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傍観者
しおりを挟む来た。
モニターに顔を近づけて手元の履歴書と見比べる。
間違いなさそうだ。
男はお仕着せのような新品のスーツに身を包み、手にした資料と建物の内部を交互に眺めながらゆっくりと歩いてくる。
男がいるロビーには彼と同じような格好をした、学生と見える男女数人が緊張の面持ちで行き交っている。
一旦対象の彼から目を離し、ロビー中央にあるペットボトルに視線を移す。
お茶の容器だ。2リットル用の比較的大きめのもので、中には若干の飲み残し。心ない何者かに投げ捨てられたように無造作に存在している。
大理石の綺麗なロビーに落ちているそれは、その場にはかなり不釣合いで人目を引く。そこを通った人が気が付かないということはまず無い。
しかし周りの人達は全くの無関心でそのゴミの脇を通り過ぎていく。あたかも何も見えていないかのように。
再度、対象の男に視線を戻す。
気が付いた。
男はそのゴミに間違いなく気がついた。
さて。どうするか。
男は立ち止まり、一瞬腕時計に目をやる。そして再びそのゴミを見つめてから辺りを見回した。ゴミ箱を探しているのだろう。しかし、そんなものはない。
相変わらずの人の行き来があるなか、彼だけが立ち止まっている。
何やら悩んでいるようだ。しかしそれもほんの数秒のことだった。
彼はごく自然に屈んで手を伸ばし、そのゴミを拾った。そしてそれを自分のカバンにつぶすようにして押し込んだ。
ついに現れた。
今回、初めての合格者だ。
新入社員として、人事に配属されてはや5年。
人事制度、人員配置、採用、配属。
一通りの経験は積んできた。
もう十分。
仕事へのモチベーションが急激に落ちていたところだった。
そんな時、新手の採用試験を行うというお達しが来た。
傍観者の見極めをするというのだ。
人は集団の中では率先して行動ができなくなるという。
例えば人混みの中で誰かが倒れたとしても、周りの目を気にしたり、人任せにしようとするせいで、自ら行動を起こさなくなる。
落ちているゴミもしかり。
誰もが気がついているが、何もしない。
周りの目が気になる。自分は関係ない。理由は様々だろう。
ほとんどの者が当事者から遠ざかろうとしてしまうのだ。
傍観者にならず、自分の信念のもと行動できる学生を優先的に採用しようというのが今回の試験の試みだった。
当の彼は少し膨らんだカバンを抱え、何事もなかったようにロビーを抜けて行った。もうすぐここに来るだろう。
居室に招き入れた8人の学生たちが、四角く囲まれたテーブルに着く。
グループディスカッションによる1次試験だ。実際のところ、その前に0次の試験があったわけだが、彼らはそのことは知らない。
やり方について説明し、彼らの中にお互いを牽制するような空気が流れたその時だった。
異変が起こった。
学生の1人が急に前のめりになりうずくまったのだ。
例の合格者だ。
どうしたのだろうか。苦しそうに押し殺したような呻き声を上げている。
具合が悪くなったのは明らかだった。
しかし周りの学生はオロオロするばかりで動こうとはしない。助けようとしない。
所詮は前の試験の不合格者たちだ。
いや、もう少し様子を見よう。彼らの中の誰かが助けに行くかもしれない。
しかし、どれだけ待てども誰も動かない。当の彼はずっと苦しそうにお腹と口元を押さえている。やがて、口から泡を吹き出した。
やばいかもしれない。
しかし。やはり誰も動かなかった。
残念だ。期待した自分がバカだった。周りを気にして人を助けることもできない愚か者たちめ。
その時。
部屋の扉が開き、見覚えのある顔が入って来た。
人事部長だ。
どうしたのだろうか。今回の試験ではまだ出番はなかったはずだが。
おそらく別室でこの部屋の様子を見ていたのだろう。口をへの字に曲げ、あからさまな困り顔をしている。
どうやら自分と同じ思いらしい。
部長はゆっくりとこちらに近づいて来た。
そして、私の肩を叩いた。
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