
「やはり、河童は我々を騙したのです。子どもを食うために壺をくれたのだと、皆驚いて、壺を壊そうとしたが、どうしても壊せない。捨てても勝手に戻ってきてしまう。あなた様方は仙者であり、力がある。どうか、厄介払いと思って、持っていってください」
「ありがとうございました」
道斎は表情一つ変えず壺を受け取り、正雪と共に村を後にした。
山道を進みながら、正雪は不満を抑えきれなかった。
「師匠、あの壺は明らかに要らないものだ。師匠はたくさんの霊力を使って、村を守る結界を作ってあげたのに、こんなガラクタをもらうなんて。酷い人たちだな」
道斎は立ち止まり、穏やかな目で正雪を見つめた。その瞳には、深く澄んだ静寂が宿っている。
「正雪よ。我々は見返りのために、働いているわけではない。人から感謝されようとされまいと、関係はない。我々が求めるのは、『心の静かさ』だ。人々が鬼から守られ、平穏に暮らす。その事実こそが、修仙者の役割であり、我々の心の修行である」
「だけど、すべての修仙者は良い者に限らず、悪い修仙者もいるのではないですか」
「良い鬼や妖がいるように、悪い修仙者もいる。だが、それは、我々とは関係ない。外から惑わされない、『内を求める』。それが師匠であるわしの理想だ。正雪よ。お前は自分の心と真と信を正しくしなさい。それが、わしがお前に託した道だ」
正雪は、完全に理解できたわけではないが、師の言葉の重さに、わかるような、分からないような顔で深くうなずいた。
道斎は手に持っていた河童の壺を正雪に渡した。
「この壺の話には続きがある」
道斎は話し始めた。
「昔、村人が河童を助け、恩返しとしてこの壺を受け取った。最初は水が出ることに大変感謝したが、やがて水のみ出ることが満足できなくなった」
「心の歪みが生じ、米も、金も欲しいと願うようになった。彼らは試しに壺の中に米や金を入れて、『見返り』を望んだ。だが、反応はない。逆に入れた米や金は二度と取り出せなくなった。」
「壺を河童からもらった時、河童は『壺の中に覗き込むな』と忠告していたのだ。欲が出た村人は、自分が壺の中に吸い込まれるのが怖くなり、よその子供を騙して覗き込ませたのだ」
道斎は深い溜息をついた。
「それは人間の本性だ。欲は人を成長させ、人を滅ぼす。修仙の道は、欲を抑えつけるものではない。『心を正しく、欲を正しくする道』である」
道斎の言葉は重かった。正雪は思った。師匠は決して、世間一番の修仙者ではなかったかもしれない。だが、絶対に世間一番の「修心者」だ。
(そうだ、修心者だ)
その「修心者」という言葉は、正雪が独自に作った、師に対する最大の敬意を表す言葉となった。
「必ず強くなる。だけど、人のためではなく、『内心』のためだ。師匠のように」
正雪は、河童の壺を抱えながら、新たな誓いを立てた。
【霧獣法流への期待】
翌日、道斎と正雪は、霧獣法流の本山へ向かうための荷物整理をしていた。結界を作る際、村人から借りた槌(つち)が、荷の中から出てきた。
道斎は、その槌を見て、「はっ」と小さく息を呑んだ。
「ヤバい。返すのを忘れた。正雪、この槌を村に返して頂戴。戻ったら、すぐに出発じゃ」
「わかった。行ってきます」
正雪は、軽い足取りで草庵を飛び出した。
正雪は霧獣法流に行くのが楽しみで仕方がなかった。師匠の道斎から聞いた霧獣法流の皆は親切で、仙法も強かったという。
特に心惹かれたのは、宗派が霊獣(れいじゅう)を飼っており、二階の中伝(ちゅうでん)になると霊獣に乗ることもできるという話だった。
正雪は自分が霊獣に乗っている姿を想像しながら、弾むように山道を進んでいた。
(どんな霊獣に乗るのかな。馬はつまらない。虎や狼、ライオンだ。いやいや。やはり、空を飛べる霊獣に乗ってみたい。鷲(わし)か。鷹(たか)か。綺麗な孔雀(くじゃく)か。)
空を飛ぶことは、幼い頃からずっと彼の夢であった。御剣の術で飛ぶ父の姿に憧れ、修行塾でも何度か試したが、霊根なき体では叶わなかった夢だ。
その時、頭上から、澄んだ声が降ってきた。
「ねえ、坊や。この辺の道斎という修仙者は知っているか」
正雪はハッと顔を上げた。そこにいたのは、冬の日差しのような笑みを浮かべた、背の高いきれいな女性だった。
鮮やかな黄色の道服を着て、凛とした佇まい。まるで、空から降りてきた仙女のようだ。
「あ、ああ、あっちです。山を超えれば、小屋が見えます。そこです。案内してあげましょうか」
正雪は、無意識のうちに右手で自分の左腕を強く握り締めながら、小屋の方向へと指を差した。彼は、女性の持つ威圧感と美しさに完全に圧倒されていた。
「ありがとう」
女性はそう感謝を述べると、傍にいた同行の男と共に、御剣術(ぎょけんじゅつ)で剣に乗って、再び空へと飛び去っていった。その一連の動作には一切の迷いがない。熟練の仙術師であることを示していた。
(美しいお姉ちゃんだ)
正雪はしばらく空を見上げていた。師匠が言っていた霧獣法流の先輩のお姉さんかな、と思った。彼らが本山から迎えに来てくれたのなら、師匠の安全も、そして自分の胸の痛みも、きっと解決するに違いない。
期待と興奮で、正雪は槌を返しに行く足取りを速めた。
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