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第20話 能ある鷹は爪を隠す
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【海響の第四戦】
夕陽が深紅の海面へ溶け入り、観戦席に灯された提灯の光が、波間を走る金色の反射を捉えて揺らめく。
宗門選抜の第四試合――正雪は駆け戻り、砂地の中央へ踏み出した。冷たい風が衣を揺らし、背中の河童の壺が微かに水音を響かせる。観客のざわめきが徐々に静まり、海と空が黄昏に染まる中、戦いの気配が濃く漂った。
対するは、弐階組の強者・廉之助。彼は悠然と腕を組み、口の端を軽く釣り上げる。その姿には、今から始まる戦いを心底楽しむかのような、傲慢とも取れる余裕が滲んでいた。
傍らには、彼らの強大な霊力を証するかのように、鱗が輝く巨大な霊獣、花鰐が控える。その鉄鎖のような尾が砂を軽く叩くだけで、地面はひび割れ、その微かな、しかし強力な振動は、観客席まで伝わる。鰐の瞳が鋭く光り、底知れぬ冷たい霊気が、空気に重々しく染み渡っていく。
「……正雪、お前の使役する霊獣といえば――」
廉之助の軽蔑的な視線が、正雪の足元を舐めるように動く。彼の知る正雪の霊獣は、まだ幼いヒナ鳥のはずだ。
「まだ羽も生え揃わぬヒナ鳥ではなかったか? 連れて来ないなら、規定により――自動的に敗北だぞ。さっさと降参したらどうだ。」
観客席がざわ……と波立った。水面を叩く波のようにどよめいた。しかし、正雪の体は一歩も乱れない。彼は黄昏の光を浴びて、氷のように冷静に応じた。
「今日は別の霊獣を連れてきた。この壺の中にな。」
黒漆の無骨な壺を、試合場の石畳に”カツン”と音を立てて置いた。壺の蓋を縁取る紋様は、古河妖族に伝わる神秘的な封印の印。河童の壺の威力を強調するため、わざと威圧的に見せていた。風に乗り、壺の底で霊水が小さく揺れ、鈍い光を反射した。
「……ふん。そんな玩具のような壺ごとき、古ぼけた道具でごまかせるとでも?――先に粉砕してやる!」
廉之助が鼻で笑うと同時に、その霊力に呼応した花鰐が、大地を蹴って跳ね上がった。重厚な咆哮が空気を裂き、巨体は音速の勢いで正雪へと迫る。突進の余波で砂塵と微細な水霧が螺旋状に巻き上がり、地面の亀裂は波紋のように競技場全体に広がった。正雪は紙のように滑らかに一歩退き、まるで遊ぶように指を一本弾いた。
――パァン――!
壺の口から霊水が噴き出し、砂地の中央へ奔流のように広がる。水粒子は夕陽の残光を受けて微細な虹を描き出し、空気の中で輝く周囲の霊気と複雑に絡み合った。
「……はぁ!? 鰐に水をぶつけるだと? 正雪、頭でも打ったか!」
廉之助の鋭い叫びも虚しく、突進を続ける花鰐の強靭な脚が、その水流に触れた瞬間、止まった。水面に触れた鱗からは、まるで毒を浴びたかのように白い泡がじわりと浮かび、皮膚が強い嫌悪に反応して巨体を激しく捻る。
この霊水は、一瞬にして鰐の霊力を一時的に封じ、空気に染み渡っていた鋭利な威圧感を鈍らせたのだ。
「………気づいたか、廉之助。」
正雪の声は低く、静かに場内に響いた。
「淡水種の霊獣が、海で戦えると思うなよ。」
廉之助の表情が強ばる。
「――塩水……!」
正雪は深く息を吸い、即座に両手で複雑な指印を結んだ。彼の霊力が海風を巻き込みながら渦を巻き、目に見えぬ強大な水流が地面を削り、空気までも塩を含んだかのように、観客の喉をかすかに灼く。
砂地に広がった水面が盛り上がり、波紋が重なり合い、音もなく螺旋状に舞い上がった。
『弄海印』
ゴォ!ゴォ!
壺の口から海色の霊水が再び溢れ出し、まるで意思ある数多の蛇のように、地を這う。塩の匂いと重々しい霊圧が風に乗り、観客席にまで伝播する。
「っ……だが、この程度で折れる花鰐はいないわ!」」
叫ぶ廉之助と同時に花鰐が、その鋼鉄の尾を高速で振り回した。水しぶきと砂煙が混ざり合い、一つの小さな水竜巻のように立ち上がった。そして再び、猛然と正雪へ突進した。
しかし正雪は、静かに壺に手を添えた。
「――出ろ。梨花。」
彼の声とともに、水柱が轟音を立てて天にまで立ち上がり、霊力の奔流が海風と混ざる。その水煙の中から、巨大な影が現れた。
銀光を帯びた巨大な妖貝――滑らかで、まるで月光を固めたような殻を持つ、古海の阿古屋貝の妖、梨花である。水粒子が光を反射し、観客席から息を漏らす声が聞こえた。
「なっ……海妖!? この宗門で、海妖を使役している者が……?」
「いや、ただの海妖じゃない……あの光沢は、古海の系統だぞ!何百年も前に途絶えたはずの!」
梨花の巨大な殻がぱっ、と開き、内部から放たれた極光が、突進する花鰐の頭部を包み込んだ。強烈な霊気が深海の波のように蠢き、鰐の周囲の空間はねじれて歪んだ。
――バチン!
花鰐の口が貝殻に挟まれ、咆哮が空間を震わせた。拘束された花鰐は、苦痛に耐えるように尾を振り回し、轟音が大地を割る。水煙と霊気の奔流が激しく交錯し、観客は皆、その圧倒的な力と力の衝突に声を失った。
「――来るぞ!」「花鰐の必殺――水竜巻き!」
尾が超高速で回転し、天地を巻き込むような巨大な水竜巻きが立ち上った。水流は螺旋状に空を裂き、砂塵を巻き込み、空気は渦巻きの中で狂ったように振動する。
しかし――梨花は、その猛攻のただ中で微動だにしない。古海の力を宿すその巨大な殻は、鉄山より硬く、深海の潮圧より重い。
花鰐の渾身の技は、梨花の殻にわずかな傷を作っただけで、ぴたりと動きを止めた。跳ね返った水流が周囲の霊力を波紋のように広げる。
正雪は深く息を吐き、勝利を確信する指印をさらに結び直した。あと一呼吸、あと一撃の霊力――それで、この強敵に勝てるはずだった。
――その瞬間。
梨花の巨大な身体が淡く揺らぎ、発せられていた光が急速に弱まり、強大だった霊気が、まるで糸が解けるようにほどけていく。
「……まさか、外界滞在制限……!?」
正雪の顔が、苦い歪みを見せた。梨花は、一時的に召喚された存在だ。外界でその強大な霊力と巨体を維持できる時間は――一服の煙草の火が消えるほどに短い。
――しゅん……
光が消え、梨花は黒漆の壺へ吸い込まれた。
拘束を失った花鰐が跳ね起き、正雪が次の体勢に構え直すよりも、さらに早くその鋼鉄の尾が振り下ろされた。
――ドン――!!
大地が裂け、砂が天高く舞い上がり、直撃を食らった正雪は、そのまま激しく膝をつく。強大な霊気と砂塵が空気を裂き、観客席の歓声とざわめきは、この轟音に掻き消された。
審判が、上げた手を振り下ろした。
「――勝者、廉之助!!」
狂乱の歓声とざわめきが競技場全体に渦巻く中、正雪は静かに立ち上がり、砂埃を払いながら、壺を拾い上げる。壺の中から、小さく「正雪……」と囁く声がした。正雪は微笑む。
「分かってる。」
彼のその声は、轟音渦巻く観客には、誰一人に届くことはなかった。
【後日――宗門記録】
第四試合、正雪敗北。しかし、彼はその後の順位決定戦において、堅実かつ着実に勝利を重ねた。最終順位は見事に第七位。宗門代表枠は八名。
最後の最後で、正雪はその貴重な一枠を掴み取った。彼の戦略は、勝利よりも、代表の座を確実に掴むことにあった。
「正雪、君が梨花を呼び出したのは早すぎた。もっと花鰐の体力を消耗してから出せば、勝てたはずなのに。」
後日、仙蛙の翠夏が、正雪の策を指摘した。
「知っている。だが、わざと負けたのだ。」
正雪は淡々と言い放った。
「賞品の精魂丹薬を手に入れた。そして、代表入りも果たした。それで十分だ。宗門の過度な注目を集めるような完全勝利は、俺の性格ではない。これは、能ある鷹は爪を隠す知恵というものだよ。」
言い切ったあと、正雪は目を閉じた。その声音には確信が宿っている。
力とは、ただ見せつけるものではない。必要な時に、必要な深さだけ――牙を剥けばいい。
外では夜風が吹き、遠くで宗門の鐘が静かに鳴る。
夕陽が深紅の海面へ溶け入り、観戦席に灯された提灯の光が、波間を走る金色の反射を捉えて揺らめく。
宗門選抜の第四試合――正雪は駆け戻り、砂地の中央へ踏み出した。冷たい風が衣を揺らし、背中の河童の壺が微かに水音を響かせる。観客のざわめきが徐々に静まり、海と空が黄昏に染まる中、戦いの気配が濃く漂った。
対するは、弐階組の強者・廉之助。彼は悠然と腕を組み、口の端を軽く釣り上げる。その姿には、今から始まる戦いを心底楽しむかのような、傲慢とも取れる余裕が滲んでいた。
傍らには、彼らの強大な霊力を証するかのように、鱗が輝く巨大な霊獣、花鰐が控える。その鉄鎖のような尾が砂を軽く叩くだけで、地面はひび割れ、その微かな、しかし強力な振動は、観客席まで伝わる。鰐の瞳が鋭く光り、底知れぬ冷たい霊気が、空気に重々しく染み渡っていく。
「……正雪、お前の使役する霊獣といえば――」
廉之助の軽蔑的な視線が、正雪の足元を舐めるように動く。彼の知る正雪の霊獣は、まだ幼いヒナ鳥のはずだ。
「まだ羽も生え揃わぬヒナ鳥ではなかったか? 連れて来ないなら、規定により――自動的に敗北だぞ。さっさと降参したらどうだ。」
観客席がざわ……と波立った。水面を叩く波のようにどよめいた。しかし、正雪の体は一歩も乱れない。彼は黄昏の光を浴びて、氷のように冷静に応じた。
「今日は別の霊獣を連れてきた。この壺の中にな。」
黒漆の無骨な壺を、試合場の石畳に”カツン”と音を立てて置いた。壺の蓋を縁取る紋様は、古河妖族に伝わる神秘的な封印の印。河童の壺の威力を強調するため、わざと威圧的に見せていた。風に乗り、壺の底で霊水が小さく揺れ、鈍い光を反射した。
「……ふん。そんな玩具のような壺ごとき、古ぼけた道具でごまかせるとでも?――先に粉砕してやる!」
廉之助が鼻で笑うと同時に、その霊力に呼応した花鰐が、大地を蹴って跳ね上がった。重厚な咆哮が空気を裂き、巨体は音速の勢いで正雪へと迫る。突進の余波で砂塵と微細な水霧が螺旋状に巻き上がり、地面の亀裂は波紋のように競技場全体に広がった。正雪は紙のように滑らかに一歩退き、まるで遊ぶように指を一本弾いた。
――パァン――!
壺の口から霊水が噴き出し、砂地の中央へ奔流のように広がる。水粒子は夕陽の残光を受けて微細な虹を描き出し、空気の中で輝く周囲の霊気と複雑に絡み合った。
「……はぁ!? 鰐に水をぶつけるだと? 正雪、頭でも打ったか!」
廉之助の鋭い叫びも虚しく、突進を続ける花鰐の強靭な脚が、その水流に触れた瞬間、止まった。水面に触れた鱗からは、まるで毒を浴びたかのように白い泡がじわりと浮かび、皮膚が強い嫌悪に反応して巨体を激しく捻る。
この霊水は、一瞬にして鰐の霊力を一時的に封じ、空気に染み渡っていた鋭利な威圧感を鈍らせたのだ。
「………気づいたか、廉之助。」
正雪の声は低く、静かに場内に響いた。
「淡水種の霊獣が、海で戦えると思うなよ。」
廉之助の表情が強ばる。
「――塩水……!」
正雪は深く息を吸い、即座に両手で複雑な指印を結んだ。彼の霊力が海風を巻き込みながら渦を巻き、目に見えぬ強大な水流が地面を削り、空気までも塩を含んだかのように、観客の喉をかすかに灼く。
砂地に広がった水面が盛り上がり、波紋が重なり合い、音もなく螺旋状に舞い上がった。
『弄海印』
ゴォ!ゴォ!
壺の口から海色の霊水が再び溢れ出し、まるで意思ある数多の蛇のように、地を這う。塩の匂いと重々しい霊圧が風に乗り、観客席にまで伝播する。
「っ……だが、この程度で折れる花鰐はいないわ!」」
叫ぶ廉之助と同時に花鰐が、その鋼鉄の尾を高速で振り回した。水しぶきと砂煙が混ざり合い、一つの小さな水竜巻のように立ち上がった。そして再び、猛然と正雪へ突進した。
しかし正雪は、静かに壺に手を添えた。
「――出ろ。梨花。」
彼の声とともに、水柱が轟音を立てて天にまで立ち上がり、霊力の奔流が海風と混ざる。その水煙の中から、巨大な影が現れた。
銀光を帯びた巨大な妖貝――滑らかで、まるで月光を固めたような殻を持つ、古海の阿古屋貝の妖、梨花である。水粒子が光を反射し、観客席から息を漏らす声が聞こえた。
「なっ……海妖!? この宗門で、海妖を使役している者が……?」
「いや、ただの海妖じゃない……あの光沢は、古海の系統だぞ!何百年も前に途絶えたはずの!」
梨花の巨大な殻がぱっ、と開き、内部から放たれた極光が、突進する花鰐の頭部を包み込んだ。強烈な霊気が深海の波のように蠢き、鰐の周囲の空間はねじれて歪んだ。
――バチン!
花鰐の口が貝殻に挟まれ、咆哮が空間を震わせた。拘束された花鰐は、苦痛に耐えるように尾を振り回し、轟音が大地を割る。水煙と霊気の奔流が激しく交錯し、観客は皆、その圧倒的な力と力の衝突に声を失った。
「――来るぞ!」「花鰐の必殺――水竜巻き!」
尾が超高速で回転し、天地を巻き込むような巨大な水竜巻きが立ち上った。水流は螺旋状に空を裂き、砂塵を巻き込み、空気は渦巻きの中で狂ったように振動する。
しかし――梨花は、その猛攻のただ中で微動だにしない。古海の力を宿すその巨大な殻は、鉄山より硬く、深海の潮圧より重い。
花鰐の渾身の技は、梨花の殻にわずかな傷を作っただけで、ぴたりと動きを止めた。跳ね返った水流が周囲の霊力を波紋のように広げる。
正雪は深く息を吐き、勝利を確信する指印をさらに結び直した。あと一呼吸、あと一撃の霊力――それで、この強敵に勝てるはずだった。
――その瞬間。
梨花の巨大な身体が淡く揺らぎ、発せられていた光が急速に弱まり、強大だった霊気が、まるで糸が解けるようにほどけていく。
「……まさか、外界滞在制限……!?」
正雪の顔が、苦い歪みを見せた。梨花は、一時的に召喚された存在だ。外界でその強大な霊力と巨体を維持できる時間は――一服の煙草の火が消えるほどに短い。
――しゅん……
光が消え、梨花は黒漆の壺へ吸い込まれた。
拘束を失った花鰐が跳ね起き、正雪が次の体勢に構え直すよりも、さらに早くその鋼鉄の尾が振り下ろされた。
――ドン――!!
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審判が、上げた手を振り下ろした。
「――勝者、廉之助!!」
狂乱の歓声とざわめきが競技場全体に渦巻く中、正雪は静かに立ち上がり、砂埃を払いながら、壺を拾い上げる。壺の中から、小さく「正雪……」と囁く声がした。正雪は微笑む。
「分かってる。」
彼のその声は、轟音渦巻く観客には、誰一人に届くことはなかった。
【後日――宗門記録】
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「正雪、君が梨花を呼び出したのは早すぎた。もっと花鰐の体力を消耗してから出せば、勝てたはずなのに。」
後日、仙蛙の翠夏が、正雪の策を指摘した。
「知っている。だが、わざと負けたのだ。」
正雪は淡々と言い放った。
「賞品の精魂丹薬を手に入れた。そして、代表入りも果たした。それで十分だ。宗門の過度な注目を集めるような完全勝利は、俺の性格ではない。これは、能ある鷹は爪を隠す知恵というものだよ。」
言い切ったあと、正雪は目を閉じた。その声音には確信が宿っている。
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