ショートショート始めました。

奈央

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左手

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「悪いんだけど頼むよ。他に頼める人いなくて」
後輩が対応した案件の失態。彼女が産休に入った後に問題が発覚し、謝罪と事後対応をしなくてはいけない。
なんで私が……、という言葉を飲み込み、「わかりました」と返事をした。

まずは先方に送るメール文面をパソコンで打ち込んでいく。

(他に頼める人がいなくて)
キーボードを打つ自分の左手を眺める。薬指にはなにもない。
独身だから時間もあるだろうという偏見だ。
35歳。もはや行き遅れと思われているに違いない。
これまでだって彼氏はいたこともあった。でもどの人も長続きはしなかった。
原因は多分明らかだった。
ずっと心から離れない人がいる。
急に遠くに行ってしまった彼には結局想いも伝えられていない。

先程聞いたばかりの宛名を書いているところでチクリと胸が痛んだ。
『……この度は誠に申し訳ありませんした。……』

謝罪文を打ち終え、読み返して問題ないことを確認してから送信ボタンを押す。
返信はすぐに来た。
リモート会議で今後の対応について協議したいとのこと。
メール文面からはさほど責められている感じはせず、ひとまず安心する。
先方の担当も上への報告の必要があるのだろう。

早速会議の招待メールを送る。
会議室に入り、カメラをオンにして待機。
先方が入ってきた。
しかし暗闇のままだ。
「すみませんカメラの調子が悪くて」
「いえ。そのままで問題ございませんので。それよりも、この度は誠に申し訳ありませんでした」
カメラ越しに深々と頭を下げる。
「いえ、うちの方も確認が足りてきなかったようですし」
表情は見えないが怒っている口調ではない。
完全にこちらの失態なのだがありがたい言葉だ。
「それで早速今後の対応なのですが……」
と切り出す。
「あ、すみません! カメラの調子が戻ったみたいです。失礼しました」
そこに改めて写し出された画面を見て、思わず固まってしまう。
17年間。その空白が嘘のように何も変わらない彼がそこにいた。
「あの……」
いや、でも。
きっと私のことなど覚えていないだろう。
「どうしました? 何か心配事がありますか?」
「いえ……」
「大丈夫だよ。一緒に乗り越えよう!」
「え……!?」
「あの時みたいにさ。ハードルを」
そう言って画面の中の彼はおどけるように笑った。
なるほど。
どうやらカメラの故障というのは嘘だったようだ。
「久しぶりだね、佐野さん」
「バカ!」
ハイタッチのマネをして見せた彼の、その左手薬指はまだ空いていた。
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